ROBORISTA

伊阪証

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女の子の気持ち

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錆びた鉄骨の影に腰を下ろすと、風が乾いた土埃を巻き上げて、ヘンリーの喉に絡みついた。
指先を舐めて湿らせても、口の中はすぐ砂漠に戻る。世界の方が、先に乾いてしまったみたいだった。

目の前でラブが、ボロ布で自分の腕を丁寧に拭っていた。
金属は鈍い光を返し、拭うたびに布が黒く染まる。きれいにしているのに、汚れた色が増える。矛盾が、静かに進む。

「ラブ。本当に大丈夫なのか」

ヘンリーが言うと、ラブはいつも通りの穏やかな微笑みを浮かべた。

「はい、ヘンリー様。多少の傷は機能に影響ありません」

「でも……この前、無理に動いたせいで変な音がしてた。きしむっていうか、呼吸が変っていうか」

言いながら、ヘンリーは自分の言葉の頼りなさに苛立った。
“変な音”。そんな曖昧な不安を、ラブは笑って消してしまえる。ラブは、そういう存在だ。守るために作られて、守るために壊れる。

ラブは視線を落として、ほんの一瞬だけ口元を曇らせた。

「……油切れ、かもしれません。定期的なメンテナンスで改善されます」

「こんな場所で、オイルなんて手に入るわけない」

言い切ったとたん、空気が冷えた。
ヘンリーの口調が強かったのは、怒りじゃない。怖さだ。
ラブが止まることが、怖い。

「……ごめん。責めたいんじゃない。心配なんだ。君が壊れたら、僕は――」

ラブは首を横に振った。

「私は大丈夫です。ヘンリー様のお役に立てるなら、最後まで」

その“最後まで”が、胸に刺さる。
最後を前提にしている言葉は、優しさじゃなくて覚悟の匂いがする。

ヘンリーは、背負い袋の奥を探り、布に包んだ設計図の断片を確かめた。
鍵の金属板も、緊急停止コードのプレートも、まだある。
目的は変わっていない。エネルギー・コンデンサを探して、“母”を壊さず起こす。
けれど現実は、目的へ一直線に進ませてくれない。

「……寄り道しよう。オークブリッジだ」

ラブが顔を上げる。

「オージー様の集落、ですね」

「ああ。あの人なら、外装を変えられるかもしれない。見た目のせいで怖がられて、村や集落に入りづらいのも……もう、限界だ」

ヘンリーは言いながら、ラブを見た。
金属の身体。剥げた塗装。傷。
そして、優しい笑顔。
優しいのに、世界の側がそれを読み取れない。

「それに……君を、少しでも楽にしたい」

ラブは微笑んだ。微笑みは整っているのに、何かが薄い膜の向こうにある気がした。

「承知いたしました。ヘンリー様」

二人は立ち上がり、瓦礫の道を歩き出した。
遠くで金属が軋む音がした。風の音か、獣の音か――もう区別はつかない。

---

オークブリッジの広場は、世界の終わりにしては不思議なほど色があった。

木彫りの像。石を積み上げただけのオブジェ。壁に描かれた巨大な獣の絵。
そして、泥だらけの子どもたちがその間を駆け回っている。

ヘンリーは息を止めた。
笑い声が、この世界にも残っていたことに驚いた。
同時に、その笑い声がいつ壊れるか分からない怖さも、喉の奥に残った。

「ここが……オージーの工房だ」

少し立派な小屋――というより、学校の教室の残骸を改造したような建物だった。
壁の一面に描かれた獣の絵は、迫力があるのにどこか悲しげで、目だけが異様に生々しい。

その壁の前で、ひとりの少女が絵筆を走らせていた。
絵の具が頬に飛び、髪は無造作に束ねられ、背中には妙な自信がある。
振り向いた瞳は、人を寄せ付けない光を宿していた。

「……あんたがヘンリー?」

声は幼いのに、刺さる。

「設計図の読める、ガラクタ拾い」

ヘンリーは一瞬ムッとしたが、反射的に名乗った。

「僕がヘンリーだ。君がオージー?」

「そう。で――そっち」

オージーの視線がラブに刺さる。
興味と警戒が混ざり、獲物を測る目になる。

「噂の“金属の獣”?」

「獣じゃない。ラブだ。僕の――」

ヘンリーが言い淀むと、ラブが一歩前に出て丁寧に頭を下げた。

「初めまして、オージー様。私はラブと申します。ヘンリー様のお供をしております」

オージーは一瞬きょとんとした。
次の瞬間、目がぎらりと光る。

「……しゃべるんだ。しかも礼儀正しい。ウケる」

ラブの腕に触れようとして、直前で止まる。
触れていいのか判断を迷う動きだった。

ヘンリーが先に言った。

「頼みがある。ラブの見た目を……少し変えてほしい」

「見た目?」

オージーは鼻で笑う。

「人間っぽくして、みんなに受け入れてもらいたい、とか?」

「怖がられないように、ってのが第一だ。集落を回って部品を探すにも、入り口で追い返される。今は――目的がある」

「目的」

オージーは、ヘンリーの背負い袋と、ラブの傷を見て、ふっと表情を変えた。
からかいの顔から、観察者の顔へ。

「……いいよ。面白そう」

即答。
けれど、すぐに口角が上がる。

「ただし、タダじゃない」

「金なら――」

「金は要らない。むしろ使い道がない」

オージーは獣の絵の前に立ち、絵筆を振った。

「アタシの“ミューズ”になって。モデル。あと、雑用」

「……雑用?」

「掃除、絵の具づくり、ゴミ出し。あと――アタシの話を聞くこと」

ヘンリーは条件の最後で引っかかった。
“話を聞く”。
それは、ただの労働より重い。

だが、ラブの肩の傷が目に入る。
油切れの嘘くさい言い訳が、胸を刺す。

「分かった。やる」

オージーは笑った。

「決まり。じゃ、入って。アタシの世界へようこそ」

---

アトリエの中は、外の荒野と別の惑星だった。

埃っぽい教室の名残。黒板の痕。机の影。
そこに、色が殴り込んでいる。
壁一面に絵。床に散った顔料。パレット。筆。奇妙なオブジェ。
匂いが強い。絵の具の匂いは、文明の匂いに近い。生々しい。

「……すごい」

ヘンリーが呟くと、オージーは肩をすくめた。

「すごくない。ここしかないだけ」

ラブが周囲を見回し、柔らかく微笑む。

「宝箱のようですね」

「言うねぇ、メイド」

オージーはラブの笑顔を見て、少しだけ目を逸らした。
見たくないものを見たみたいな動きだった。

「で、どういう方向にしたいの?」

「派手なのは嫌だ。目立って狙われる。怖がられない程度に、でも……温かく見えるように」

「矛盾してる」

オージーが即座に切り捨てる。

「人間は温かいときほど、残酷なんだよ。隠すのが上手いだけ」

ヘンリーは言い返せなかった。
この世界で、人間の残酷さを見てきた。
飢えは人を変える。闇は声を荒くする。

オージーは机を引き寄せ、椅子をぽんと叩く。

「はい。座って。三時間、動かない」

「今それ言う!?」

「今言う。モデルってそういうもん」

「三時間は――」

「嫌なら帰っていい」

言い切った瞬間、空気が締まった。
オージーの“拒絶できる強さ”が、ここにはある。

ラブが小さく言った。

「ヘンリー様。お願いを聞いて差し上げるのがよろしいかと」

「……君が言うなら」

ヘンリーは椅子に座った。
オージーは筆を取り、ヘンリーの顔を睨むように見た。

「困った顔。いいね」

「褒めてるのかそれ」

「褒めてる」

オージーの筆が走り始める。
アトリエに、筆先の擦れる音だけが落ちる。
その沈黙の中で、ヘンリーは気づいた。
オージーは、話をしないと落ち着かないタイプじゃない。
話をしないと、思い出すタイプだ。

「……ねえ、ヘンリー」

筆を動かしたまま、オージーが言った。

「アンタ、本気でそのロボットに“心”があると思ってる?」

ヘンリーは息を飲んだ。
ラブを見る。ラブは、いつもの穏やかな微笑みで立っている。
微笑みは変わらないのに、瞳の奥は何かを待っている気がした。

「分からない。けど――心がないなら、あんなふうに守らない」

「守るのは命令かもしれない」

「命令でも、僕は救われた。だから……心があるって、そういうことだと思う」

オージーの筆が、一瞬止まった。

「……へえ」

それ以上は言わない。
でもその一言に、興味の温度が上がったのが分かった。

---

それから数日、ヘンリーはオージーの“雑用”をこなした。

顔料をすり潰し、布を洗い、床を拭く。
その合間に、オージーはラブを見て、描き、触れ、また見た。
ラブは静かに受け入れた。
受け入れすぎて、ヘンリーは胸が痛くなる時がある。

ある夕方、ラブが一枚の抽象画に指先を触れた。
ほんの一瞬の動き。
まるで“確かめる”みたいな触れ方だった。

「これは……何を表しているのでしょう」

オージーが照れたように目を逸らす。

「秘密。気分」

「気分を……色で?」

「色が一番嘘つかない」

ラブは、絵の前で小さく頷いた。
その横顔が、金属で出来ていることを忘れるくらい、静かだった。

ヘンリーはその光景を見て、確信に近いものを抱いた。
ラブは、ただ守るためだけの装置ではない。
何かを見て、何かを感じている。
それを言葉にする機能が、欠けているだけだ。

オージーも、同じ場所に立っていたのかもしれない。
ある夜、オージーがぽつりと言った。

「……外に、出たことないんだ」

「え?」

「この集落の外。危ないからって、誰も連れてってくれない。アタシは絵でしか世界を知らない」

ヘンリーは返す言葉を探した。
世界は危ない。子どもを連れ出すのは無責任だ。
けれど、オージーの目は“夢”の目だった。
夢を奪う目じゃない。

「……ラブを仕上げたら、一度だけだ。短く。危ないと感じたら引き返す。約束できるか」

オージーは、信じられないものを見た顔をして、次の瞬間、笑った。

「約束する!」

---

仕上げの日が来た。

ラブの外装は、以前の無機質さを残しつつ、角が削られ、線が柔らかくなっていた。
白い陶器のような質感。淡い色の装飾。
目の色は夕焼けの名残みたいに、薄い赤みを含んでいる。
“怖い”ではなく、“不思議”へ。
その一段階の距離が、世界を変える。

ヘンリーは息を呑んだ。

「……すごい。ラブ、本当に……」

言葉が出ない。
別人のようなのに、別人じゃない。
ラブの“穏やかさ”だけが、外側に滲んだ。

ラブは微笑んだ。

「ヘンリー様、私ですよ。少し、雰囲気が変わりましたでしょうか」

オージーが腕を組んで、得意げに言う。

「どう? 自信作。特に目。夕焼けを閉じ込めた」

ヘンリーはオージーを見て、素直に頭を下げた。

「ありがとう。これで――これで少し、楽になる」

オージーは照れたように顔を背けた。
その照れが、年相応で、逆に痛かった。
こんな世界で、それを守れるのか。

その時、オージーが急に黙った。
口の中で言葉が止まっている。

「……ねえ、ヘンリー」

「どうした」

オージーは視線を泳がせて、言いにくそうに言った。

「外装を付ける時、いくつか……部品を外したの。邪魔でさ。収まりが悪くて」

ヘンリーの背中が冷えた。

「部品?」

「うん。装飾を優先すると……どうしても。戻せないかもしれない」

ヘンリーは反射でラブを見る。
ラブは穏やかに微笑んでいる。
いつも通り。
だから余計に怖い。

「ラブ。何か変わったことは」

ラブは少し考えるように瞬きをして、静かに言った。

「……風の音が、遠くなった気がします」

ヘンリーの喉が鳴った。
風の音。
それは――聴覚か、環境センサーか、あるいは“世界を感じる”ための何か。

「そんな……オージー、どうして先に言ってくれなかったんだ!」

声が大きくなった。
オージーの肩が跳ねる。

「だって……だって! これで受け入れられると思ったんだもん! ラブが怖がられないのが一番だと思って……!」

ヘンリーは言い返そうとして、言葉を飲み込んだ。
怒る相手はオージーじゃない。
怒るべきは、こんな世界だ。
でも、その怒りの受け皿は目の前にいる。

ヘンリーは、拳を握って、ほどいた。
呼吸を整えて、ラブの手を取った。

「ごめん。僕が……僕がもっと早く、気づくべきだった」

ラブは首を横に振る。

「ヘンリー様。謝らないでください。私は大丈夫です。ヘンリー様が喜んでくださることが、私にとって一番嬉しいのですから」

その言葉が、ヘンリーの胸を締めつけた。
嬉しい。
それは、ラブ自身の嬉しさなのか。
それとも“そう言うように作られた”嬉しさなのか。

ヘンリーは、決めた。

「取り戻す。聴こえる世界を、取り戻す。受け入れられるために、君の感覚を削るのは……違う」

オージーが唇を噛む。

「……ごめん。アタシ、ほんとに……」

「責めてない。責めるなら僕だ。僕は、見た目だけ直せば全部進むと思った」

ヘンリーはラブの外装を見た。
きれいだ。優しい。
でも、きれいの代償があるなら、きれいはただの刃だ。

その夜、アトリエのランプが揺れた。
静かな沈黙が落ちる。
沈黙の中で、オージーが口を開いた。

「……ヘンリー。約束、覚えてるよね」

「旅のこと?」

「うん。行きたい。怖いけど、行きたい」

ヘンリーは頷いた。

「約束は守る。ただし短く。ラブの調子もある。無理はしない」

オージーは小さく笑った。
その笑いが、救いになった瞬間――

ドン、ドン、ドン!

扉が乱暴に叩かれた。
アトリエの空気が、一気に冷える。

「オージー! いるんだろ! 出てこい!」

男の声。荒い。酒と怒りが混ざっている。

オージーの顔色が変わった。

「……父さん」

扉が蹴り開けられ、粗野な男が踏み込んできた。
グリック。
目は血走り、手には怒りだけが握られている。

「また鉄屑を拾って! 無駄なものを作って! 正気か!」

グリックの視線がラブの新しい外装に止まる。
次の瞬間、顔が歪んだ。

「なんだこれは!? 鉄の獣を飾り立てて! 気色悪い!」

「違う! これは――」

オージーが言いかけた瞬間、グリックはラブに詰め寄った。
乱暴な手がラブの腕を掴む。

「こんなものは――」

金属が軋む音。
新しい外装が、悲鳴を上げる。

「やめろ!」

ヘンリーが飛び込んだ。
グリックの胸を押し、ラブから引き剥がす。
だがグリックの体格は大きい。腕一本でヘンリーを突き飛ばす。

背中が床に叩きつけられ、息が詰まる。

「ガキが! 邪魔だ!」

オージーが叫ぶ。

「やめて! お願いだから!」

グリックは足元のハンマーを拾った。
金属の頭がランプの光を鈍く反射する。
それは工具じゃない。処刑の道具だ。

「鉄の獣も、それを庇うガキも、まとめて叩き潰してやる!」

ハンマーが振り上げられる。
その先にいるのは、ラブだ。
ラブは逃げない。逃げられるのに、逃げない。
盾の位置に立ってしまう。

ヘンリーは床を蹴って立ち上がろうとした。
間に合うかどうかなんて、考える暇はない。

「ラブ――!」

ハンマーが落ちる。

世界が、音を失ったみたいに静かになった。
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