竜の背に乗り見る景色は

蒼之海

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第一章

第8話 『モン・フェリヴィント』の実状

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 念の為もう一日様子を見た方がいいと言うゲートルードと、配属手続きに多少の時間が必要だと言うヴェルナードの意見が一致すると、ボクは診療小屋に戻された。

 ヴェルナードが「明朝迎えに来る」と言い残しアルフォンスを伴い去っていくと、小屋内はゲートルードと二人きりとなる。

 ボクは再びベッドに寝かされて、ゲートルードの診察を受けていた。


「うん。健康状態は問題なさそうですね。本当によかった。だけどしばらく無理は禁物ですよ。どんな後遺症があるか分からないですからね」


 ボクの脈や瞳孔を調べながら、カルテの様なものに何やら書き込んでいるゲートルードは少しも変わらず穏やかに接してくれているが、不安で胸いっぱいの今のボクにはその優しさが逆に痛い。


「ねえゲートルードさん。……竜ってあの恐竜みたいに首が長くて翼が生えていて火を吹くあの竜だよね? 本当にここはその竜の上なの? なんでみんな竜の背中で暮らしてるの? 任務って何? ボクは何すればいいの? 何をさせられるの? この『モン・フェリヴィント』って一体なんなの!?」


 ゲートルードの優しさに甘える形でボクは遠慮なく数々の疑問符たちを浴びせかけた。

 会話が途切れ微妙な空気が部屋を覆う中、静寂を切り裂いたのは予想外の音だった。


 ———くくくるるるぅぅぅぅぅ。


 ボクの体は正直だ。こんな時でもエネルギー不足を律儀に知らせてくれる。ボクは顔を赤くしながら断続的に鳴り続けるお腹を必死に押さえ込んだ。


 そんなにくるくる鳴るなぁ! そう言えば、昨日の夜から何も食べてなかったよ!


 ボクの質問集中砲火に目を丸くしていたゲートルードは、その切ない音に顔を綻ばせると、得意な柔和な表情を取り戻す。


「『きょうりゅう』と言うものが何かは分かりませんが……まずは食事を採りましょう。お腹が空いたままでは、よくなるものもなりませんからね。その後でカズキの質問にちゃんと答えますよ」


 そう言ってゲートルードは立ち上がり扉を少し開いて外の見張りに声をかけ、食事を持ってくる様に告げる。

 戻り際、机まで寄り道をしてカルテを置くと再びベッドの脇に腰掛けた。


「食事が届くまでに一つ聞いておきたいのですが、カズキの世界には竜はいたのですか?」

「お話や伝説にはよく出てくるけど……実際にはいなかったよ」

「そうですか。火を吹くとか、首が長いとか、私たちの知っている竜とはかなり違っていたものだったので……ああ、食事が届いた様です」


 ノックの音に反応したゲートルードが食事を受け取り持ってくる。

 木のお盆に木の器が一つ。盛られているのはどんぐりを大きくした様な見た事もない食材だが、たぶん木の実の類だろう。うん……そう信じよう。

 空腹に全面降伏のボクは、それを食べれるものと言い聞かせ、恐る恐る口に運ぶ。

 よく煮込まれたであろう木の実は柔らかく少し渋みがあるものの、甘い味付けがそれを打ち消し程良い深みが口いっぱいに広がった。


 うん。意外と美味しいかも。


 二口、三口と徐々に勢いづく様子をゲートルードが嬉しそうに見守っている。ボクは少し気恥ずかしくなり、上目遣いでゲートルードに「そんなに見るな」と訴えかけた。


「……ああ失敬。じっと見られては喉に通りませんよね」


 ゲートルードは立ち上がり、机に向かって背を向ける。

 体が欲するままに勢いよく食べ続ければ、ゲートルードが机から水差しとコップを持ってきた時には器のどんぐりは空になっていた。

 そっと差し出された水も勢いよく胃に流し込むと、ボクはようやく人心地がついた。


「……どうもありがとうございます。ご馳走様でした」


 手遅れとは知りつつも取り繕った恥じらいを付け加え、伏し目がちに空のコップをゲートルードへと戻す。

 乙女のがっつく姿を見られてやっちまった感満載のボクだけど、これは仕方がないと思う。

 ボートレーサー養成所での厳しい訓練後でも毎日しっかり三食食べ、周りの寮生たちの胸焼けを誘発していたボクにとって一食抜くことは死活問題に等しい。「育ち盛りなう」なのだ。

 まあ、その栄養がどこからかポロポロ漏れているのかと勘ぐるくらい胸に供給されていかない事が、ボクの唯一の悩みなんだけど。

 コップをベッド脇のテーブルに置くと、ゲートルードは静かに話しを再開する。


「では、竜……神竜と『モン・フェリヴィント』について話をしましょうか。先ほどヴェルナード様が言われた通り、この『モン・フェリヴィント』は神竜の一体『風竜』の背の上に築かれています。私たちはその風竜の上で暮らしているのです。先人たちの記録によると、かれこれ500年は経つでしょうか」

「ご……500年!?」

「ええ。家畜を育て山菜や穀物を採り、豊かな緑の恵みと風竜の加護に畏敬の念を抱きながらこの地で育ち、子を産み、そして死んでいく。私たちにとってこの風竜の背こそがその全て。何者にも変え難い愛すべき故郷なのです」

「で、でもさっき……ヴェルナードさんが、地上に降りるのは五ヶ月後って……ずっと空を飛んでるって訳じゃないんでしょう?」

「ええもちろん。この風竜も半年に一度、3日ほどその翼を休めるために地上に降り立ちます。私たちもそこでこの地では手に入れ難い物資などを補給しますからね。ただ……地上の住民とはできる限り接触を避けています」

「それは……どうして?」


 ゲートルードは目線を逸らすと「今は言わない方がいいでしょう」と小さな声を漏らした後、まっすぐボクの顔を見つめてきた。


「それよりも、まずはこの『モン・フェリヴィント』について、詳しく知ってください。私たち……この風竜に住む我々は『軍隊』です」

「ぐ、ぐ、軍隊!?」

「簡単に言えば、です。『モン・フェリヴィント』に暮らす家族と同胞のため、そして『風竜』のためにそれぞれが任務を遂行する。それをまとめるのがヴェルナード様なのです」

「ちょ、ちょっと待って! 軍隊って、この『モン・フェリヴィント』の人たちは、何かと戦っているの?」

「戦ってはいませんよ。私たちだって……争いは嫌いですから。そうですね、むしろ守るための軍隊でしょうか」


 それからゲートルードは『モン・フェリヴィント』の仕組みについて丁寧に語ってくれた。

 700人あまりが暮らすこの竜の背中の『モン・フェリヴィント』では、12歳になると男女問わず見習い軍人としてどこかしらの部署に配属される。

 1年の見習い期間を経て正式に配属、晴れて軍人の一員になるらしい。

 そして、軍は任務の役割と特異性から大きく7つに分類されている。


 進路や航行スケジュールを管理する『航行部』。

 周囲の障害物や不審な飛来物がないかを監視する『索敵部』。

 万が一の戦闘に備え、対抗する戦力としての『航空戦闘部』。

 町で暮らす人々の治安を守る『保安部』。

 医療や製薬に従事する『衛生部』。

 建物や武具など物作り集団の『製造部』。

 畜産や服飾などの日常生活にまつわる全般を受け持つ『生活部』。


「『モン・フェリヴィント』では皆が皆、与えられた任務を全うして、給金を頂き日々の暮らしを営んでいるのです。そしてもう一つ。軍には5段階の階級があります。月の数で表したそれは、不慣れなカズキでもすぐわかると思います。基本上官の言うことはしっかり聞く様にしてください。ちなみに最高位である『5つの月章フィフスムーン』はヴェルナード様お一人です」

 そう言ったゲートルードの白衣の胸には三日月が4つ並んだ紀章がついていた。
 
 この人も偉い人だったんだ。全然そうは見えないけどね。


 って言うか、軍隊なんてあんまりだ! 

 ゲートルードは戦いは好まないとかなんとか言ってたけど、『航空戦闘部』だっけ? ヤル気満々じゃん! やられたら黙っていませんよって事じゃん! 

 そんな物騒な部署に配属されたらどうしたらいいの? 

 ボクの不安を察知したのか、ゲートルードは朗らかな笑顔に戻りつつ、ボクを元気付けてくれる。


「大丈夫ですよカズキ。戦闘経験がない事が手にとる様に分かるあなたをいきなり『航空戦闘部』や『保安部』に配属なんて考えられません。それ以上に素性がはっきりしない『落人おちうど』のカズキを重要な部署に配属なんて……あ、これは失言でしたね」


 ここまで言って冗談でしたはないだろう。

 これはマジだ。本当に軍人として働かせる気だ。

 ヴェルナードは地上なら元の世界に戻るヒントがあるかもと言っていた。だったら次に地上に立ち寄るまでの五ヶ月間は、イヤでもこの『モン・フェリヴィント』のルールに従って生きていくしかない。

 逃げ場のない空の上での生活が、ボクの意思とは関係なしに始まろうとしている。


 父さん、母さん、おじいちゃん。夢のボートレーサーになる前にボクの初就職は、どうやら竜の背の上で、軍人のお仕事になりそうです……!
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