竜の背に乗り見る景色は

蒼之海

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第一章

第76話 決断

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 マーズはウインクをして「特別だからね」と付け加えると、クラウスに視線を戻す。


「さぁて。約束通り君たちと少しだけ遊んであげるよ。……ああ、だけど相手は僕じゃないよ。君たちの相手なんて、コアで十分だからね」


 いつの間にかマーズの背後に黒く巨大な影が迫っていた。さっきの黒クラゲを何十倍にも大きくした巨大黒クラゲだ。

 マーズがふわりと上昇した。巨大黒クラゲが触手を蠕動ぜんどうさせながらこちらに向かってくる!


「全員聞け! 左右に三機ずつ展開しろ! 距離を保ちながらあのバケモノを叩くぞ!」


 クラウスの指令に即座に反応した人翼滑空機スカイ・グライダーたちは左右に分かれ、風の飛礫つぶてを発射する。しかし巨大黒クラゲ———コアの触手が弾き返し、本体まで届かなかった。


「嬢ちゃん……ここでお別れだ。早く元の世界に帰るんだ」

「で、でも!」

「嬢ちゃんには夢があるんだろ? こっちの世界じゃ叶えられない夢が。それに家族だって待っている。何を迷う事があるんだい? ……さあ、行け!」


 最後は強い言葉でそう言ったクラウスは、コアに向かって飛び立った。


「それじゃ、僕はそろそろ地球僕の世界に帰るとするよ。いい加減疲れてきたし、この『食糧庫』に異変があるかもと、コアから連絡を受けて様子を見に来ただけだからね。決断は急いだ方がいいよ。この『食道』は僕がいなくなれば自然に塞がるからね」


 コアの上に乗っているマーズの姿が段々と薄く色褪せていく。最後に「地球僕の世界で待ってるよ」と言い残すと、完全にその姿は消え失せた。


「……カズキ。穴が塞がっていくのです。早くしないと!」


 マクリーの声でボクは自分が置かれていた状況を思い出した。

 マーズが『食道』と呼んでいた穴は少しずつ小さくなっている。それでもまだ、人一人くらいは通り抜けられる大きさがある。

 ボクがあそこを通り抜ければ、意識が戻るのだろうか。

 ボクが目を覚ましたら、母さんはきっと抱きついてくるに違いない。普段は頑固な父さんも涙を流して喜ぶかもしれない。

 おじいちゃんなら、人目を憚らず頬擦りくらいはしてくるだろう。

 そうして再び、当たり前の毎日が戻るんだ。

 きっと三人はボートレーサーになる事を諦めさせ様とするだろうけど、ボクは絶対に譲らない。どうやって三人を説得しようか。

 ……いや、その前に入院中で落ちた体力を取り戻さないといけないかも。リハビリはどれくらい必要なのかな。


「……これでお別れですね、カズキ。向こう元の世界に戻っても、吾輩の事を忘れないでくださいね」


 マクリーの消え入りそうな声が、伝声管から聞こえてきた。

 ……本当にそれでいいのかな?

 確かにあそこをくぐり抜ければ、ボクの日常は戻ってくる。

 ……だけど『モン・フェリヴィント』の皆の日常はどうなるの?

 マーズがいる限り、この世界に温かな光は差し込まない。

 これから先もコアを操り銀幕で人々の幸せを奪い、やがてこの世界は枯れてしまうのだろう。

 マーズが言っていた通りに、地球元の世界が原因でマーズが生み出されてしまったのなら、一体誰がこの世界に対して責任を取るのだろうか。

 マクリーは我儘にああ見えても根は優しいから、そして肉親との別れの辛さを知っているから、ボクを引き留めようとはしてこない。

 だけどヴェルナードたちは、マクリーからこの世界の混沌の原因を知らされた時、元の世界に帰ったボクの事をなんて思うのだろう。

 他人の目が気になるとか、そんな卑屈な心の弱さではない。

 ボクは仲間に対して堂々と胸を張っていたいだけだ。

 そしてボク自身、元の世界に戻った後も、数ヶ月間苦楽を共に過ごした『モン・フェリヴィントみんな』の事を心から、仲間だったと思う事ができるだろうか。


 ———そんなもん、思える訳ないじゃんか!


 地球元の世界に戻ったら、この世界の記憶は頭の中からなくなってしまうのかもしれない。

 だけど、もしそうだとしても。

 今、心の奥底からじんわりと湧き上がるこの情炎が、嘘偽りのないボクのまっさらな真実だ。

 お世話になった人たち———かけがえのない仲間を助けたい。

 肉親の情よりも、ボートレーサーになる夢よりも、その他諸々の何よりも、『モン・フェリヴィント』で育んだ絆は、太く、そして想像以上に、ボクの心の大部分を占有していた様だ。


 ボクは急いで懐から紙とペンを取り出した。

 この筆記用具は、もしボクが無事に元の世界に戻れたなら竜翼競艇機スカイ・ボートとマクリーが帰還する時、感謝の気持ちでも一筆添えようとゲートルードから貰ったものだ。

 ボクは急いで用件を書き殴ると、紙飛行機を作り出す。


「マクリー! これをあの穴に飛ばして!」

「え? カズキは帰らなくていいのですか?」

「いいから早く!」


 マクリーの開閉式ハッチを外して紙飛行機を託す。

 マクリーの力が紙飛行機に宿ると暗闇に緑の尾を靡かせて、紙飛行機は『食道』の奥へと消えていく。

 少しずつ萎む様に『食道』は小さくなり続けると、程なくして元の世界へと続く道は完全に消滅した。
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