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第一章 幸せのありか
44 side哉
しおりを挟むすぐにでも樹理をつれて帰るつもりだったのに、目の前に速人が立ちふさがるようにしていた。
座っていろと言われて仕方なく患者用の丸いすに腰掛けて、目の前にいる不機嫌そうな速人を見ていることができなくて背を向けて診察室の壁や、待合室に繋がるドアにべたべたと貼ってあるポスターを眺める。
「……お前、自分が何をしているか分かってるのか?」
冷やりとした速人の問いに、首を横に振った。
「まぁ……分かってたら来ないだろうけどよ」
呆れたような、速人の言葉。
「あの子も、お前のところに帰るなんて、なに考えてるんだか」
それは、わかる。
いくら口で構わないと言われても、父親の会社のことが頭から離れないのだろう。
取引中止を知らせたその日にやってきた樹理。必死になってその身を差し出してでもその決定を取り下げてほしいと頼んできた樹理が、そんな口約束が本当に果たされるとは思っていないのだ。最初からひどいことばかりしてきた。信用しろと言う方が無理だろう。
ならば……と。その思いにつけこんで、それならば引きとめようとここに自分は来たのだ。
頷くことが出来なくて、そのまま会話が途切れたところに、待合室のドアが開いた。
「あ、あの。お待たせして、すいませんでした」
目が合って三秒ほどの間を置いてから、樹理がそう言って頭を下げた。
どう応えていいのか分からなくて、哉が黙ったまま立ちあがる。
「哉!!」
その背中に速人が少し声を荒げた。
「お前は何も言うことがないのか?」
それはそのまま、お前、本当はなにをしたのか覚えていないだろうと言う意味だ。
覚えていた。
ずっと逢ったらまず謝ろうと思っていた。ずっと謝りたかった。
なのに顔をみたら、もうそれだけで何も言えなくなった。
促されてやっと、唇が潤滑油を注されたような気がした。
「悪かったな。帰るぞ」
それだけ言って立ったままの樹理の横をすり抜ける。後ろで速人がものすごい剣幕で怒鳴り散らしていたけれど哉は全く聞いていなかった。
「はい」
樹理のその返事だけが聞けたら、それだけで良かった。
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