幸せのありか

神室さち

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第二章 恋におちたら

63 side哉

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「気づいたわけじゃない。知ってるんだ。キミの母親の瑠璃華(るりか)さんのことも。俺は十二になるまでキミのおばあ様に日本舞踊を習ってたから」


 カップを持ったままの手を口元に運び、また一口飲んで、哉はカップをソーサーに戻した。

「キミが生まれたのは俺がやめた後だったけれど、年に数回ある師範の演舞会には招待状をもらっていたから何度か顔を出したことがある。そのときまだ一歳になるかならないかのキミを瑠璃華さんに息子だと紹介されたよ。名前はミドリじゃなくて、音読みでスイ」


 哉の口元が、そのときのやり取りを思い出して二人が気づかない程度に少し上がる。瑠璃華がまだ歩けない息子を見せて、哉に息子の名前を言った後、付け加えた言葉。あなたに似ているでしょうと。

 なにも返さない哉に、瑠璃華がにっこりと笑んで『名前』と付け足したのを見て、短く同意したことを。



「その後、あの事件があったあとは俺も招待を受けなくなったし、会ってはいないけれど。キミは好きでそうしているのか? 一人称がボクなのは、夢と現(うつつ)がわからなくなった瑠璃華さんへのささやかな抵抗?」

 それから二・三年後、瑠璃華の夫は逮捕された。児童虐待と暴行障害。もともと彼女は彼女の夫を男性として受け入れることができていなかったのだ。いつも一緒に育った人物を、兄という認識以上には愛せなかった。そしてさらに、彼女は自分の息子も愛せなかった。柴田の流派は男性型の舞踊もあるが、基本的に女子が継承する。跡取りは男の子では意味がないと思っていたのかも知れない。それらの理由の全てに齟齬があったのかは知れないが、徐々に狂いだした歯車は被害の矛先を幼い子供と弱い女性に向かわせて、最悪の結果を生んだ。体と精神に大きな傷を負った彼女が自分が生んだのは娘だと思い込んでいると聞いたのはいつだっただろう。




「何にも知らないくせに……悪いのは全部あの男で、母様は被害者だ。何にも悪くない。最近はそうでもなくなったけど、ボクはあのあと大人の男の人が怖くなって、普通に暮らせなくなった。だからおばあ様が今の学校に入れてくれたんだ。言っとくけど、ボクはこのボクをやめるつもりはないからね。おあいにく様」

 視線をそらしたまま、翠が自分に言い聞かせるようにつぶやいた。本当に、悪いのは一人きりなのだろうか。そう思っても、今更どうすることもできない。翠はやめないというが、あと二年もすれば性別をごまかしきれなくなる可能性だってあるのだ。


「どうするの? お姉さまに言う?」

 さめたような笑みを口元に湛えて、翠が言う。



「キミたちは樹理の友達なんだろう?」



 質問を質問で返されて、翠が少し不機嫌そうな顔になった。

「なら、樹理に話したいと思ったときに話してやってくれ。先の質問も、樹理が話したくなったら話すだろう」

 一瞬の間のあと、ぽんと真里菜が手を打った。



「あ、やっぱりこの二人ってっ ふがっ!」



 真里菜の口をふさいだ翠が微笑みながらも怖い形相で、十センチと離れていない場所からにらみつける。目の前の男は危険だ。できるだけ係わり合いにならないほうがいいと翠の本能が告げている。この軽い口からでた失言のせいで古傷をえぐられた身にもなってみろと言いたいのだろう。





「お口縫おうか? リナ?」


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