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君は僕に似ている
2-3
中学社会科の学習内容は、主に『地理』『歴史』『公民』に分けられほとんどの学校ではその三つを三学年に分けるが、この学校ではほぼすべて全てが並行して進行していく。中学で学ぶべきカリキュラムに高校のレベルの内容が加味されながら、それを二学年の末には終了しているというスピードだ。三学年からはそれらの知識を基礎として浚(さら)えながら高校の社会科のカテゴリで政治、法律、経済学や哲学、倫理学まで学んでいく。
故に、中学二年度の春には、社会科の素地である地理はほぼ終了し、歴史は中世から近代。歴史上文明が進むに比例して日本を含めた世界史に付随する公民の内容が増えていく。つまり、地理の教師として赴任してきた彼女が二学年の社会科を受け持つなどあり得ない話なのだ。
……のだが。
結局席替えが行われないまま、礼良の席は特等席のままだ。ほんの五十センチほども離れていない目の前の教壇に腰かけて例のごとく足を組み、上げた膝に肘をついていつまでたっても上履きを履かずにスリッパをつま先でブラブラさせているのは、本日目にも鮮やかな真緑──言うならばビリジアン色──のスーツを身にまとった『北條先生』
彼女はチョークを使わない。
だって手や袖が汚れるから。
彼女の授業には脈略がない。
だって、その日思いついた事を喋るだけだから。
まるで冗談を絵にかいたような授業内容に、井名里礼良はそれでも表情には全く出さずにその内側では飽き飽きと、頬杖でも付きながら窓の外を眺めていた方が幾分気が晴れる思いで、外側の優等生を維持していた。
「そうそう、四大文明って知ってる人ー?」
生徒の挙手を促すように、問うた当人が右手を挙げている。それに勢いよく反応したのは速人と藤司だ。二人でどちらが実冴を先に落とすのか勝負しているらしく、とにかくアプローチとアピールに余念がないのだが、当の実冴はちゃらちゃらと軽い雰囲気を纏(まと)いながらお子様には興味がないのかそれこそ軽くあしらっている。
入学式などの直後のホームルームでの実冴の自己紹介に、お決まりの『彼氏はいますか?』と同時に質問し、今はいないとの答えに異口同音で立候補したバカもこの二人だが、二人とも付き合っている女の子がいることをあっさり看破されて撃退されていた。赤いスポーツカーの所有者が実冴だと知って、乗せて乗せてと騒いでいたが、そちらも『助手席には決めている人間しか乗せない主義だから、免許取ったら譲ってあげる』と体よく断られていた。
「んー じゃあ一人一個ずつね。まずは小笠原君にしようかな」
ハイハイハイハイ!! と、無駄に元気に手を上げていた藤司に実冴が笑みを投げかけて指名する。
その後、速人や他の生徒合計四人、己の知識を披露した後で、実冴がにっこり、一番近くに座る礼良に笑いかけて、両手を教壇の端について丸めていた背を伸ばす。
「実は古代文明って四つじゃないんだよねー」
その言葉に去年の今頃、確かに教科書にはその四つの文明しか書かれていなかったし、中年の男性教師がこの四つが──と当然の様に教えた内容と違うと皆が興味を持ち始めて顎を上げるように生徒を見据える実冴に注目している。
「と言う訳で。残りの文明知ってる人ー?」
笑顔で先ほどと同じように手を上げ問う実冴に、誰も答えない。礼良がちらりと左側に視線を移すと、授業の内容などわれ関せずとばかりに黙々と暗記する勢いですでに四周目の世界史教科書の黙読をしていた哉が、顔を上げてちらりと礼良を見る。
誰も答えないせいか、教室内が少しずつ騒がしくなる。
「えー だーれも知らないの? って言うか、んなわけないわよね? ねぇ?」
視界の端で緑のスリッパが揺れている。視線を実冴に戻せば、にっこりと口角が左右非対称で上がった笑顔だが、目が笑っていない。
その目は『知っているのならさっさと答えなさい』と暗に促している。おそらくこれ以上沈黙を続けると、スリッパが飛んでくる。彼女が未だに上履きを使っていないのは、このスリッパを凶器にするためであることなど一組の誰もが知っているが、その凶器が振るわれるのは井名里礼良に対してだけなので、気の毒そうにはしていても、誰も止めない。いや、止められない。速人や藤司に至っては、一番かまってもらえている礼良のことを羨ましそうにさえしている。
羨ましいのなら代わってやるからとりあえずこの女が好きそうな変な雑学を収集しろと心の中で呟くが、実冴の引き出しは無駄に伊達に数年早く生まれてきているわけではないことを確認させるようになのか、これまでに二回ほど礼良でさえ答えに悩むような珍問題を供してくれているのでなかなか侮れない。その上、予測がつかない。今日にしても、前半北欧人と乳製品の話をしていたと思えば唐突に古代文明だ。テストでヤマをあてるより傾向と対策を立てるのは難しい。
立ち上がって発言しようとした礼良を実冴が止める。
「発言する前に挙手。ハイ、井名里君」
いやいや挙げているようには見えないように、すっとまっすぐきれいに右手を挙げた礼良を、何が楽しいのか、本当に楽しそうに実冴が指名する。
もともと、四大文明という発想はアジアでは広まったが、以外ではあまり知られていない。四大文明に分類される文明はユーラシアとアフリカにある文明のみだ。それ以外に最近では考古学上それらの文明と同等、もしくはそれ以上に繁栄発展した文明が南北アメリカ大陸にもあることが分かり、また、中国では黄河の他に長江にも文明があることもわかっている。大勢の考古学者が奮闘した結果、古代文明、文化は爆発的に増えたが、相変わらず学校では古い知識に固執しているだけだ。
とはいえ、古代文明は大類して六つ。その中にこまごまと独自の進化を遂げた文明、文化が類され、数え上げれば相当数に達する。
残り二つの大類と、その中でも特筆すべき文明をいくつか掻い摘んで説明する。
「んー まぁ そんなもんかな。とりあえずテストには出ないからまじめに覚えなくてもいいわよ」
ペタンとスリッパの音を響かせて実冴が教壇から降りるのと同時に授業の終了を知らせるチャイムが鳴り響く。それを聞き終えて、日直の号令で礼をする生徒たちに手を振って、目に痛い緑色が教室から消えた。
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