悪役令嬢は推しのために命もかける〜婚約者の王子様? どうぞどうぞヒロインとお幸せに!〜

桃月とと

文字の大きさ
2 / 163
第一部 悪役令嬢の幼少期

1 今ならまだ間に合うはず

しおりを挟む
(やばいやばいやばいやばい……!)

 やばい、やばいしか浮かばないわ。えぇっと……私は誰? ここはどこ? なんだろう、身体が思うように動かない。だるい。うっすら目を開けてみると、人影がみえる。焦点がなかなか合わないが、綺麗な銀髪の女の人のようだ。

「————リディ!」

 そうだそうだ。それが今の私の名前だ。そしてこの人は私の今の母親のサーシャだ。目の焦点が合い始めたのと同時に、記憶の焦点も合い始めたようだ。

 リディアナ・フローレス。公爵家の長女。この間十歳の誕生日を迎えると同時に、この国の第一王子との婚約が決まった。地位良し、器量良し、魔力量よし、誰もが羨むちょっと我儘なレディである。今のところは。

「おか……あさ……ま……」

 声がかすれている。どれくらい眠っていたのだろう。確か例の流行り病にかかって、それから……。
 
 母の頬に涙がつたうのが見えた。

◇◇◇

 状況を整理しよう。私、リディアナは現実を受け止めるために、ふかふかのベッドに座り広々とした豪華絢爛な部屋を見渡した。窓から入ってくる風が気持ちいい。

 箒星が一晩中見えていた日に生まれた子ということで、部屋が天体のモチーフに溢れている。記憶を取り戻した私からすると少々ファンタジー色が強い。

「エリザ、なにか書くものを持ってきてくれるかしら」
「承知いたしました、お嬢様」

 体はだいぶ回復したようだ。ただ一か月も横たわっていたせいか、体の動きが悪い。少々リハビリをしなければ。クルクルと肩を回してみるが、やはりぎこちない。エリザが無表情で書くための台をセッティングしている。

「ありがとう。ミルクもいただける? 熱々なのがいいわ!」
「すぐにご用意いたします」
「ゆっくりで大丈夫よ」

 さて、箇条書きにしてみよう。

・名前 リディアナ・フローレス
・年齢 十歳 公爵家五人兄弟の長女
・一昨日まで流行り病で死にかけていた
・侍女のエリザ 無表情だが有能
・母はサーシャ・フローレス 女当主で治癒師
・父はロイ・フローレス 他国貴族の五男
・叔母のリリー・フローレスはこの国の聖女 
・婚約者は第一王子のレオハルト 

 はぁ……ここまで書いて大きく息を吐く。手元に置いてある手鏡で自分の姿を映した。ツヤツヤの豊かな黒髪にキリッとした大きな黒い瞳。病気のせいで痩せこけ、顔色もあまりよくないが、それでもなお美しさがわかる。これは、やっぱりそうだ。

(転生したんだ……『アイリスの瞳』の世界へ)

 『アイリスの瞳』は前世で大ハマりしていた冒険恋愛ファンタジー漫画である。剣と魔法そして魔物のいるファンタジーな世界で繰り広げられるあたたかな恋愛が、私の(ブラック企業での労働によって)傷ついた心を癒してくれたものだ。

(働いて働いて働いて……家と会社の往復ばかり……出会いの場なんてなかったのよ!)

 またため息をつく。大好きな世界に転生できた。だけど、なんでよりにもよってリディアナなんだ。主人公のアイリスとはいかなくても、その親友のライザとか、冒険者ユリアとか、もうそれこそモブとかでもよかったのに。なのに……。

「うわぁぁぁん! なんでよぉぉぉ! 私が何か悪いことしたってのぉぉぉ!!?」

 ああ、思わず叫んでしまった。

「お嬢様!?」

 バン!と勢いよく扉が開き、ミルクをこぼしながらエリザが急いで駆けよってきた。急いで紙をひっくり返すが、別段見られて困ることは書いていないに気が付く。どっちにしろ、日本語で書いたので読めはしないだろう。

「ごめんなさい! なんにもないの。それより……」

 エリザの手が赤くなっていた。ホットミルクが手にかかり火傷してしまったようだ。その手に自分の手を重ねる。美しいパチパチとした白い光が患部に当たると、徐々に火傷が治っていくのがわかる。

「いけません! おやめください!」

 ひっこめようとした手をつかむ。

「大丈夫よこれくらい。ビックリさせてしまってごめんなさいね」
「お嬢様……」

(うーん、やっぱり練習がいるわね)

 このくらいの傷、主人公なら一瞬のはずだ。物語の中のリディアナは、有名な治癒師の家系でありながら、治癒魔法はあまり得意ではなかった。しかしそんなことはなんの問題にならないほど莫大な魔力を有していたのだ。あらゆる魔法を使いこなし、その膨大な魔力でごり押しのように主人公の邪魔をする。いや、言い換えよう……殺意をもって主人公の前に立ちはだかる。
 
 悪役令嬢 リディアナ・フローレス 

 それが今の私。物語の世界のラスボスである。八年後、莫大な魔力でこの国に厄災をもたらす。しかし主人公たちの力によって最終的に封印されるのだ。そして我が家は私の存在によって爵位をはく奪され、没落していく。

(封印って! どこの大魔王かってのよ!)

 悪役令嬢の最後によくある処刑じゃないのは、お優しい主人公に最後まで人を殺させないためか。この場面、ネットでは賛否両論だった。私はというと、サクッと殺さんかい! 派だったのだ。悪は厳しく罰せられるべき! と。

(いやいやいや! 無理無理! 運命怖すぎ!!)

 他人ごとだと思って前世の私ったらなんて浅はかなっ! 今の私が泣いてるぞ!?

(だいたい封印っていつまでよ……未来永劫とかだったら怖すぎるんだけど)

 ある意味処刑より残酷なのでは!? 転生という体験をした今となっては余計にそう感じる。いや、そもそも処刑も封印も絶対に避けたいことだが。
 
 光がおさまった。どうやら綺麗に治ったようだ。エリザの手を放す。

「申し訳ございませんでした。お身体は大丈夫ですか?」
「全然なんともないわ!」

 エリザが無表情で頭を下げる。彼女は悪役令嬢の右腕だった。悪逆の限りを尽くすリディアナに最後まで裏切らず付き従っていた。

「エリザ、あとでお母様と話がしたいの、魔法学を本格的に学びたくって」
「承知しました」

 エリザが出て行ったので再び紙に向かう。

・『アイリスの瞳』 主人公アイリスと悪役令嬢リディアナ 十五歳から物語が始まる
・皇后になるために邪魔になりそうな第二王子を殺害、第三王子殺害未遂
・悪行三昧の末、第一王子に婚約破棄される これをきっかけにこの国の厄災の令嬢と呼ばれる存在となる

 そして何より大事なこと、

・フィンリー様、リディアナから主人公を庇って死亡
・リディアナ、主人公に負けて封印される

「————ッ!」

 危ない危ない、また叫びそうだった。髪の毛をくしゃくしゃにしながら頭を抱える。

(無理無理無理無理無理なんだけどっ!)

 フィンリー様は私の推しである。まず、主人公の相手役であるレオハルトよりも外見が好みである!柔らかそうな薄いブラウンの髪の毛、少したれ目、綺麗なグレーの瞳……細マッチョ! 女たらしだが、実は一途で、普段が緩い感じだからこそ、ここぞというときのキリッした表情のギャップがたまらない。そして主人公への恋心を秘めているが、決して面には出さない。陰ながら主人公を支えるのだ。いや……たまに気持ちが漏れているが、そこは鈍感という主人公特性により気づかれることはない。はあ……好き!!!

 しかし最期はリディに殺される。愛する主人公を庇って……。

 辛い日々、どれほど彼に救われたことか。彼が死んだ日、生まれて初めて有休をとった。友人たちからの連絡に返信する気力もなく、大騒ぎになったというエピソード持ちである。生粋のオタクをやっていた。
 トントンとノックの音が聞こえ、どうぞと声を出すやいなや父が部屋に入ってくる。

「リディ! 今日の調子はどうだい?」

 にこやかな目の下のクマが痛々しい。疲れていることを隠そうとしているのがわかる。私と同じ、黒髪と黒い瞳の持ち主である。

「ええ、もう大丈夫です。……ソフィア、ロディ、シェリーは……?」

 フローレス家の次女のソフィア、次男のロディそして生まれたばかりの三女シェリーは長い闘病生活の末、冬の寒い日に亡くなったと原作に記載があった。私と同じ流行り病で。今は秋が始まったばかり、そうなるまでにはまだ猶予がある。

「ああ、今は落ち着いているよ。サーシャが見てくれているからね。リディはまだゆっくり身体を休めるんだよ」
「お父様も……」
「ははは! 私は大丈夫さ!  体力だけはあるからね」

 安心させようと、優しく話しかけながらぐしゃぐしゃになった髪の毛を整えてくれる。手の温かさが心地いい。父は使用人だけに任せず、自身で看病しているのだろう。そういう人だ。

「お母様は大丈夫でしょうか。私の治療にかなりの魔力を使ったと聞きました」
「あのサーシャだぞ! 大丈夫さ!」

 母はこの国一番の治癒師である聖女と同等の力を持っている。その母を持ってしても、この流行り病の治療には苦戦しているのだ。
 実際、原作で我が子三人を失うことになった母は、失意の中少しでも命を救おうと、治癒師の少ない地方へと赴き、そこで命を落とすことになる。この穏やかで優しい父は相次ぐ家族の死に激しく打ちのめされ、酒に溺れ、家庭は崩壊していく。その流れでリディアナは闇落ちし、この国の厄災となっていく。という話が悪役令嬢の過去エピソードとして描かれていた。

「それじゃあ戻るからね。寂しくなったら呼ぶんだよ?」
「お父様ったら、もうそんな年ではありませんわ!」
「まだ十歳になったばかりじゃないか! 皆が急に大人びたって噂していたけれど本当にそのようだね」

 しまった! 確かに少し子供らしくなかったかもしれない。どうも前世の人格にひっぱられているようだ。こっちでは十年だが、前世では二十六年生きている。前世の人格が優位になるのも仕方がないことかもしれない。

「も、もう十歳ですわ! 婚約者だっておりますのよ!」
「ははは! そうだね。立派なレディだ! 元気になって本当によかった」

 さて、当面するべきことを考えよう。私はこの流行り病の原因を知っている。治療方法もわかっている。まずはこれを終わらせなければ。家庭崩壊なんてまっぴらごめんだ。闇落ちなんて勘弁してくれ!
 何よりすべきことは、

「フィンリー様の命を守らなければ……!」

 今の私であるリディアナがフィンリー様の命を奪うなんて到底考えられないが、正直、何が起こるかわからない。だけど前世の知識がある、これを使わない手はない。物語は私もアイリスも十五歳になってから始まる。今ならまだなんとかなることも多いはず。

 フィンリー様のイケおじ姿! いいえその先のイケてるおじいちゃん姿まで拝んでやるわ!!!

 さあさあ! そうと決まればとっとと行動開始よ!
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

悪役令嬢ですが、当て馬なんて奉仕活動はいたしませんので、どうぞあしからず!

たぬきち25番
恋愛
 気が付くと私は、ゲームの中の悪役令嬢フォルトナに転生していた。自分は、婚約者のルジェク王子殿下と、ヒロインのクレアを邪魔する悪役令嬢。そして、ふと気が付いた。私は今、強大な権力と、惚れ惚れするほどの美貌と身体、そして、かなり出来の良い頭を持っていた。王子も確かにカッコイイけど、この世界には他にもカッコイイ男性はいる、王子はヒロインにお任せします。え? 当て馬がいないと物語が進まない? ごめんなさい、王子殿下、私、自分のことを優先させて頂きまぁ~す♡ ※マルチエンディングです!! コルネリウス(兄)&ルジェク(王子)好きなエンディングをお迎えください m(_ _)m 2024.11.14アイク(誰?)ルートをスタートいたしました。 楽しんで頂けると幸いです。 ※他サイト様にも掲載中です

王子の片思いに気付いたので、悪役令嬢になって婚約破棄に協力しようとしてるのに、なぜ執着するんですか?

いりん
恋愛
婚約者の王子が好きだったが、 たまたま付き人と、 「婚約者のことが好きなわけじゃないー 王族なんて恋愛して結婚なんてできないだろう」 と話ながら切なそうに聖女を見つめている王子を見て、王子の片思いに気付いた。 私が悪役令嬢になれば、聖女と王子は結婚できるはず!と婚約破棄を目指してたのに…、 「僕と婚約破棄して、あいつと結婚するつもり?許さないよ」 なんで執着するんてすか?? 策略家王子×天然令嬢の両片思いストーリー 基本的に悪い人が出てこないほのぼのした話です。 他小説サイトにも投稿しています。

実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」 氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。 「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」 ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。 成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。

転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。

琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。 ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!! スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。 ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!? 氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。 このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。

処理中です...