【完結】殺し屋令嬢は真実の愛を探します

4 婚約破棄された令嬢の父親

　フラン侯爵家は代々王族の護衛を司る近衛師団の師団長を務めている。だがルビー・フランには他に兄弟がいない。彼女の父、ジェード・フラン侯爵は今は亡きルビーの母親を深く愛していたので、後妻を迎える気にならなかった。それで娘の婿に家督を譲ることに決めたのだ。

　ルビーはフラン家の気質をしっかり受け継ぎ、誇り高く、強い意志を持った娘に育った。少々他の令嬢よりも気が強いが、それも含めて頼りになる立派な娘に成長したと、ジェードは喜びを感じていた。娘婿には剣術大会で優勝経験もあるベイラー侯爵家の三男アドルフに決まり、実力面でも一安心だと亡き妻の肖像画に語り掛けもした。

（アドルフの素行は気になるが、ルビーが負けるとは思えんしな）

　真面目なルビーが度々婚約者の浮ついた態度にヤキモキしていることは知っていたが、それを上手く飲み込みコントロールするのもフラン家の人間として必要な技量だとジェードは考え、特に咎めることもしなかった。アドルフもルビーと婚約した今となっては極端に愚かな真似はしないだろうと高を括っていた。

（なんせベイラー家の家計は火の車だからな。うち以上の縁談が来ることはない。婚約破棄などなれば困るのはアチラだ）

　アドルフの実家の現状はちゃんと把握していた。だから愛する一人娘を嫁に出すよりも、立場も強みもある状態で結婚する方が肩身の狭い思いもすることはなく幸せだろうと判断したのだ。

　そんな彼の人生設計が狂い始めたのは、マルセル王がバルドという商人に男爵位を与えてからだ。金で爵位を与えるなど彼が王になってから初めてのことだった。近くにいることが多いジェードは、王が酷く悩んでいたことに気付いていた。

「ハァ……一国の王と言えども私の力などこのようなものだな」

　珍しく弱気な王に、なんとか励ましの言葉をひねり出す。

「国庫がかなり潤ったとうかがいました。備えがあれば何事にも対応が出来ます。今更ただの貴族が2人増えたからといって何かが変わることもないでしょう」
「ハハ……ただの貴族か……」

　意味深に呟く王は何かを恐れているような顔だった。

「秘密を守れるか……？」

　王の瞳が不安気に揺れる。

「……フラン家としての、近衛兵のしての心得はございます。陛下の独り言を他言することなどございません」

　まだ少し迷いがあるようだったが、マルセル王は意を決したように小声で話し始める。

「これは噂話だ……ベルーガ王国のな」

　ジェードはゆっくりと頷く。

「ベルーガ王家は代々伝わる裏の仕事を行う一族を召し抱えている。その一族は幼い頃から厳しい訓練を積み、ありとあらゆる技能を身に着けているのだそうだ。妖術のような技を使う者もいるという話も聞く。殺し、盗み、諜報……何もかも請け負う、そんな特異な存在……」

　特に驚くことではない、そうジェードは感じた。権力者が暗殺者を雇い、政敵を闇に葬るなんて話は世界中にゴロゴロ転がっている。大国であるベルーガ王国ならそれこそ不思議な話でもない。お抱えの暗殺者くらいいるだろう。

「その一族の名はバルド。家族構成は不明だが、世界中にありとあらゆる情報網を持っているという話だ」

（バルド……なるほど、陛下はそれを心配されているのか）

　マルセル王は慎重な男だ。その噂が万が一本当だった場合、不穏分子を自国の貴族にしてしまったと不安に思っているのだとわかった。

（だが……）

「そんな堂々とした暗殺一家がいるわけがないと思うだろう？」

　自嘲気味にマルセル王は笑った。ギクリとしているジェードの考えなどお見通しだと言わんばかりに。そして自分の考えがただの妄想で、心配のし過ぎだったらどれだけいいだろうという気持ちも込めて。

「バルドはベルーガ王の手紙付きでやってきた……ただの一介の商人にだ。調べさせたが、バルド商会などベルーガ王国には存在しなかった……もちろんアチラは私が身元を調べることなどわかっていただろう……隠す気はないのだ」

　それは大国と自国の力の差でもあった。例え何か企んでいたとしても、手の打ちようもないということだ。
　だが両国は現在関係はわるくない。特に今の王は穏健派で知られている。何の用があって恐ろしい一族を送り込んできたのか。皆目見当もつかなかった。

「気をつけろジェード……バルドには関わるな……くれぐれもな。万が一の時はすぐに逃げろ……」

　その言葉の本当の意味がわかったのは、娘の婚約者であるアドルフが連れてきた可愛らしい人物が名乗った時だった。

『ダリア・バルドでございます』

　王のあの言葉の数々は、今この時のことを示唆していたのだ。
　
（いったい何が目的だ！？）

　途端に額に汗が浮かび上がる。王の言っていた言葉を思い出したからだ。

（バルドは殺し、盗み、諜報……何もかも請け負う……）

　肝心のダリア・バルドは穏やかに微笑み続けるだけ。立場ある大人の男に凄まれても少しの恐怖も感じていないようだった。娘のルビーに近距離で投げつけられたティーカップも危なげなくスッとかわし、いよいよ目の前にいる愛らしい姿の女が恐ろしくて仕方がない。

（何故だ！　何故こんな小娘1人に勝てる気がしないのだ！？）

　フラン侯爵は王の護衛を務めるほどの武術の達人だ。なのに、細い腕に華奢な体。そんなダリアを前にして、蛇に睨まれた蛙のような気分になった。
　
（陛下はご存知だったのだ……我が家にバルドが関わってくることを！！！）

　マルセル王はフラン家へ忠告してくれていたのだ。バルド家にバレてしまうリスクを冒してでも、長年王家に尽くしているフラン家が対応を間違えないように。

（我が家を心配してくださったのか……）

　だからすぐに相手の条件をのんだ。なんのペナルティもなく婚約破棄をその日その場で受け入れた。
　愛する娘が酷く傷つけられたこともわかっていたが、それすら受け入れて一刻も早くバルドと繋がるベイラー家との縁を切ることを選んだ。

（ルビーのことだ……例えバルドの噂を知ったとしても食って掛かるに決まっている）

　だから何も話さなかった。ただ、探るな、とだけ告げて。プライドを傷つけられ、打ちひしがれる娘をみるのも辛かったが、どんな目にあわされるかわからない以上こちらから動くことは出来なかった。

「すまないルビー……」

　その娘は、自らの力で立ち上がった。案の定、バルド男爵がフラン家の屋敷に来ている最中にだ。

「夜会のお誘いなど、手紙で十分ですが……」
「いえ、我が家の……娘の非礼をお詫びする口実にもなりましたので」

　バルド男爵は娘と同じようにただニコニコと笑うだけだった。こちらの緊張もおそらく伝わっているが、どうでもいいようだった。

「我が家の主催ですとルビー嬢はお嫌でしょうから、レッチェン伯爵家のお名前をお借りしました。間も無く招待状が届きますので、どうかお嬢様とご参加いただきたいのです」

　ジェードは言葉に詰まった。

（どちらが正解だ！？）

　言う通りに参加すべきか、徹底的に避けるべきか。

「……陛下もお忍びでいらっしゃる予定でございます」

　こちらの思考などバルド男爵にはお見通しなのだ。こうなればもう肯定の言葉を伝えるしかない。

「わかりました」
「ああよかった！　きっと素晴らしい夜になるでしょう！」

　バルド男爵は上機嫌で帰って行った。ルビーが失礼な態度をとったと言うのに、それすら嬉しそうな表情をしていた。

　どんな罠が待ち構えているかと、相打ちを覚悟で参加した夜会だったが、蓋を開けてみるとまさかのベルーガ王国の第一王子クリフが身分を隠して参加していた。
　父親の命令で嫌々参加していたルビーと意気投合し、まさかベルーガ王国と今後長い付き合いになるとは。

（バルド家はなんでも請け負う、か……）

　その中にまさか王子の婚約者探しまであるなんて、ジェードは知るはずもなかった。