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第三話 春告げるクロッカス
しおりを挟む近頃の彼女は深夜に騒がしい。
お気に入りのキュンキュンドラマを、夜な夜な配信サブスクで観てからベッドに入るのが彼女のルーティーンなのだが、最近は観終えたあと、僕にばれないように何やら深夜にコソコソ……いや、むしろドタドタしている。
今夜も早々に僕を居間から追い出して、ひとりでキュンキュンしたあと、寝室のドアを少しだけ開けて僕の様子を片目だけ覗かせ伺っている。
怖いだろ!
彼女の名は胡桃。二年半の同居生活を経て僕のお嫁さんになった笑顔のかわいいクリニック勤務のナースである。
本人大真面目な中、図らずも花嫁自ら結婚式の真っ最中に大爆笑をとってしまうような天性の才能のせいで、僕はほぼ年中無休で吹き出しっ放しである。彼女は居るだけで面白いのだ。
そんな胡桃が僕に隠れて、何をコソコソしているのか。コソコソしているのがバレてないと信じている時点で、すでに面白い。
僕の様子を覗いているのを気付かれていないつもりでいる胡桃が、寝室のドアをそっと閉めるのがわかった。
今夜こそ、僕も彼女の深夜の謎を見極めようと、胡桃が閉めたあとの寝室のドアを再び少しだけ開けて、片目だけで居間の胡桃の様子を伺ってみた……胡桃の正体が狸であろうが狐であろうが、僕は僕は胡桃を愛してるぞ! と内心ドキドキの覗き見である。
胡桃はサンドバッグ型の細長い巾着の中から、いくつかの弧の形状のゴムでできたパイプを取り出して、必死に繋げている。
「んもぉ、固くてはまりにくいわ!」
パイプをはめ込むたび、むんっと唸りながら白目を剥く彼女に、僕は吹き出すのを堪えるのに激しく悶えた。危なかった。もう少しで覗いているのがバレるところだった。
「楽くんにバレる前におなかへこまさないと」
ちなみに楽とは、僕の名前である。
なんだ、そういうことか
胡桃の腹まわりが少しくらいサイズオーバーしたって、それに気付くほど神経質じゃないし、気付いたとしてもそれほど気にしたりしないのに。
ゴムの弧を繋げ終えると、そこそこ重みのあるフラフープの完成だ。胡桃はそれを勢いつけて回し始めたのである。
「ふんっ!」
気合いと共に胡桃の息が漏れる。
フラフープは胡桃の腹を2、3周すると直ぐに落ちてしまう。そのたびにドサッと音がする。
この音か。
簡単なように見えてコツのいるフラフープに翻弄されて、よろけてテーブルにぶつかるドタッという音も含まれる。
胡桃の健気で豪快な努力に感心しつつ、またぎっくり腰になったらどうするんだよと心配しつつ、横隔膜の奥から鼻に通り抜けようとする笑いを制御できない。
フラフープを回し始めると、なぜか上手くもないのにバレリーナのように両腕を頭上高く交差させる。腰で回るフラフープをキープしようと、ふぅふぅ言いながら頑張る胡桃のぐるぐる回る白目……もう限界だ。ぶはっ。
僕はついに堪えかねて、吹き出すどころか大爆笑しながら居間に転げ出てしまった。
僕の涙溢れる大爆笑に、しばし沈黙の胡桃……怒っている。もうその半白目で睨むのやめてくれ、と僕はしばらくの間、ひぃひぃと腹を抱えていた。
「そのフラフープどうしたの?」
「こないだうちのクリニックに入ったナース友にもらったの」
「新人さんかあ」
「まあね、でも元々小中学の同級生で友達。だからもうベテランナースよ。咲椰ちゃんていうの。生まれた日が同じだったからすんごい仲良くなったけど、中学の時にすんごい大喧嘩してそれっきりだったんだ」
「じゃ、久しぶりのご対面だったんだね」
「すんごい久しぶりだった。けど、すぐにわかった。お互いあんまり変わってなかったから」
胡桃は楽しそうに続ける。
「咲椰ちゃんてすんごく小ちゃかったんだけど、今も小ちゃいの。でね、あたし達の秘密、楽くん知りたい?」
知りたい? と訊かれたということは、胡桃は話したいのだろう。
「知りたい」と答えると、
「ふふぅん、では話してあげましょう、あたしと咲椰ちゃんのひ、み、つ」
*
それは咲椰さんが胡桃の勤めるクリニックに入った頃の昼休みのこと。喧嘩も含め、子供の頃の懐かしい思い出話に花が咲いていた時のことだった。
「胡桃ちゃん、お弁当箱大きいね。いっぱい食べるんだね」
「そういう咲椰ちゃんはそれしか食べないの? だから昔も今も小ちゃいんだよ。小学生の時なんて、ありんこみたいに小ちゃかったもんね。こーんなに小ちゃかった」
胡桃は親指と人差し指で作る丸を、思い切り小さくして、咲椰さんの目の前に掲げた。
「ひどい、胡桃ちゃん。私は生まれた時は3800gの健康優良新生児よ。元気でしっかりしてるって、助産師さんに褒めちぎられたんだから。ふふん」
「あら、あたしは助産師さんに、大人しくて小さなお顔に目がぱっちりしててかわいいって褒められたんだから。ふふふん」
咲椰さんの話に闘志を燃やす胡桃は、咲椰さんに向かって目をぱちぱちさせてみせた。
一体何を張り合ってるんだ……こんな感じで子供の頃の喧嘩は勃発したにちがいない、と僕は確信した。
「そういえば、私と同時に生まれた赤ちゃんがすごく小さくて、沐浴の時、慣れてても緊張するって助産師さんが母にぼやいてたんだって。今じゃそんなこと言ったらアウトよね」
咲椰さんが、おそらくだが大人の了見で話題を逸らした。
「そうよ、アウトよ! あたしだって2000gの小さくてかわいい赤ちゃんだったから、そんなこと言われたら他人事じゃないわ……そういえば、あたしも母から聞いた。同じ日に生まれた赤ちゃんが大きくて、沐浴の時に元気すぎて暴れるって助産師が母に報告してたそうよ。これもアウトよね!」
「胡桃ちゃん小さかったんだね」
「かわいかったのよ、ふふん」
「……ねえ胡桃ちゃんて、どこの病院で生まれたの?」
「宮越産婦人科」
胡桃と咲椰さんの完璧なハモり。ガールミーツガール。
とにかくふたりの女子は見つめ合った。
「あたし達って、生まれた瞬間から一緒にお風呂浸かっていたのね……うるうる」
生まれた瞬間に会っていたなんて、しかも裸ん坊で。
中学卒業以来の再会で判明したふたりにとっての衝撃の事実。
手を取り合って涙ぐんだのかどうかは、僕は知らない。
きゃあきゃあ騒がしいふたりの昼休みの会話は、弁当箱の大きさの話に戻って、胡桃が最近ウエストまわりが気になり始めたことを咲椰さんに打ち明けたらしい。
「楽くんにばれる前に、元に戻したいのよ。詐欺だ! って言われる前に」
「結婚して安心したのかしら。ていうか食べ過ぎね。じゃ、いいものあげる。元彼が置いてったものだけど、私は使わないし、嫌じゃなかったらあげる」
そんなわけで我が家にはフラフープがあるのだ。
それからは、胡桃は僕に隠れることなくドタドタとフラフープダイエットを続けていたのだが、ある日職場でめまいを起こして倒れたと連絡があった。
駆けつけると、半白目の胡桃が白い顔でVサインを送っている。
僕が吹き出すのを阻止するようにドクターが、
「栄養失調です。最近ほとんどサラダしか食べていなかったみたいですね。それと……妊娠の可能性が高いので産科にかかって下さい。ここには産科がありませんからね」
妊娠だって? ええええ? すげえ!
*
宮越産婦人科は息子先生の代に変わっていたが、大きくなって現存していた。
「おめでとうございます。妊娠八週です。身体の大きな変調は まだ感じられないとは思いますが、気をつけて過ごして下さい」
「毎晩フラフープをやっているんですけど」
「フラフープ? 出産までは控えましょう。ははは。サラダだけはだめですよ」
僕達は簡単な栄養指導をされ、初めての母子手帳を受け取った。
「なぁんだ、太ったと思ったのは妊娠したからだったのかあ」
違う。それは違うぞ、胡桃。
妊娠二ヶ月で腹がそうそう出るものか。それは、単に純粋に君の食べ過ぎだった。妊娠のせいではない、単に太っただけだ。そこ、間違えてくれるなよ。
でも、太っても騙されただなんて思わないよ。それより素敵な僕達の子を、無事にこの世に送り出そう。
母子手帳を懐に、丘の上の植物園に回り道した。雪解けの足元に、春を告げるクロッカスが小さく存在を主張していた。
第三話 おわり
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