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第6話 したしる天(あめ)
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第6話 したしる天(あめ)①
天正伊賀の乱とは、北畠具教が隠居にと画策していた丸山城跡地を修復増改築し、伊賀支配への第一歩とした北畠信意と伊賀国衆との戦いである。この合戦は、信長の意図するところからではなく、北畠信意の独断によるものだ。結果、北畠信意は伊賀国衆に敗れ、人材も失った。身内の失態は信長の最も嫌うところである。
「茶筅を勘当するも考えとりゃあす!」
怒りは相当なものだった。
と同時に、信長は伊賀国衆すなわち忍びというものに、並々ならぬ警戒心と敵視を傾けた。
忍びとは、信長のめざすものに相容れぬ存在と、強く認識したのである。
安土城竣工の頃、織田信長のめざすものは飛躍していた。多くの者は理解できず、ただ信長個人を信頼することで脇目もふらずに走っていたようなものだ。政教分離、海外雄飛、身分開放、ありとあらゆる常識の破壊を信長は試みた。キリスト教の宣教師は、日本での布教が許されると同時に、アジア諸国で繰り返してきた植民地支配の障害を信長に感じた。庇護者であり、最大の障壁。この状況は海外の者だけではなく、国内の者にも、仏教神道への破壊という懸念を抱かせた。
信長にとって、宗教など空気のようなものだ。
人が何を信仰しようと、知ったことではない。好きにすればいい。ただし、信仰が国を冒すこと、それだけを嫌った。
「人は寝て起きて、その暮らしを維持するために障害に取り組むものだがや。見えもしない神や仏に遠慮して、人の営みに我慢を強いることはならぬものだで」
信長は日本人離れした合理主義者だ。現実を重んじ幻想を廃する徹底した利己の概念を生来持っている。幼少期に〈うつけ〉と蔑まれた多くも、今にしてみれば現実優先の行動そのものである。宣教師の示す地球儀をみて、世界が丸い球であることを理解できた最初の日本人だとさえ囁かれる信長。その信長のことを理解できる日本人こそ、ほぼいないと断言していい。
幸いなことに、信長近辺には理解者が二人いた。
蒲生忠三郎賦秀と、もうひとりは惟任日向守光秀である。
この二人の目からみても、たしかに伊賀は厄介な地だった。北畠信意の一件は早計だが、いつかは手を付けるべき場であると思っていた。理由は、紀伊山中の独立性と伊勢熊野高野の信仰が結びついた公界という点だ。公界とは、極めて厄介な存在である。上ナシという思想は、何物の支配も受け容れない。唯一上となるのは、倭の頂たる帝だけであり、それ以外には公然と牙をむく。
「石山本願寺を平らげたら、次は伊賀でよう」
信長は周囲にそう嘯いた。
天正八年(1580)閏三月五日、正親町天皇の調停で一〇年余におよぶ石山合戦が和議終息した。この戦いののち、譜代重臣・佐久間右衛門尉信盛が高野山へ追放される事件が起きた。理由は様々であるが後世の憶測のみで、合理性を重んじる信長が感情的に処分したとは考え難い。しかし佐久間信盛追放直後、信長は軍制改革を挙行する。近代風にいえば、方面軍の編成といえばよかろう。ただし、方面軍という呼称も当時は存在せず、あくまでも便宜上ととらえて欲しい。
信長は次のように方面軍を編成した。
畿内 惟任日向守光秀
北陸 柴田修理亮勝家
関東 滝川左近将監一益
中国 羽柴筑前守秀吉
四国 神戸三七信孝
ただし方面軍と定義するものの、編成は織田重臣に有力な家臣を付けたものにすぎず、各指揮官には指揮権のみが許され軍勢動員権の自由はない。更にこの全てが同時期に発足したというわけではなかった。事実、このなかの多くは天正九年初頭、伊賀攻めに動員されていた。
天正伊賀の乱とは、北畠具教が隠居にと画策していた丸山城跡地を修復増改築し、伊賀支配への第一歩とした北畠信意と伊賀国衆との戦いである。この合戦は、信長の意図するところからではなく、北畠信意の独断によるものだ。結果、北畠信意は伊賀国衆に敗れ、人材も失った。身内の失態は信長の最も嫌うところである。
「茶筅を勘当するも考えとりゃあす!」
怒りは相当なものだった。
と同時に、信長は伊賀国衆すなわち忍びというものに、並々ならぬ警戒心と敵視を傾けた。
忍びとは、信長のめざすものに相容れぬ存在と、強く認識したのである。
安土城竣工の頃、織田信長のめざすものは飛躍していた。多くの者は理解できず、ただ信長個人を信頼することで脇目もふらずに走っていたようなものだ。政教分離、海外雄飛、身分開放、ありとあらゆる常識の破壊を信長は試みた。キリスト教の宣教師は、日本での布教が許されると同時に、アジア諸国で繰り返してきた植民地支配の障害を信長に感じた。庇護者であり、最大の障壁。この状況は海外の者だけではなく、国内の者にも、仏教神道への破壊という懸念を抱かせた。
信長にとって、宗教など空気のようなものだ。
人が何を信仰しようと、知ったことではない。好きにすればいい。ただし、信仰が国を冒すこと、それだけを嫌った。
「人は寝て起きて、その暮らしを維持するために障害に取り組むものだがや。見えもしない神や仏に遠慮して、人の営みに我慢を強いることはならぬものだで」
信長は日本人離れした合理主義者だ。現実を重んじ幻想を廃する徹底した利己の概念を生来持っている。幼少期に〈うつけ〉と蔑まれた多くも、今にしてみれば現実優先の行動そのものである。宣教師の示す地球儀をみて、世界が丸い球であることを理解できた最初の日本人だとさえ囁かれる信長。その信長のことを理解できる日本人こそ、ほぼいないと断言していい。
幸いなことに、信長近辺には理解者が二人いた。
蒲生忠三郎賦秀と、もうひとりは惟任日向守光秀である。
この二人の目からみても、たしかに伊賀は厄介な地だった。北畠信意の一件は早計だが、いつかは手を付けるべき場であると思っていた。理由は、紀伊山中の独立性と伊勢熊野高野の信仰が結びついた公界という点だ。公界とは、極めて厄介な存在である。上ナシという思想は、何物の支配も受け容れない。唯一上となるのは、倭の頂たる帝だけであり、それ以外には公然と牙をむく。
「石山本願寺を平らげたら、次は伊賀でよう」
信長は周囲にそう嘯いた。
天正八年(1580)閏三月五日、正親町天皇の調停で一〇年余におよぶ石山合戦が和議終息した。この戦いののち、譜代重臣・佐久間右衛門尉信盛が高野山へ追放される事件が起きた。理由は様々であるが後世の憶測のみで、合理性を重んじる信長が感情的に処分したとは考え難い。しかし佐久間信盛追放直後、信長は軍制改革を挙行する。近代風にいえば、方面軍の編成といえばよかろう。ただし、方面軍という呼称も当時は存在せず、あくまでも便宜上ととらえて欲しい。
信長は次のように方面軍を編成した。
畿内 惟任日向守光秀
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ただし方面軍と定義するものの、編成は織田重臣に有力な家臣を付けたものにすぎず、各指揮官には指揮権のみが許され軍勢動員権の自由はない。更にこの全てが同時期に発足したというわけではなかった。事実、このなかの多くは天正九年初頭、伊賀攻めに動員されていた。
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