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第6話 したしる天(あめ)
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第6話 したしる天(あめ)⑥
巳の刻(午前一〇時頃)、噂の一報が安土に届いた。
「惟任ご謀反」
このことに、信用する者はない。しかし具体的に
「上様宿所本能寺炎上中」
との知らせは、留守居である蒲生賢秀をはじめ津田源十郎信益・木村次郎左衛門らを困惑させた。やがて、この知らせが事実と分かると、城内は蜂の巣を突いたような大騒ぎになった。留守居役たちは逃亡し、残された蒲生賢秀は誰に頼ることなく、この場を支える覚悟をした。まず城内の騒ぎを鎮め、二ノ丸にいる信長妻子の安否を確認した。
日野との連絡のため安土に留め置いた町野幸仍に
「倅めに上様ご妻子保護のための兵を至急差し向けるよう」
と指図し、その間、賢秀は情報収集と城下の混乱収拾に応した。勢多城の山岡美作守景隆からは、信長を襲ったのは惟任光秀だと伝えられた。事実、このとき山岡景隆は誘引されており、これを拒絶して対峙している。
「日向守殿が?」
信じられぬと、蒲生賢秀は思いを巡らせた。
「これが誘いの文にて」
物証があると、その事実は濃厚となる。
「しかし、なぜ」
考えるところは、そこではない。信長が討たれたことは、現実だ。受け止めなければならない。忠三郎賦秀から先発の援軍がきた。状況を整理すると、賢秀は忠三郎賦秀に宛て
「惟任日向、謀叛」
と伝令を発した。忠三郎賦秀は我が子ながら聡明な男だ。事実を整理し、最善を導く思考と行動を示すだろう。まずは日野城へ信長の縁者を避難させることが第一だ。
「ここに籠城はできぬのか!」
信長側室・鍋の方が質した。
「ここは籠城に適さぬ城であることは御存じかと」
賢秀の訴えに、誰もが沈黙した。援軍が集まり次第、ここを退いて日野城に移ることを告げた。
「ならば城を焼き、城内の宝物を持ち出すよう」
別の女房の声に、なりませぬと賢秀は制した。
「宝物を取ること、余人に欲にふけると侮られること必定。また、そのことで神仏から御加護から見放されてしまうこと、無念なり」
こうまで云われれば、如何ともし難し。手に持てる荷のみで、兵に守られて一行は日野へ落ちた。蒲生忠三郎賦秀自ら南腰越えまで迎えに出ていた。
「はや勢多は城を焼いた由」
忠三郎賦秀は山岡勢が抵抗を示し、城と橋を焼いたという情報を得ていた。
「父上、すぐには日向勢も参りますまい。日野の守りを今のうちに固めましょう」
「そうだな、そうしよう」
六月四日までに日野城の守りを固めた蒲生忠三郎賦秀は、周辺の城の様子を探らせるとともに、惟任光秀の出方を注視した。光秀が安土へ姿を現したのは、五日のことである。
光秀は安土の財を用いて与党を収集することや朝廷工作に腐心した。蒲生賢秀・賦秀父子にも恭順を求めてきた。光秀は礼を尽くすため、多賀豊後守や布施忠兵衛等を日野城へ派遣し
「同心あるならば、近江半国を遣わしたい」
と提示してきた。これに対し、賢秀は毅然と拒絶した。
「上様の御恩を忘れること能わず」
この態度は、頑固一徹といえるものだ。よくぞ申されたと、忠三郎賦秀も威勢を上げた。徹底抗戦をするという日野城の態度に、光秀は困惑した。そして、ひょっとしたら大それた過ちを冒してはおるまいかと、冷静な感情が渦巻いてきた。
しかし、もはや引き返すことは出来なかった。
足利義昭の腹黒いところは、光秀を用いて信長を討たせた直後に発揮された。
備中高松城攻防戦のなか、いち早く謀叛を知った羽柴秀吉は、巧みに早期講和で戦さを終結させて京への移動を急いでいた。義昭が信長の死を知ったのは、そのあとだった。
「羽柴筑前追撃に及ばず」
足利義昭は毛利輝元へ急使を発した。羽柴秀吉が光秀を討てばよし、逆もまたよし。織田の家中でいがみ合えば尚よし。毛利が義昭を奉じて悠々と上洛すれば、何もかもが元の鞘に収まるだろう。
本能寺での謀叛劇により、信長に侵攻されていた諸国は九死に一生を得た。信長に頼った同盟者は、京・堺・摂津などで、窮地を逃れるために翻弄された。徳川家康は天正伊賀の乱で恨みを持つ伊賀衆のただなかを突破して、辛くも命ながら得た。光秀に賛同する者、抵抗する者、敵味方が入り混じり、畿内は騒然とした状況だった。
それでも信長を討ったということで、大半の者は光秀を支持または中立に傾いていた。
巳の刻(午前一〇時頃)、噂の一報が安土に届いた。
「惟任ご謀反」
このことに、信用する者はない。しかし具体的に
「上様宿所本能寺炎上中」
との知らせは、留守居である蒲生賢秀をはじめ津田源十郎信益・木村次郎左衛門らを困惑させた。やがて、この知らせが事実と分かると、城内は蜂の巣を突いたような大騒ぎになった。留守居役たちは逃亡し、残された蒲生賢秀は誰に頼ることなく、この場を支える覚悟をした。まず城内の騒ぎを鎮め、二ノ丸にいる信長妻子の安否を確認した。
日野との連絡のため安土に留め置いた町野幸仍に
「倅めに上様ご妻子保護のための兵を至急差し向けるよう」
と指図し、その間、賢秀は情報収集と城下の混乱収拾に応した。勢多城の山岡美作守景隆からは、信長を襲ったのは惟任光秀だと伝えられた。事実、このとき山岡景隆は誘引されており、これを拒絶して対峙している。
「日向守殿が?」
信じられぬと、蒲生賢秀は思いを巡らせた。
「これが誘いの文にて」
物証があると、その事実は濃厚となる。
「しかし、なぜ」
考えるところは、そこではない。信長が討たれたことは、現実だ。受け止めなければならない。忠三郎賦秀から先発の援軍がきた。状況を整理すると、賢秀は忠三郎賦秀に宛て
「惟任日向、謀叛」
と伝令を発した。忠三郎賦秀は我が子ながら聡明な男だ。事実を整理し、最善を導く思考と行動を示すだろう。まずは日野城へ信長の縁者を避難させることが第一だ。
「ここに籠城はできぬのか!」
信長側室・鍋の方が質した。
「ここは籠城に適さぬ城であることは御存じかと」
賢秀の訴えに、誰もが沈黙した。援軍が集まり次第、ここを退いて日野城に移ることを告げた。
「ならば城を焼き、城内の宝物を持ち出すよう」
別の女房の声に、なりませぬと賢秀は制した。
「宝物を取ること、余人に欲にふけると侮られること必定。また、そのことで神仏から御加護から見放されてしまうこと、無念なり」
こうまで云われれば、如何ともし難し。手に持てる荷のみで、兵に守られて一行は日野へ落ちた。蒲生忠三郎賦秀自ら南腰越えまで迎えに出ていた。
「はや勢多は城を焼いた由」
忠三郎賦秀は山岡勢が抵抗を示し、城と橋を焼いたという情報を得ていた。
「父上、すぐには日向勢も参りますまい。日野の守りを今のうちに固めましょう」
「そうだな、そうしよう」
六月四日までに日野城の守りを固めた蒲生忠三郎賦秀は、周辺の城の様子を探らせるとともに、惟任光秀の出方を注視した。光秀が安土へ姿を現したのは、五日のことである。
光秀は安土の財を用いて与党を収集することや朝廷工作に腐心した。蒲生賢秀・賦秀父子にも恭順を求めてきた。光秀は礼を尽くすため、多賀豊後守や布施忠兵衛等を日野城へ派遣し
「同心あるならば、近江半国を遣わしたい」
と提示してきた。これに対し、賢秀は毅然と拒絶した。
「上様の御恩を忘れること能わず」
この態度は、頑固一徹といえるものだ。よくぞ申されたと、忠三郎賦秀も威勢を上げた。徹底抗戦をするという日野城の態度に、光秀は困惑した。そして、ひょっとしたら大それた過ちを冒してはおるまいかと、冷静な感情が渦巻いてきた。
しかし、もはや引き返すことは出来なかった。
足利義昭の腹黒いところは、光秀を用いて信長を討たせた直後に発揮された。
備中高松城攻防戦のなか、いち早く謀叛を知った羽柴秀吉は、巧みに早期講和で戦さを終結させて京への移動を急いでいた。義昭が信長の死を知ったのは、そのあとだった。
「羽柴筑前追撃に及ばず」
足利義昭は毛利輝元へ急使を発した。羽柴秀吉が光秀を討てばよし、逆もまたよし。織田の家中でいがみ合えば尚よし。毛利が義昭を奉じて悠々と上洛すれば、何もかもが元の鞘に収まるだろう。
本能寺での謀叛劇により、信長に侵攻されていた諸国は九死に一生を得た。信長に頼った同盟者は、京・堺・摂津などで、窮地を逃れるために翻弄された。徳川家康は天正伊賀の乱で恨みを持つ伊賀衆のただなかを突破して、辛くも命ながら得た。光秀に賛同する者、抵抗する者、敵味方が入り混じり、畿内は騒然とした状況だった。
それでも信長を討ったということで、大半の者は光秀を支持または中立に傾いていた。
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