麒麟児の夢

夢酔藤山

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第9話 人の心の闇と光

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第9話 人の心の闇と光⑦


 毛屋主水武久は近江の豪族・田原長久の嫡男である。田原家は六角入道承禎に仕えており、織田信長との合戦で父を失い諸国を渡り歩いた歴戦の士だ。いまは黒田官兵衛の子・長政に仕えている。六角の禄にあったことで、蒲生家とも知己の間柄にある。
 氏郷は毛屋武久の武名を知り、ぜひ蒲生家にと声をかけていた。
「いま唐入りの支度にて、中津は多忙に候。落ち着いたときには黒田家を辞し世話になりたし」
 そういう返事を貰っていたので、氏郷も楽しみにしていた。
(唐入りとは、関白も無駄なことを考えるものよ)
 泰平となったからには国力を高めて、民の暮らしを良くすることが、為政の責任だ。が、秀吉は私利のための政治を志した。政治を預かる豊臣近臣たちは、ただ豊臣だけの政を心掛けた。
 秀吉という専制君主は、手柄で大名をつなぎ留める。そのためにも、戦さをなくすことが出来なかった。だから、国内平定の先は、対外国戦争ということになる。奥州のよいところといえば、その悪意に満ちた政治から遠ざけられたということだ。左遷の利点は、これにつきる。
(亡き上様ならば、こんなつまらぬ戦さはしない)
 生きていたなら、信長もきっと海外に雄飛しよう。
 しかし、このような侵略戦争など、絶対にしない。南蛮人のように貿易を試みる筈だ。その優越を競うべく国際社会に名乗り上げるだろう。それが、織田信長である。
 秀吉には、天下をとったあとの構想はなかった。
 ただそれだけのことだ。
 九戸攻めで功をなした蒲生家召し抱えの浪人は多い。しかし、彼らは蒲生家の軍規が厳しいことを知らなかった。殊、関東者は武骨に過ぎた。己の蛮勇に従い抜け駆け功名に徹した。手柄さえ挙げれば過程など、どうでもいい。
 氏郷はこれを嫌った。
 今度の論功行賞で、多くの浪人者が切腹させられた。
 氏郷の求めるものを理解できない場合、蒲生家での仕官は厳しいものとなる。
 九戸で功名を轟かせたひとりが、名古屋山三郎という者だ。武辺にして文化人、若い時分に氏郷に召し抱えられ、優男から女性に間違われることもあった。その美貌と遊芸の妙は華があり、妻は有名な出雲のお国である。自然と氏郷も目をかけて可愛がっていた。
「伊達とのことから九戸まで、おことの武辺は見事である」
 氏郷の言葉に、名古屋山三郎は礼を述べた。
 かの名生城攻略のとき、白綾に赤裏を付した具足を着け猩々緋の羽織を身にまとい、一番槍を付けたことが蒲生家中でも評判になった。これが漏れ伝わり、小歌になったほどだ。

  槍仕槍仕は多けれど、名護屋山三は一の槍

 京でもこの武功を知らぬ者はなかった。細川忠興の父・幽斎は、かの者をしてこう詠んで囃した。

  かしこくも 身をかへてける薄衣
     にしきにまさる 墨染めのそで

 軍規に厳しい蒲生家でも、決して窮屈ではないという逸話である。

 さて。
 天正二〇年(1592)に入るとすぐに、聚楽第へ後陽成天皇が二度目の行幸をされた。既に秀吉は関白を辞し、太閤と称した。こののちは聚楽第の主を甥の新関白・秀次に譲り、秀吉は伏見普請と唐入りの総触れを諸大名に発した。
 氏郷は三月に会津に入り、諸事に追われた。
「唐入りとは、おろかしいことや」
 麟閣のなかの小宇宙だけが、世俗と無縁の場だった。千少庵の点てる茶は、京にいるときよりも冴えているのかも知れぬ。
「御師匠の公案、意味も分からぬ」
 氏郷は呟いた。
 茶の香が漂うときだけが至福だった。信長の前で点てたときも、あれは無礼講で愉快だった。今井宗久と千利休が同席していた。
「自由だった」
 ふと、声が漏れた。
 氏郷は自由だろうか。信長の元にいたときは、苦しい戦場にも立ったことがあった。それでも達成したのちは、目が覚めるほどに爽快だった。
 そうだ、明確な目的があり、その提示によって誰もが仕事をした。
 だから達成感は充実に結びついたのだ。その達成の先に、次の仕事があった。個人の能力に適した仕事を、信長は与えてくれた。
 秀吉には、それがない。
 その差は大きい。
 誰のためのという明示も、秀吉には私利私欲が滲んだ。俗物なまでに我欲を示した。蒲生氏郷の嫌う、人の持つ浅ましい姿を、秀吉は見事なまでに体現してくれた。が、人臣の頂にある秀吉には逆らえない。家臣とその家族を路頭に迷わせる真似はできなかった。
 それでも、人には感情がある。
 秀吉という存在が世に益なさぬなら、きっと人の心は揺れ動く。

 織田信長ほどの者でさえ、討たれた。

 その実行者に志があるとは思えない。誰か黒幕の手足となっただろうことは理解できる。が、それを詮索したところで、信長が戻るわけではない。
 氏郷は思う。
 自由とは、なにか。信長にあって、秀吉に足りないもの。いま思うような単純なことだろうか。もっと深い何かがあるのではないか。
「わからぬ」
 千少庵は首を傾げた。
 麒麟児の苦悩を、心の奥底を想い巡らせる懐は、若き利休の後継者に足りないものだった。人の心の奥で渦巻く、闇と光。
 心は手に取るように見えるものではない。
 が、利休には出来たような気もする。
「ほんに、奥深い」
 少庵も、呟いた。
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