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第9話 人の心の闇と光
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第9話 人の心の闇と光⑨
「太閤の唐入りは、もはや止められまい。しかし、それ以上のことはあってはならない。いいのだ、右近殿のように国を捨てても、いいのだ。信じてくれる者が一緒にきてくれれば、それでいい。たのむぞ、ロルテス」
「はい」
途方もない話だ。
しかし、氏郷がいうと、本当にできそうな気にもなる。
ヴァリニャーノと高山右近が密かに畿内へ戻ったのは数日の後。氏郷の想いは、キリシタン大名たちに浸透していった。誰もが、その思想に共感した。
「そんな世になると、デウス様が傍に近づくような心地がする」
細川忠興の妻・珠は口にした。
万人とはいわずとも、氏郷の想いは心に光を灯した。心とは、不思議なものだった。こうして光をもたらし、同時に、闇へと誘う。
「伊達の挑発、もう効かぬ」
氏郷は三春城へ田丸中務大輔直昌を置いて伊達へ備えた。三春は政宗の正室の実家・田村氏の旧領だ。小田原参陣を拒み、田村氏は取り潰された。家中の多くは伊達に従ったが、蒲生に属した者も少なくない。これらが結託することなきよう、田丸直昌の責務は重かった。
「お前ならできる」
氏郷にいわれると、出来る気にさせられた。同じようなことを云われた家臣も多い。その言葉は、意味もなくやる気につながる。そうやって、彼らは氏郷のために伊達へ備えた。
氏郷が軍勢を率いて大坂へ着くのは八月。
道中、近江国武佐で故郷の日野を偲んだ氏郷は、一首詠んだ。
思ひきや人の行方ぞ定めなき
我が故郷をよそに見んとは
この歌は里村紹巴の耳にも至った。冴えたものやと、紹巴も微笑んだ。
上洛に用いた氏郷の甲冑は、いつもの銀鯰兜ではない。黒漆塗燕尾形兜だ。伊達政宗が黒と金を基調とするなら、氏郷は漆黒を主とした様式美だった。これは、当世はやりの変わり甲冑としては極めて異端だ。派手ではなく、ただ存在感を放つものである。
が、秀吉は気に入ったようだ。
「まるで利休が碗にこだわったようだがや」
千利休は派手な茶器を好む秀吉に逆らい、黒茶碗を愛でた。それを彷彿させるものだと、秀吉なりの皮肉かも知れない。が、氏郷は言葉通りに受け止めた。
「かたじけない哉」
氏郷の堂々とした様に、秀吉は気圧された。
陸奥へ追い放って難を避けたつもりが、会津で更に器を大きくしたように感じた。麒麟児とはいうものだ。むしろ手元で小さく飼殺すべきだったか。己の臆病がもたらした失敗だ。
「太閤殿下に請い願うものなり」
「なんじゃ」
「唐入りするなら朝鮮国を与え賜え。それで会津を返上し、かの国を頂戴したい」
秀吉は大笑いした。その場の奉行たちも笑った。大言壮語もここまでくれば大したものだと、その武勇の気概から、多くの者が
「さすがは麒麟児よ」
と、褒め称えた。大笑いしながら、秀吉は全身が鳥肌で覆われる様を自覚した。麒麟児が、大きな化物に変じたと思った。もしも気前よくくれたならば、次は日本を食らうだろう。それは、かつて信長に感じた武威そのものだった。
(麒麟児を、麒麟にすること罷りならぬ!)
秀吉は、石田三成に何事かを耳打ちした。
一〇月一日、秀吉に従い大坂を出陣した蒲生氏郷は肥前名護屋城へ予備軍として布陣した。名護屋城は大坂城にも劣らぬ堅固にして華美な城塞だった。その茶の席に招かれてのち、氏郷は身体の異変を覚えた。
(おかしい)
心当たりはなかった。
この年、文禄と改元されて、布陣は年を越した。新年を迎えても、体調はすぐれず、遂に吐血をした。秀吉は医師・曲直瀬玄朔を差し向け、氏郷平癒に心を砕いた。曲直瀬玄朔はもともと秀吉付の医者だ。その様は親身に案じる一軍の将のようでもあった。やがて堺の医師・宗叔が任を代わり、氏郷の平癒に務めた。
八月まで、氏郷は名護屋の病床にいた。
その頃、陣中では家臣同士の揉め事が生じていた。蒲生源左衛門郷成の仲裁で事なきを得たが、御家のいざこざが陣中であれば、法度にも触れ、あやうく御家が潰されるところだと、家臣たちは囁きあった。
「慎むこと、大義なり」
苦しい息の下で、氏郷は蒲生郷成を賞した。
やがて、名護屋の陣中で、ひとつの風便が囁かれた。氏郷の病は、毒を盛られたことによるというものだ。
誰が、なんのため。
それも定かならぬ流言飛語は、いたずらに名護屋の武将たちの間で囁かれた。
秀吉の大坂帰還に遅れて、氏郷は戻った。
閏九月一三日、秀吉は慰労のため米二千石を氏郷に賞与した。ようやく床を出られたものの、体力はめっきり落ちた。肌艶もくすんだようだ。原因はわからない。
「会津で静養せい」
秀吉の言葉に甘えるしかなかった。
一一月一日、若松城に入った氏郷を癒したのは、少庵の茶だった。
「太閤の唐入りは、もはや止められまい。しかし、それ以上のことはあってはならない。いいのだ、右近殿のように国を捨てても、いいのだ。信じてくれる者が一緒にきてくれれば、それでいい。たのむぞ、ロルテス」
「はい」
途方もない話だ。
しかし、氏郷がいうと、本当にできそうな気にもなる。
ヴァリニャーノと高山右近が密かに畿内へ戻ったのは数日の後。氏郷の想いは、キリシタン大名たちに浸透していった。誰もが、その思想に共感した。
「そんな世になると、デウス様が傍に近づくような心地がする」
細川忠興の妻・珠は口にした。
万人とはいわずとも、氏郷の想いは心に光を灯した。心とは、不思議なものだった。こうして光をもたらし、同時に、闇へと誘う。
「伊達の挑発、もう効かぬ」
氏郷は三春城へ田丸中務大輔直昌を置いて伊達へ備えた。三春は政宗の正室の実家・田村氏の旧領だ。小田原参陣を拒み、田村氏は取り潰された。家中の多くは伊達に従ったが、蒲生に属した者も少なくない。これらが結託することなきよう、田丸直昌の責務は重かった。
「お前ならできる」
氏郷にいわれると、出来る気にさせられた。同じようなことを云われた家臣も多い。その言葉は、意味もなくやる気につながる。そうやって、彼らは氏郷のために伊達へ備えた。
氏郷が軍勢を率いて大坂へ着くのは八月。
道中、近江国武佐で故郷の日野を偲んだ氏郷は、一首詠んだ。
思ひきや人の行方ぞ定めなき
我が故郷をよそに見んとは
この歌は里村紹巴の耳にも至った。冴えたものやと、紹巴も微笑んだ。
上洛に用いた氏郷の甲冑は、いつもの銀鯰兜ではない。黒漆塗燕尾形兜だ。伊達政宗が黒と金を基調とするなら、氏郷は漆黒を主とした様式美だった。これは、当世はやりの変わり甲冑としては極めて異端だ。派手ではなく、ただ存在感を放つものである。
が、秀吉は気に入ったようだ。
「まるで利休が碗にこだわったようだがや」
千利休は派手な茶器を好む秀吉に逆らい、黒茶碗を愛でた。それを彷彿させるものだと、秀吉なりの皮肉かも知れない。が、氏郷は言葉通りに受け止めた。
「かたじけない哉」
氏郷の堂々とした様に、秀吉は気圧された。
陸奥へ追い放って難を避けたつもりが、会津で更に器を大きくしたように感じた。麒麟児とはいうものだ。むしろ手元で小さく飼殺すべきだったか。己の臆病がもたらした失敗だ。
「太閤殿下に請い願うものなり」
「なんじゃ」
「唐入りするなら朝鮮国を与え賜え。それで会津を返上し、かの国を頂戴したい」
秀吉は大笑いした。その場の奉行たちも笑った。大言壮語もここまでくれば大したものだと、その武勇の気概から、多くの者が
「さすがは麒麟児よ」
と、褒め称えた。大笑いしながら、秀吉は全身が鳥肌で覆われる様を自覚した。麒麟児が、大きな化物に変じたと思った。もしも気前よくくれたならば、次は日本を食らうだろう。それは、かつて信長に感じた武威そのものだった。
(麒麟児を、麒麟にすること罷りならぬ!)
秀吉は、石田三成に何事かを耳打ちした。
一〇月一日、秀吉に従い大坂を出陣した蒲生氏郷は肥前名護屋城へ予備軍として布陣した。名護屋城は大坂城にも劣らぬ堅固にして華美な城塞だった。その茶の席に招かれてのち、氏郷は身体の異変を覚えた。
(おかしい)
心当たりはなかった。
この年、文禄と改元されて、布陣は年を越した。新年を迎えても、体調はすぐれず、遂に吐血をした。秀吉は医師・曲直瀬玄朔を差し向け、氏郷平癒に心を砕いた。曲直瀬玄朔はもともと秀吉付の医者だ。その様は親身に案じる一軍の将のようでもあった。やがて堺の医師・宗叔が任を代わり、氏郷の平癒に務めた。
八月まで、氏郷は名護屋の病床にいた。
その頃、陣中では家臣同士の揉め事が生じていた。蒲生源左衛門郷成の仲裁で事なきを得たが、御家のいざこざが陣中であれば、法度にも触れ、あやうく御家が潰されるところだと、家臣たちは囁きあった。
「慎むこと、大義なり」
苦しい息の下で、氏郷は蒲生郷成を賞した。
やがて、名護屋の陣中で、ひとつの風便が囁かれた。氏郷の病は、毒を盛られたことによるというものだ。
誰が、なんのため。
それも定かならぬ流言飛語は、いたずらに名護屋の武将たちの間で囁かれた。
秀吉の大坂帰還に遅れて、氏郷は戻った。
閏九月一三日、秀吉は慰労のため米二千石を氏郷に賞与した。ようやく床を出られたものの、体力はめっきり落ちた。肌艶もくすんだようだ。原因はわからない。
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