孝謙異聞

夢酔藤山

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 せめてもの贖罪と願った聖武天皇の立太子詔。
 この遺詔は、わずか一〇月足らずで反古とされる。あらゆる冤罪をでっち上げるのは、やはり藤原一族のお家芸である。皇太子・道祖王は聖武の諒闇にいながら淫縦の志を抱き、教勅を加えても改悔しないという理由で、天平勝宝九歳(七五七)三月、突然皇太子の座を廃されてしまう。
 この一件はすべて藤原仲麻呂の描いた、周到な筋書きといってよい。
「次の皇太子は」
という周座の声に
「帝の意のままに」
と立てつつも、太皇太后・光明子を巧みに動かしながら
「舎人親王が第七王子・大炊王こそ皇太子に相応しい」
という風を、月変わりの頃に吹かせてしまったのである。
 藤原仲麻呂には期待の長子・真従がいた。しかし彼は、不慮の病により若くして他界してしまったのだ。
 この真従の名前は『尊卑文脈』からは見出すことができない。この系図によれば藤原仲麻呂の子は九人、もっとも『尊卑文脈』からは女子の名をみることはないから、絶対視することもできない。夭折子の存在も付記している『尊卑文脈』が記載を欠いているのは、もっと別の意図があったのかも知れないが、ひとまず本編はこの真従存在説を軸に進行していく。
 さて。
 その若未亡人となった真従の妻・粟田諸姉であるが、常ならば実家に戻されるところを、仲麻呂はそのままに留め置いた。未亡人となった若嫁など、生活の不安定な当時にはざらな存在だったことだろう。再婚して人生をやり直す者も決して少なくないし、狒々爺な趣味で義父の慰み物とされる事もあったかも知れない。
彼女は実家へ戻されることはなかった。
 義父の慰みに堕ちることもなかった。
 ただただ真従がいたときと同じ生活が守られていた。ひとつだけ異なるとしたら、真従が死んで間もなく、義父手ずから再婚を進められ
「藤原家の養女」
として、婿を迎え入れたということだけである。そしてその婿こそ、誰あろう大炊王であったのだ。仲麻呂の私邸である田村第に大炊王は棲まい、十分に刻を費やして、意のままに手懐けてきたのである。
 粟田諸姉という女性も、思えば哀れな人である。手頃な娘のない仲麻呂にしてみれば、期待していただけに喪失感の大きい長子が残した未亡人さえ、いわば同情の的ではなく、政局を恣にするための、格好の駒でしかなかったのだ。
 藤原一族には親子の情が、否、人としての情が欠落して憚りない。
 だから同族でありながら、実の親子でありながら、禽獣にもとるが如く、噛殺しあうこともしばしばある。ただし今度の立太子の一件は、偶然にも一族結束の方向へと傾いた。自然と、共通の敵が一致しただけのことである。
「帝の言葉を語りなんとしたことを」
と叫んだ者がいた。
 前左大臣・橘諸兄の子・奈良麻呂である。強引に過ぎる藤原仲麻呂のやりかたに、不満を抱く者たちは多い。しかし藤原仲麻呂とその一族は、これを機に、いっそそれらをも一掃する計略を練り、待ちかまえていたのだ。
 五月に入ると、養老律令が施行された。
 この詔を発したのは孝謙天皇だが、糸を引いたのはまぎれもなく太皇太后・光明子であり、背後にいたのは藤原仲麻呂だった。
 そもそも養老律令自体は、かつて元正帝が起草していたものだ。不比等の死によって長い間その施行を留め置かれていたが、法律的に内容が優れている点は、政務にある者なら誰もが認めていた。ゆえに今回の法施行にあたり、その名前には当時の元号を用いたのである。このしたたかな宣伝の舌も乾かぬ翌六月、治安維持について勅五条を追加制定する。
 錦の御旗を無駄なく生かす藤原仲麻呂の策謀は、その実、騒乱防止よりも
「逃げ場のない暴発」
へと宣伝されていったといってもよい。

 天平勝宝九歳(七五七)七月二日、孝謙天皇は異例の宣命を発した。
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