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結 能登の空
しおりを挟む一
天正一〇年(1582)三月一一日、織田信長嫡男・信忠は、武田勝頼を討ち果たした。
その頃、上杉方の魚津城は柴田勝家率いる織田方の大軍に包囲されていた。富山城を奪回した神保長住の旧臣である小島六郎左衛門尉職鎮と唐人式部大輔親広が武田・上杉に内通し、富山城を襲った。神保長住は捕えられ、富山城が上杉方となると、魚津攻めの全軍が反転して、たちまち富山城を奪い返した。そのうえで城攻めが再開された。
魚戸城兵三八〇〇。
織田の攻城する兵はおよそ四万。
五月、上杉景勝は魚津城東側の天神山城へ入って、睨みあった。しかし、質の上で織田の猛兵に立ち向かえる状況ではない。そのうえで、旧武田領上野方面と信濃方面から織田勢が進軍してくるという報告が景勝の耳に届いた。織田へ内通した新発田重家が謀叛を起こした。上杉家は包囲された。この危機に、景勝は魚津から軍を退かざるを得なかった。
長九郎左衛門連龍は、前田利家の与力として魚津攻めに参加していた。
時おなじくして、上杉へ寝返り越後に逃れていた長景連・島倉吉蔵・熊倉伊勢守・剣見与十郎らが、兵舟を用いて宇出津に上陸し、棚木城に籠城した。騒ぎの隙をついて、能登を奪う動きだ。この報せが、七尾に残した城兵から前田利家に届いた。
「又左、お前のところの能登坊主に、小癪な奴らを制圧させよ」
柴田勝家は気を揉む利家を気遣い、連龍にこれを許した。
「奴ら、留守に泥棒するようなものだ。生かして返すな」
「心得て候」
敵将が長景連であることを、連龍は気まだ気付いていない。
前田利家は連龍のため、軍監名目の与力を与えた。副えられたのは、大井久兵衛という。更に利家は、迅速な平定を望み富田治部左右衛門景政・前田五郎兵衛安勝も副えた。
長連龍は五月一三日、兵一千を率いて棚木に向かった。棚木に着陣すると、連龍は降伏勧告のため、使者を城内へ差し向けた。
「帰れ」
と、使者を務める木寺彦右衛門は拒絶された。
「お前たち、長のもとに能登を復すことを思え!」
「長ならば我が方にもあり!」
このやりとりで、敵将が長景連であることを、連龍は知った、
「裏切り者がこんなところにもいたな」
毛穴から、どっと怨みの気が噴き出す心地だった。これは絶対に討つべき相手だ。
「あいつの首を儂が斬るであろう」
不気味な笑みを浮かべる連龍に
「殿、苦渋を強いられたのは、生き残った皆も同じです」
小林平左衛門がそっと申し出た。
「そうだったな。すまぬ」
「なんの。殿の悔しさ、能登の誰もが承知しております」
この戦さ、『長家家譜』にかく記される。
二十二日卯の刻連龍勢を進め、棚木城へ取り詰める。 与市入道兵士を卒し
大手郭外へ出苦戦す。 連龍鈴木因幡をして搦め手へ指し向かわせ、奥村自休
進みて一番首を取る。 阿岸掃部大手先登、その場において討ち死に。 城兵計
見与十郎一陣に進む、国分尉右衛門相戦い計見を討ち取る。 瀬見武助・国分市
丞・徳田与九郎(一説に与六郎)・岡部平左衛門(岡部藤左衛門男)討ち死に。
八田三助手傷を被る。 永江善助熊倉伊勢と相戦い勝負を決せず、島倉・熊倉ら
ついに戦死す。 時に与市入道また搦め手に兵を出し大戦、因幡数町敗走す。
しかりといえども御方回戦して再び城兵を撃破、城内へ乱入す。 鈴木源内城中
において与市入道と相戦い、入道太刀を取りて奮撃し源内傷を被り殆ど危うし。
時に太田三郎次郎馳せ合い入道の首を取り、佩びるところの太刀を分
捕りす。 ここにおいて城陥り、城兵或いは討たれあるいは生け捕らる。
棚木城攻めは、連龍の勝利だった。城兵は籠城の不利を知り、郭外にて死力を尽くして戦った。勝敗の是非は兵の数ばかりではない。
かつて裏切った者。裏切られて一族を失った者。怨みの強い者が圧倒する。この世の常とは、こういうことだった。
長景連・島倉吉蔵・熊倉伊勢守・剣見与十郎ら、ことごとく討ち果たされた。このこと、祝着なりと、大井久兵衛が讃えた。大手口一番乗は阿岸掃部で一番首は国分上右衛門、搦手口一番乗は鈴木因幡で一番首は奥村慈休ということ。長景連の御級と分捕りし太刀の提出。そのうえで、攻戦の始終委細を、大井久兵衛は魚津へ赴き利家に報じた。
「又左、あいつは強いな。それに運がいい。残る仇も、越後に攻めればみつけられるだろうよ」
柴田勝家も連龍を褒めた。
このことは早馬で織田信長に知らされた。
五月二七日。織田信長は武田攻めの労をねぎらうため、徳川家康と穴山梅雪を遇していた。中国筋の羽柴秀吉の援軍として、昨日、明智光秀へ出兵を命じたばかりだった。
天下布武は目前だった。そこへ、前田利家からの早馬が達した。
「坊主め」
信長はほくそ笑んだ。黒印状を発し、この武功を讃えた。織田信長が長連龍のことに心を傾けたのは、このときが最期であった。
二
六月二日、魚津城は兵糧も尽き、弱い子女は餓死し、攻撃で疵を負う者たちはのたうちまわる惨状だった。この世に地獄があるとするなら、これ以上の例えはない。重臣たちは血塗れで、身動きを取ることが出来なかった。
「援軍は、来ぬまい」
城将たちは息を吐くように呟いた。そのようなことは、云うだけ無駄だった。ひょっとしたら、ここよりも凄惨なのではあるまいか。上野から滝川一益の一隊、信濃から森長可、これらが攻めてくることは魚津の城兵も知っている。希望は、もうなかった。
魚津城将一三名は、ただ本丸広間に座すだけで、身動きも取れなかった。酒もなく、糧もなく、厠へ行く体力もないため、糞尿に塗れていた。
これは、人の様ではない。
「覚悟するときだな」
城内でまともに動ける者などいなかった。弓引く者も、刀奮う者もいない。だれもが、死んでいるように生きていた。
「どれだけの者が、城にいるのだろう」
「さあ」
「目に見える者だけしか、しらん」
時間が、流れた。ゆっくりとなのか、はやいのか、その実感はなく、血の足りない脳裏には思考すら覚束なかった。
山本寺松三景長・吉江喜四郎資堅・吉江常陸介宗信・吉江織部佑景資・寺島六三長資・蓼沼掃部助泰重・安部弐助政吉・石口采女広宗・若林九郎左衛門家長・亀田小三郎長乗・藤丸新介勝俊・中条越前守景泰・竹俣太郎慶綱。
一三人の考えていることは、武士の体面を保つことだった。柴田勝家は本丸の城門を蹴破るよう、兵を叱責していた。ここを抜けば、落城は目前だった。
この同じ日。
洛中では未明の事件で大騒ぎだった。
織田信長、死亡。
本能寺の変……!
中国筋の羽柴秀吉も、関東の滝川一益も、北陸路の柴田勝家も、前田利家も、そして長連龍も、この現実を、まだ知らない。
六月三日。魚津城は陥落した。一三人は己の耳に穴をあけ、各人の名を記した木札を鉄線で結んだ。変相して見分けがつかぬからだ。そのうえで、自刃した。腹を切る者もいれば首を掻く者もいた。もう、動くことも辛い彼らなりの、人間としてすることが出来る、最期の所作が自害であった。
魚津城を落とした柴田勝家は、首実検と供養を行い、祝勝の勝鬨を禁じた。城将たちの漢気に感じ入ったのだ。
「武士として立派な最期だ。敵として称賛するものなり」
その言葉は、偽りのないものだった。
そのうえで
「越後への進発、間を置かず」
この勢いで進撃すれば、春日山城まで数日で至るだろう。その南にあたる信州飯山からは森長可が向かっている。春日山城下で合流することも出来よう。
「上様は毛利の側へ向かってしもうたが、こちらにこそ、起こし頂きたかった」
佐々成政が呟いた。
「はしこい猿のせいじゃ」
柴田勝家はまだ羽柴秀吉が許せない。
そして、六月四日。
「京より急ぎ文とのこと」
差出人は安土城二の丸留守居役のひとり木村次郎左衛門重高だ。走り書きで、文の体ではない。
「何かござったのだろうか」
前田利家が不安そうに勝家を除いた。柴田勝家の仁王のような表情が、青褪めていた。恐る恐る尋ねると
「上様が……」
言葉にならなかった。佐々成政が手に取って、目を走らせた。
「上様が、お亡くなりになられた」
前田利家も文に目を走らせた。
「六月二日、京本能寺にて惟任日向守、謀叛」
このことは目の前が真っ白になるほどの驚きであった。が、このままではいられない。敵がこれを知ったら、どうなることか。
「まずは兵を退く。それぞれの居城へ退くのだ。内蔵助はここから一番近い。城へ退いたら、安土への使いを発し、事実確認を急ぐべし」
佐々成政は富山城へ急ぎ戻った。前田利家も小円山城へ戻り、上杉の動きに警戒した。柴田利家が北ノ庄へ戻ったのは、随分と後だった。上杉景勝の反撃により、後手に回ったことで近江出陣が遅れたのである。
かつて上杉謙信が急死したとき、織田信長が勢力を盛り返した。いま、織田信長が死んだことで、上杉景勝が勢いを取り戻したのである。
この狭間で大きく揺れたのは、紛れもなく能登だろう。越後へ逃れていた温井景隆・三宅長盛が、この機に復権を望んで密かに舞い戻り、信長統治下で不遇だった者たちに囁いて挙兵したのは、まさにこの時期だった。
能登で起きた過去の戦さがある。
石動山、信仰の山だ。上杉謙信が七尾城を攻める際、ここに城を築いた。信仰の山には宗徒がいる。石動山衆徒は一向宗ではなく、能登の在地修験道のようなもので、山伏たちによる荒法師と思えばいい。これと上杉謙信が結びついたことで、織田勢力に抵抗したのだ。前田利家はこれに厳しく接した。寺領も削られた。それが、石動山宗徒には不服だった。そこへ、温井兄弟が帰ってきたのである。
「能登を取り返すべし」
耳障りよい言葉を、温井景隆は繰り返した。在地の者が発奮するのは、時間の問題だった。
六月二三日、温井景隆・三宅長盛は石動山に近い荒山城に拠った。前田利家は柴田勝家と佐久間盛政に加勢を頼み、自ら軍を率いて石動山と荒山の中間にある柴峠に陣を張った。荒山城は俄か普請である。その普請の作業は真っ最中であった。そのため前田利家は、温井・三宅勢四三〇〇余人を急襲したのである。
不意を衝かれた温井勢は、荒山城に立て籠もった。加勢に駆けつけた佐久間盛政は荒山城に攻撃した。温井景隆・般若院快存らは荒山城に拠って防戦に努めた。
「退くな、退けば斬るぞ」
温井景隆は声を張り上げた。しかし、前田勢の猛攻は凄まじく、信徒を中心に石動山に退く者が続出した。
前田の軍勢で異彩を放ったのが、長九郎左衛門連龍だった。そうだろう。望んでいた仇のひとりが、のこのこと、目の前に現れたのである。殺す機会は今しかない。
長連龍は案内者を副え、井田原・三方嵩・三尾口より荒山に攻め登った。この猛攻で、石動山と荒山は完全に分断された。 このとき佐久間盛政は高畠に陣取っていたが、その知らせを聞き、荒山城へ集中した攻めを試みた。
この戦いで、温井景隆・三宅長盛兄弟をはじめ得田佐渡・山荘藤兵衛・小南内匠・広瀬隼人・鳥倉内匠・ 小山田甚五兵衛ら、並びに般若院・万蔵院・宝冠坊は佐久間盛政勢に攻め込まれて討ち死にした。その御級はただちに前田利家も下へ運ばれ、確認のために長連龍が呼び寄せられた。
「どうだ」
利家の問いに
「間違いなし」
連龍は断言した。仇は遂に討ち果たしたのである。温井景隆を討ったのは、佐久間盛政の兵で吉川五右衛門という者だ。三宅長盛を討ったのは、
堀田新右衛門という佐久間家中の兵である。
「御見事なこと、かたじけなし」
長連龍は、大声で泣いた。従う男たちも大声で泣いた。
石動山は堂塔が焼き払らわれ、全山・三百六十坊は焦土と化した。すべての戦さが終わったのは、二六日のことだった。この敗戦によって、石動山衆徒は、能登半島北方の伊掛山に移されて、こののち厳しい監視を受けることとなる。
織田信長という恩人は世にない。
大願成就は果たした。仇を討ち果たしたうえは、もはや世を怨む生き方はするまい。
「もう、怨みは終いだ」
言葉にすることで、強いて己に納得させたのである。これからどうしようか。
もう、腹は決まっていた。恩ある前田利家に仕えて生きることが、男としてのけじめとなる。連龍は、もう、利家の漢気に惚れ込んでいた。信長がいようがおるまいが、成就のあかつきは利家に就くつもりだったのだ。
この年、連龍長九郎左衛門連龍の長男が誕生した。恨みとは違う湿度の涙が、蓮龍の頬を流れた。
長九郎左衛門連龍は前田家にあって、常に戦場を望んだ。賤ケ岳の合戦では、利家が柴田勝家を見限り羽柴秀吉に付いたため、その戦場で奮戦した。佐々成政との戦いでも、武功を挙げた。
前田利家いわく。
「抜群の活躍比類なし、真実頼もしく候」
と、最大の賛辞で賞されている。
長という武将は、能登でこそ輝く者なり。
前田利家は他所に加増をちらつかせても、きまって
「けっこう」
と拒絶された。
そのため、もう、動かすことを断念した。能登田鶴浜城、ここが連龍の終の棲家となった。田鶴浜は、ほぼ七尾である。この地を想い、没した長一族を供養し続ける連龍に、これ以上の領地はなかった。
前田利家は常々と、子の利長へ云い聞かせた言葉がある。
「世に役立つ者は多くあれど、高山右近と長九郎左衛門連は格別の者なり」
努めて重宝し、長を頼るべし。利家は遺戒として云い含めた。利長は終生、この言葉を守った。
人を呪わば穴二つという言葉がある。
長連龍は十分すぎる余生を送った。ただし嫡男・十左衛門好連は若くして先立った。強い怨みの仕打ちなどとは、連龍は思いたくもない。幼い次男の成長まで、老いた連龍が長家の家督に復し、忠勤に励んだ。
大坂夏の陣にも出陣し、終生を戦場に生きた連龍は、元和五年(1619)にこの世を去った。田鶴浜の花渓寺に葬られた。のち、次子の連頼が、父の菩提を弔うため堂宇を改築。慶安四年(1652)に連龍の法号〈東嶺寺庵主〉より、東嶺寺と改称する。
「もともと能登は我が長の家のもの」
聞いたことのない父祖の言葉を、連龍は取り戻したのである。
戦国の風は、もう能登に吹いていなかった。
了
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