閻魔の庁

夢酔藤山

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因果帖

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               四



 結局のところ、現世で何を為し得たのだろう。
 小野篁は考えた。最初は罪深き者どもに懺悔と償いを説いた。それに応じられなかった桓武・平城・嵯峨の三天皇は贖罪の手立てとして地獄に堕ちた。すべての強欲な自己中心な奴らも地獄に堕ちた。
 これらは因果応報だろう。
 しかし、怨霊の存在は、怒りではなく悲しみであった。祟ることよりも
「送られること」
を望んでいた。虐げられた恨みや憤りを爆発させることよりも、静かなる瞑りを求めていた。
(結局……それの何れをも救うことは出来なかった)
 小野篁の本心であった。
 現世寿命が尽きれば閻魔庁の役人に専念することとなろう。二度と現世へ関与することは、適うまい。御霊会を切望しても、それを語る口さえ許されなくなる。
(託すべき人が要る)
 その者の心が無欲で清らかであれば、小野篁の心を託すことが適う。藤原良相では些か歳を経ているから、これにすべてを託すことは出来ない。
(……いや、いた)
 菅原阿呼。生命を弄ぶ汚れた政を払拭するのは彼しかいない。彼ならば怨霊にも心を傾け慈愛を以て対処してくれるだろう。しかし小野篁には、よもや六道珍皇寺まで現世肉体で赴く余力はない。閻魔庁へ出向いてから幽体となって、菅原阿呼を訪れることが出来なかった。
 意思を如何に託すか― 。
 小野篁は枕元の和紙にふたりの童の姿を描き記した。そして、その絵に念を込めた。するとふたりの童は、みるみると実体化していった。
「お前たちは人の心の善と悪を具現化したモノなり。ふたりで菅原邸へ赴き、阿呼の心へ触れて参れ。もしも阿呼が善童子に心を傾けたなら、我が想いを彼の心の戸棚に植えて参れ。悪童子に傾いたなら、我が想いは一切現世に残しておかぬ」
 呪文のように呻きながら、小野篁はふたりの童子にそう諭した。すっと宙に掻き消えた童子たちは、そのまま菅原阿呼のもとへと飛び去った。そして寝静まる菅原阿呼の心の襞に触れた。
 菅原阿呼が選んだのは
「善童子」
であった。
 小野篁の心は、少年に引き継がれた。後年、菅原道真となった彼は、門閥権勢の魔物と化した藤原一門に毅然と立ち向かっていく。そして、それゆえの悲劇が待ち受けていることを、さすがの小野篁もこのとき予想だにしていなかった。


 仁寿二年一二月二二日。
 参議従三位左大弁近江守小野篁は現世寿命を終えた。享年五一歳。
「我が生前の像を六道珍皇寺に安置し給え」
 その言葉に従い、遺族は原寸大の若かりし小野篁像を六道珍皇寺に奉納した。その像は覆堂内の閻魔大王の像の横に置かれた。すると誰も知らぬ間に、ふたりの童子の像も傍らに建っていた。この童像の正体が
「善童子・悪童子」
のふたりであることは、無論、誰の知るところではない。
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