選ばれなかった者の記録 ——復讐令嬢は王を超える

SALT

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第3話 棘を研ぐ者たち

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夜が明ける直前の空は、わずかに青く染まる。
けれどそれは、希望の色ではなかった。

それは“眠り”が終わる直前の、
――あまりにも静かすぎる空白だった。

ほんの少しだけ朝が顔を覗かせる、その気配の中に、
レイナ・アルヴィレスは、膝を折って座っていた。

 

粗末な布の上に、黒曜石の触媒を置く。
空気は冷たく、沈黙には棘があった。
その石は、彼女の手のひらの上でかすかに震えていた。

 

――あれから、彼は姿を見せていない。

そう思いたいのは、むしろレイナの方だった。
だが、“気配”は消えていなかった。

言葉もなく、名もなく。
ただ静かに、少しずつ距離だけが詰まっていく。

それは信頼でも、共鳴でもない。
観察者と標本――それに近い関係。

 

「能力の見極め」
それだけが、今の彼と自分を繋いでいる。

 

***

 

「詠唱は不要だ。呪文は、意志の骨格にすぎない。
……だが最初は、形に頼って力を通すといい」

 

そう言ったのは、セレノ・ヴァイザール。

彼の言葉は常に静かで、整っていた。
感情の起伏はなく、教えることに見返りを求める様子もない。

話す量は少ないのに、説明は的確。
火の扱い方。触媒の性質。言葉と意志の結びつき――
そこに矛盾や誤魔化しは、一切なかった。

 

レイナは直感していた。
――この男は、ただの流れ者ではない。

 

「……いったい、何者なの?」

問いかけると、セレノは視線を逸らさずに返した。

 

「昔、私を助けた人がいた。
“いつか、誰かの力になりなさい”と――そう言われただけだ」

 

その台詞は、整いすぎていた。
どこか脚本じみた、美しすぎる応答。

だがレイナは、問い詰めなかった。
真実など、関係ない。

彼と自分の関係に、“物語”はいらない。

 

「教えたからって、見返りはないわよ」

 

「返してほしいとは思っていない」

 

「じゃあ、なぜ?」

 

「この村で“毒”を使えそうなのは、貴女しかいなかった」

 

はっきりとした声だった。
その先に余白はなかった。
それ以上の理由など、“要らない”というように。

 

レイナの唇が、わずかにゆるむ。

 

「……気に入らないけど、悪くないわね。
使えるものは、何でも使う。それが“私のやり方”よ」

 

***

 

魔術文書には、古語と新語が入り混じっていた。

 

フルカ・ルア・エルナ――
揺れる命よ、私の手に宿れ。

 

声に出すと、触媒が微かに光る。
だがそれは“魔力の解放”ではない。
ただ、扉の前に立っただけ。

身体の奥で、何かが逆流し始めるような感覚。
心臓の奥に、熱いものが蠢いている。
それにはまだ形も名もない。けれど――確かに“在る”。

 

魔術とは、力の技術ではない。
それは、世界の“決まり”を一瞬だけ捻じ曲げるもの。

火が燃える理由。
水が流れる理由。
命が生きる理由。

そのすべてに、一度だけ“異議”を唱える術。

 

レイナは、自分を思った。

伯爵家の令嬢だった少女。
名を奪われ、魔女と呼ばれ、すべてを捨てて生き残った女。

 

「これは、まだ“私のもの”じゃない。
でも、私が手に入れるべき力よ」

 

低く、静かな声だった。

セレノが頷く。
その瞳は、何も映していなかった。
けれど、レイナは気づいていた。

あの目は、“見届けようとする者”の目だ。

信じているわけでも、期待しているわけでもない。
ただ、沈黙の中で見続ける――共犯者のまなざし。

 

それでいい、とレイナは思った。

いまの自分に、信頼も忠誠も必要ない。
必要なのは、“力を手に入れるための静かな傍観者”。

 

「今は、ただの棘。
でも、いつかこれを“毒の冠”に変えてみせる」

 

誰も答えなかった。
ただ、冬の空がわずかに白んでいく。

 

レイナの指先には、まだ血が滲んでいた。
だが、その痛みすら――

“力になるなら、悪くない”と思えた。

 

彼女は、生きていた。
生きることで、裁きの準備を進めながら。
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