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第6話 社交界の仮面、その裏に
しおりを挟む王都ヴェリナクト。
白い屋敷、揃えられた街路樹、磨かれた石の道に揺れるドレスのすそ。
すべてが、丁寧すぎるほど丁寧に整えられた街。
その中心、王立神殿の庭園。
貴族たちが集い、笑顔を交わす社交の舞台。
今宵、その庭園で夜会が開かれていた。
そして――そこにいた。
リゼリア・クロード。
琥珀色の髪。
すみれ色のドレス。
伏し目がちの微笑、しなやかな指先。
彼女は、“正しさ”という仮面を、誰よりも美しく纏うことができた。
「第二王子とのご縁談があるとか――?」
「まあ、お話をいただいているだけです。私は、神に委ねておりますの」
控えめな返し。穏やかな声色。
けれど、指先の角度も、まつげの震えも、すべてが計算されていた。
誰もが、彼女を「理想の令嬢」と呼ぶ。
その仮面で、彼女はすべてを手に入れてきた。
仮面こそが、リゼリアの武器であり、才能だった。
***
その夜、庭園の片隅に黒い影が立っていた。
名乗らず、語らず。
けれど、そこにいるだけで、空気が静かに張り詰めた。
漆黒のドレス、冷たい仮面。
動かない立ち姿は、彫像のように美しく、異物のように異様だった。
それは――レイナ・アルヴィレス。
誰にも気づかれないまま、レイナはリゼリアを見ていた。
完璧な距離のとり方。
つくり笑いの温度。
優しさを装った毒の声。
かつて自分に向けられていた“あれら”が、今は他人に注がれている。
「……変わらないのね。
変わらないからこそ、壊しがいがあるわ」
その声は、風にすら届かないほど静かだった。
だが、彼女の中ではすでに“劇”が始まっていた。
庭園の片隅。
誰かが、ささやく。
「ねえ、知ってる? リゼリア様って、昔――」
「本当? でも急に身を引いたでしょ? あれ、不自然じゃない?」
「まさか、あれって……」
誰が言い出したのかは、誰にもわからない。
だがレイナには、わかっていた。
噂は、刃よりも早く人を裂く。
セレノが、動いたのだ。
捨てられた使用人。
離れていった旧友。
口を閉ざしていた者たち。
彼らの“記憶”に、一滴の毒が落とされた。
それは小さな記憶のざわめきとなり、静かに波紋を広げていく。
誰にも責められず、誰にも告げられず――
それでも、真実は形を変えて、空気に染みていく。
レイナは、笑わなかった。
ただ、静かに見ていた。
劇場のすみに立つ脚本家のように。
「あなたは、自分を“正しく”見せた。
だから私は、あなたの台詞の順番を――書き換えるだけ」
視線の先、リゼリアの背中が揺れる。
誰よりも美しく、誰よりも褒められて。
けれど、レイナには見えていた。
――ドレスの裾が、ほんの少しほつれていた。
仮面は整っている。
だが、その縫い目は――確かに緩み始めていた。
「仮面が緩むと、人は“本当の顔”を忘れるのよ」
***
その夜の帰宅後。
リゼリアは屋敷でドレスを脱ぎ、鏡の前に立った。
ふるまいも、言葉も、笑顔も――何もかも“完璧”だったはず。
なのに。
「……変ね。なにも変わっていないはずなのに」
微笑もうとした。
けれど、口元がわずかに引きつる。
頬が重く、袖が少し窮屈に感じる。
整っている。けれど、整っていない。
鏡の中の自分が、どこか知らない誰かに見える。
頬に触れる。
笑おうとする。
でも、いつもの顔にならない。
「こんな夜もあるわ、リゼリア。気のせいよ……ただの疲れ」
つぶやいた声が、乾いていた。
***
翌朝。
鏡台の上に置かれた香水瓶が、一つだけ目立っていた。
すみれの香り。
もう使っていないはずの、あの瓶だった。
リゼリアは、それを棚の奥にしまう。
けれど、次の朝――また、元の位置に戻っていた。
「……誰が?」
誰もそんなことはしていない。
だが、彼女は感じていた。
“誰かが、見ている。”
気配も音もない。
けれど、空気の重さが、確かに変わっていた。
まだ、何も起きていない。
だが、“何か”が、もう始まっている。
そしてその朝。
鏡の奥で、誰かが息をしている気がした。
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