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第18話 静かな否定、過去に葬られる正義
しおりを挟む証拠は、あった。
記録も、確かに残されていた。
だからこそ、彼は裁いた。
法に則り、理に従い、正義として――。
だが、それが「正しかった」と。
いったい誰が、証明してくれるというのだろう。
***
神聖図書塔・上層。
グラウス・エインレッドは、沈黙の中で資料をめくっていた。
古文書、証言録、告発状――
幾百という“正義の裁定”が並ぶその書架は、彼の歩いてきた道そのものだった。
罪と罰。法と秩序。
その狭間で揺れる判断を、自らの名で断じてきた。
だが今、その“意味”が、音もなく、ゆっくりと反転し始めていた。
一枚の文書が、視線を止める。
――レイナ・アルヴィレスに関する処分記録。
かつて自らが署名し、命じた正式な裁定。
その末尾に、見慣れぬ赤字があった。
《証言の成立過程に不自然な介入が認められ、再審の可能性あり》
指先が、その文字をなぞる。
赤いインクは、まだ新しかった。
“今まさに、何かが動いている”――その気配が、はっきりと匂っていた。
「……再審、だと?」
声は震えていなかった。
だが、心の奥に**“確信の裂け目”**が生じていた。
誰の命令で証言が通ったのか。
なぜ、あのとき証拠があまりにも“整いすぎていた”のか。
「……私は、騙されていたのか?」
それは、自問ではなかった。
それは、自分自身への――告発だった。
***
帰路。王都中央広場。
グラウスは、ふと足を止めた。
掲示板に、一枚の紙が貼られていた。
公式文ではない。
けれど、上質な紙と鋭くも静かな筆跡が、否応なく目を引いた。
『あなたの正義が人を殺したのなら、
その正義に、あなた自身を殺す資格はあるか?』
誰の言葉かはわからない。
だが、その一文は――まるで“鏡に映る自分”の声のように響いた。
グラウスは、その場から動けなかった。
“正義”という仮面に、ひびが入る音が――たしかに聞こえた。
***
その夜。私室。
彼は、初めて机に向かわなかった。
書類にも、記録にも触れず、
ただ椅子に座り、静かに天井を見つめていた。
「私の裁定は、正しかったはずだ。
記録は、事実だった。
――だが、それを信じたのは……私自身だ」
それは、論理の解体だった。
証拠を信じたのではない。
“自分の都合のいい正義”を、信じていた。
そして――もう一度だけ、書棚から一枚の書類を抜き取る。
レイナ・アルヴィレスの処分命令書。
自ら署名し、捺印した、“正義の象徴”。
それを、火皿にくべた。
火が走る。
文字が、証明が、正義の名が――
音もなく、燃えていく。
紙の焼ける匂いが、部屋を満たす。
法の名のもとに積み重ねられた記録の末端が、静かに、灰へと変わっていく。
「……私は、人を裁くべきではなかったのだな」
その声に、怒りも後悔もなかった。
あるのはただ――
否定された正義の重みだけだった。
それは、彼にとって――
**初めての“赦されぬ償い”**だった。
***
「……焼いたの?」
レイナは報告を聞きながら、カップに口をつけた。
紅茶の香りが、静かに立ちのぼる。
「処分記録、全焼。
再審の可能性に関する報告書も提出せず。
“あくまで個人の判断として”破棄したとのことです」
セレノの報告に、レイナは小さく笑った。
「人は、自分で自分を赦せないとき、
“行動”というかたちで償おうとするのよ」
「そしてその行動が、いちばん雄弁な“告白”になる」
セレノの目が細くなる。
「……これで、彼は終わったのですか?」
レイナは静かに首を振った。
「いいえ。
終わるための“資格”を、まだ持っていないわ」
ゆるやかに立ち上がり、窓の外――
夜の王都を見下ろす。
「罪を隠した者の次は――
“罪を見逃した者”。」
机の上には、すでに次の名前が刻まれていた。
薄く、けれど決して消えない、赤い文字で。
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