選ばれなかった者の記録 ——復讐令嬢は王を超える

SALT

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第40話 狩る者と狩られる者

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夜が明けた。
王都を包んでいた仮面舞踏の喧騒は過ぎ去り、
残されたのは静寂と、誰も口にしない“恐怖”の余韻。

 

昨夜の事件――名指しされた令嬢、アレシア。
その名を出す者はいなかった。
誰もが悟っていた。“次に仮面を剥がされる”のは、自分かもしれないと。

 

笑顔も、仮面も、今は剥がれていた。
社交界に漂っていたのは、言葉を発した者から沈むという、新たな“沈黙の掟”。

 

***

レイナ・ヴェルシュタインは、その朝も変わらず、淡々と紅茶を口にしていた。

 

「……静かね」

 

「皆、震えているのでしょう」

 

セレノの声には、わずかな硬さが滲んでいた。
彼は昨夜、見たのだ。
あの女が、人という器に収まりきらない“何か”であることを。

 

それは裁きでも怒りでもない。
ただ“理”として誰かを落とす、その手つき。

どこまでも冷たく、そして――美しい“破壊”だった。

 

「……で、どうするの? 次の“獲物”はもう決まっているんでしょう」

 

「ええ。“匂い”は、もうつけてあるわ」

 

レイナの視線が落ちた先には、一通の招待状。
封蝋に刻まれていたのは――《ギルダ侯爵》の名。

 

王都西部の軍事を一手に握る旧家。
かつて彼女を最も冷遇した、貴族連合の中枢。

 

「彼は“狩人”のつもりで、私を試してくる。
でも、足元にはすでに罠が張ってあるのよ」

 

「……狩るつもりで、狩られる。実に滑稽ですね」

 

セレノの言葉には、皮肉とともに、わずかな熱があった。
だが、レイナは目を伏せたまま微笑を浮かべる。

 

「“正義”を語る者ほど、自分が獣であることに鈍感。
狩る者の皮をかぶった、肥えた餌よ。処理が楽で助かるわ」

 

セレノは何も返さなかった。
ただ彼女の横顔を――異なる生物でも観察するように、静かに見つめていた。

 

(これはもう、“正義の応酬”じゃない。
ただ、沈黙と計算だけで進む戦争だ)

 

それでも表情ひとつ動かさないのが、
セレノという男の“仮面”だった。

 

***

その頃、ギルダ侯爵の屋敷では――
レイナの名が記された文書を見た侯爵が、豪快に笑っていた。

 

「まさか本当に来るとはな。
あの“仮面舞踏の処刑人”が、我が屋敷に足を運ぶとは」

 

隣に控える老執事が、慎重に言葉を選ぶ。

 

「……想定以上の手練れと見るべきかと。油断なさいませぬよう」

 

「馬鹿を言え。あれは所詮、女の悪あがきだ。
家柄も軍事も、こちらの方が上。
仮面を剥がした程度で英雄気取りとは――笑止だな」

 

その笑みは、支配者の余裕と慢心に満ちていた。
だが彼は、まだ知らなかった。
その“慢心”こそが、すでに毒に触れた証だということを。

 

***

夕暮れ。
レイナとセレノは、侯爵邸の門前に立っていた。

 

正門は荘厳で、誇り高く――それゆえに、傲慢だった。

 

「扉が開いたら、もう後戻りはできない」

 

セレノの声が、風に溶けた。

 

「後戻りなど、最初から考えていないわ。
これは“私の戦場”。
始まりの日に選んだ、“赦さない”という覚悟の地よ」

 

レイナの瞳には、一切の揺らぎがなかった。
そこにあったのは、美しさすら帯びた“意志”の色だけだった。

 

門が開く。
音もなく、しかし確かな圧をともなって。

 

セレノは一歩遅れて、その背に続いた。
――あの夜から、彼の眼差しは変わっていた。

 

彼女を見る視線は、もはや“信頼”ではなかった。
それは、従う者のまなざしではない。

“何かを見届ける”者のまなざしだった。

 

***

この夜――
侯爵家の扉が開いた音とともに、物語は新たな局面へと踏み込む。

 

狩る者が、狩られる。
だがそれは、単なる逆転ではない。

 

――あらかじめ設計された、“予定された逆転劇”。

 

“復讐”の名を借りた、計算された破壊。

 

それこそが、レイナという女の美学であり――
この物語の“最も甘い毒”だった。
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