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第41話 侯爵家の晩餐
しおりを挟む重厚な扉が、ゆっくりと音を立てて開かれた。
それはまるで、獣の喉奥が“美味な獲物”を迎えるように――滑らかに、甘く。
レイナは、一歩、踏み入れた。
赤絨毯の厚みに足音が吸われ、
天井の銀燭が無数の影を床へと落とす。
石壁、床、天井――すべてが、“財”と“権威”の質量で造られていた。
この館は、ただの迎賓館ではない。
己こそが“秩序”だと信じ込んだ支配者の、誇りと妄執の象徴だった。
「これはこれは……よくおいでくださいましたな、レイナ嬢」
ギルダ侯爵が、猫のような笑みを浮かべて現れる。
笑ってはいる。だが、その眼光は冷たい。
敵意ではなく、“評価前の獲物”を見る目――値踏みだった。
「お招きに感謝いたします、侯爵様。
こうしてお話の場を設けていただけるとは、光栄ですわ」
レイナは微笑んだ。
“社交界の令嬢”として仕上げられた、完璧な仮面――従順と品の模倣。
隣に控えるセレノは、一歩下がって沈黙を守っていた。
だが、鋭利な刃物のような気配が、空気をわずかに震わせる。
その一瞬、ギルダ侯爵の目がわずかに揺れた。
だが、何も言わずに踵を返す。
「まあ、肩肘張らずにどうぞ。今夜は“親睦”のための宴席ですのでな」
案内されたのは、黒檀の長卓が並ぶ晩餐の間。
高級な香辛料と焼き肉の匂いが漂い、執事たちが静かに準備を進めていた。
レイナと侯爵は、対面で座る。
***
「レイナ嬢。昨夜の舞踏会での振る舞い、実に見事でしたな。
……まさか、あのリゼリアの小娘があそこまで怯えるとは」
「お褒めに預かり、光栄です。
けれど、“仮面の下に潜むもの”は、誰にも制御できませんわ」
「ほう……それはまた、意味深な」
侯爵は杯を揺らしながら、探るように言った。
「して、今日の訪問の“本当の目的”とは?」
「ええ、一つだけ確認したくて」
レイナはナイフとフォークを手に取る。
刃先が皿をなぞり、金属音が乾いた空気を裂いた。
「あなたが――私の家を潰すために動いた、“中心人物”だったのかどうか」
空気が、止まった。
執事が動きを止め、使用人が目を伏せる。
侯爵の笑みが、仮面のように――微かに、ひび割れる。
「……成程。そう来るか」
「潰したのではない、“正した”のだ。
女系の家が、我々のような家柄と肩を並べる? 笑わせるな。
貴様たちは“血”も“力”も足りていない。それだけのことだ」
「時代の終わりが近づいているわね。
“自分が正しい”と信じて疑わない者が語る常套句――
五十年くらい、遅れてますわ」
レイナは杯を持ち上げ、口元へ運ぶ。
唇に触れたその赤は、まるで血のようだった。
「侯爵様。今夜お伝えしたいことが、一つだけありますの」
「……なんだ?」
「――もう、“狩る側”ではありませんわ。
この時代で最も“狩られるべき者”は、あなたのような人間ですもの」
刹那。
セレノが椅子を引いて、静かに立ち上がった。
それに反応し、部屋の扉が開く。
警護兵たちが、一斉に流れ込んできた。
だが――その光景すら、レイナにとっては“予定通り”。
セレノの懐から取り出されたのは、短剣でも毒でもなかった。
一通の――封蝋付きの文書。
その場に、音のない“重さ”が落ちた。
セレノは無言で、それを卓上へ置いた。
場の空気が、凍りつく。
「これには、貴方が過去に秘密裏に取引していた密輸組織との癒着、
そして軍資金の横流しの証拠が記されています」
「……馬鹿な……!」
「本物ですわ。
必要であれば、明朝、王城の法務審議会に提出いたしましょうか?」
侯爵の顔から、血の気が引いていく。
その目は――ようやく気づいた者の目だった。
自分が“皿の上の肉”だったことに。
晩餐は、崩れた。
誰も声を上げず、誰も手を伸ばさなかった。
ただ、音もなく――“支配者”が崩れていくのを、全員が見ていた。
***
その夜。
レイナは何も言わず、侯爵家の門を後にした。
「……終わりましたね」
セレノが呟く。
「いいえ、“始まった”のよ」
その声は、夜の闇よりも冷たく――
だが、炎よりも確かに燃えていた。
狩る者は、もはや“神”ではない。
人の手で、欲望と偽善を撃ち抜く。
そして、次に“名を呼ばれる者”は――
まだ、気づいていない。
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