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第44話 玉座の揺らぎ
しおりを挟む王都の空が、不穏に滲んでいた。
晴天のはずの昼下がり。
王城の上空だけに黒雲が垂れ込めている。
それは天候ではない。
腐敗の匂いを隠すために、空が“眼を閉じた”ような暗さだった。
――国が崩れるとき、最も先に軋むのは“象徴”である。
王家。
それはこの国の“神話”だった。
剣も言葉も要らず、“王がそう在る”というだけで、民は秩序を信じられた。
だが、神話は静かに腐る。
そして腐った物語が崩れ落ちるとき、最も大きな音を立てるのが――玉座そのものだ。
***
「……彼女を、王宮に招く?」
侍従長の声が震えていた。
「冗談ではない。あの女のせいで、聖堂は崩れ、貴族は互いを疑い、
民衆は“神の声”すら信じなくなった。
今度は、王権にまで爪をかける気か?」
「……だが、陛下はこう仰った。
“一度、直接見てみたい。ヴェルシュタインの娘が、どれほどの眼をしているのか”と」
空気が、凍りつく。
この十年、一切の政治に介入しなかった“老王”。
ただ玉座に座し、時を見送るだけだった男が――初めて動いた。
その名は、もはや風聞ではなかった。
王の耳元に届く、“警鐘”だった。
***
その夜、王宮から一通の書状が届いた。
招待ではない。“召喚”だった。
「……いよいよね」
レイナの指が、封蝋の跡をなぞる。
セレノは、その背に立ったまま問いかけた。
「本当に行くのですか? 玉座の前でも、貴女は決して頭を下げないでしょう」
「ええ。私は王と戦うつもりはない。
ただ、“王を盲信する物語”に、終止符を打つだけ」
その声には、氷のような冷たさと、焰のような焦がれが同時に宿っていた。
セレノは答えなかった。
ただ見つめていた。
その背中の輪郭を、まるで――かつて遠い夜に見送った“誰か”のように。
(……まだ名乗っては、いけない)
(これは、彼女自身が“神話”に勝つまでの物語だから)
彼の沈黙は、忠誠ではなかった。
それは、彼女に選ばれることを拒む“贖罪”だった。
***
翌日、王宮――謁見の間。
白金の柱が並ぶ長い回廊。
燭台の炎がわずかに揺れ、絨毯の音を吸い込んでいく。
レイナはその中央を、ただ静かに歩いていた。
一歩ごとに、“国家の物語”が軋むようだった。
“敗者”の家に生まれ、王都を毒で染め、神殿に火を放った女。
その女が、今――玉座と視線を交わす。
「……貴女が、レイナ・ヴェルシュタインか」
老王の問いは、威圧ではなかった。
それは、“審判”だった。
「はい。亡き父と母の名において、ここに参上いたしました」
その声には、嘲りも卑屈もなかった。
ただ、“記録するための言葉”がそこに置かれていた。
「なぜ、ここまで混乱を生んだ?
貴女が欲するのは、国家か。権力か?」
「どちらでもありません。私が欲するのは――“清算”です」
「……清算、だと?」
「この国が“正義”の仮面をかぶって、どれだけ多くを踏みにじってきたか。
私はただ、それを“見える形”にしただけのことです」
「つまり、国を敵に回す覚悟があると?」
レイナの瞳が、王の目を射抜いた。
「敵と味方を決めるのは、私ではありません。
私はただ、“考える自由”を、もう一度この国に返したいだけ。
そのために私は、“壊す”ことを選びました」
謁見の間に、長い沈黙が落ちた。
老王は、ゆっくりと玉座に体を預ける。
そして、薄く笑った。
「実に……美しい目をしている。
それは剣よりも冷たく、焰よりも深い。
どこまでも信じていないのに、どこまでも信じているような――そんな眼だ」
「見せてもらおう、レイナ・ヴェルシュタイン。
お前の“革命”が、真に価値あるものかどうかを」
***
謁見を終え、回廊を歩くレイナの隣に、セレノが寄り添う。
「陛下は……貴女を認めたのでしょうか?」
「まだ。
“刃”としての価値は測られた。
でも、“理”としての証明は、これからよ」
レイナは、王宮の奥にそびえる塔を見上げる。
「……あの中にいる。“この国を支配してきた、もう一つの手”。
次は――そこよ」
セレノは答えなかった。
だが、その横顔には、初めてわずかな陰りと祈りが宿っていた。
(あの夜、燃える屋敷の前で。
君が誰にも名乗らずに差し出した手を、今も俺は忘れていない)
物語は、玉座を越えた。
静かに、しかし確実に――“見えざる支配”の中枢へと指を伸ばし始めている。
そしてその傍らでは、名乗られぬ存在が、静かに輪郭を帯びていた。
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