京に忍んで

犬野花子

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第二章

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 気付くとあっという間に日々が過ぎていた。

 なかなか毒薬の成分を確認する所までいかない。すぐに変な動きをしても潜伏行動は上手くいかないものなので、ある程度仕事や環境、皆の動きを把握出来るまではおとなしくしていようと考えていたが、そもそも直接調べる、手に取るということができない環境であった。なにより風太郎がベッタリとくっついていて下手なことが出来ない。

 一番手っ取り早いのは薬に詳しいその風太郎に聞くことなのだが、そういう訳にもいかず時間だけが過ぎていく。
 定期的に忠明の使いの者に様子を聞かれるが、同じ答えしか返せてはいなかった。

 気付けばタキがこの泰平京に入り込んでから夏、秋、そして冬が来ようとしていた。
 そんなとある日、変化は訪れた。


 その日は霜月の「中の卯の日」と名前のつく、帝が五穀の収穫を祝う新嘗祭しんじょうさいが行われる日。
 明日にはこの典薬殿のすぐ東にある豊楽院ぶらくいんで、盛大な舞が行われる。その準備で外を行き交う人通りと慌ただしさがこちらまで届いて落ち着かない日であった。

 タキは薬園師から言付かって、学生達が学ぶ区域とは別に設けられている、侍医達が実際に医療行為を行う部屋に薬を届けに足を運んでいた。
 典薬殿自体が広い建物なので、まだ入ったこともない部屋もあるが、これから持ち入る場所は勝手知ったる場所なのでスタスタと簀子を歩きいつものひさしへ入ろうと御簾が上げられた入り口から入る。

 するとその廂を小部屋に分けている分厚い布の壁代から気になる言葉が聞こえて、タキは思わず足を止めた。

 この通路は侍医達が大内裏で働く者達を診察治療する医室の裏手となり、タキのような助手働きの者が行き交う場所の為、怪しまれないように、両手に抱えている薬品の入った木箱を置いて、確認しているふりを装いながら耳をそばたてる。

「……なかなか、難しいですな……」
「それを承知でお願いしております。これがお預かりしているものです、どうぞ」
「……こんなに……わかりました」

 人の気配が動く。客の男が医室を出ていく絹擦れの音がした。
 タキは思わず木箱をそのままにし、入ってきた御簾から出て反対方向へと簀子を走って、典薬殿の表となる北側へ出た。こちら側は利用者が出入りする場所となっており広廂ときざはしがある。

 幾人かがそこにいたが、タキはひとりの後ろ姿をじっと捉えていた。
 その男は優雅な動作で階を降りて、浅履あさぐつを履き終えると、長く美しい髪を靡かせながら歩いていった。

 その様子を視界から消えるまで追ってから再び先ほどの場所へ戻ると、置きっぱなしだった木箱を抱えて、「頼まれていたもの、お持ちしました。失礼します」と、その壁代の切れ目を潜った。

 その侍医は書き物をしている最中だったようで、急に入ってきたタキに驚いて振り返った。
「どうしたのかね滝丸。わたしは今日は頼んでいないが」
 年配の男は眉根を寄せてタキを見上げた。
「え? そうでしたっけ?」
 木箱を降ろしガサゴソと中を確認して、「あ、間違えました」とすっとぼける。
 侍医は嫌味なく「珍しいな、滝丸でもウッカリするのかの?」と笑う。

 部屋の人物の念の為の確認をしたかっただけなので、すぐに「失礼しました!」と部屋を出て行こうとすると声がかかった。
「ついでですまんが、新平を呼んでくれんか」
「新平、ですか? 薬園師様ではなくて?」
「ああ……ちょっと用事があってな」
「わかりました」
 タキは不安を与えないようにすぐに部屋を出た。

 侍医が呼ぶように言った新平とは、薬園生のひとりだ。
 普通、侍医が薬を頼む場合は、薬の処方を管轄としている医博士に頼み、医博士から風太郎が在籍する薬生に仕事として振り分けられ、薬生が医博士に材料確認してもらい薬園師に注文してという流れになっている。
 ところが、そのすべてを飛ばして薬草を栽培する薬生を呼べという。

 そして、先ほど耳にした会話。
「できるだけ味がしないものを」というもの。これが耳に入り足を止めたのだが、薬草はどうしても苦味や違和感が舌に残る。
 それを無くせというのは子供用に作る場合に注文がある。それは里での風太郎の仕事でもよくあるものだったが、非常に難しいことである。
 そしてその時に、もうひとつの仕事でもこの言葉が出るときがあった。それは『毒薬』を作る場合だ。

 タキは自分の仕事を急いで終わらせ、新平を呼びにいくが、特にその者に挙動不審な所は見えず、もう一人を確認することにした。


 典薬殿を出ると人がワラワラ集まっている豊楽院を通りすぎ、内裏の真南にある陰陽寮までやってきた。
 表にいた若い男に言伝てると、しばらくして建物から出てきた者がいた。

 長く美しい黒髪をたなびかせ、女のように美しい面立ちの陰陽師、弓削月乎ゆげのつきやだ。

「これは、あなたには驚かされますね」
 月乎はそう言うと楽しそうに微笑む。
「お久しぶりでございます。また会えましたね」
「今のあなたの名は?」
「滝丸と申します」
「ふふ。かわいらしい。わたしの局でも良ければ、どうぞ」
 月乎はなんの警戒心も抱くでもなく、あっさりタキを招いた。

 陰陽寮の月乎に与えられた部屋はとても殺風景であった。あるのは文台と硯箱、几帳と燈台のみであった。
 タキの顔によほど出ていたのか、月乎は座るよう手のひらを向けながらクスリと笑う。
「仕事に使う道具はその都度返すので今はなにもありませんよ。厳しく管理されているのです。雇われ者ですからね」
「そうなんですか」

「さて、ご用件はなんでしょうか? 何か心配事でも占って欲しいとか?」
「いいえ」
「でしょうね」
 男は美しい微笑みを浮かべた。赤いふっくらとした唇はまるで女のようだ。
「以前、弓削様の計らいで、頼子様の行いを明らかにすることができました。ありがとうございます」
 タキは手をつき深々と頭を下げた。
「頭をあげてください滝丸殿。嫌味にしか聞こえませんよ」
 顔を上げて上目遣いに見上げると、月乎は変わらず余裕の笑みを浮かべている。

「弓削様、あのお薬はどこで手に入れたのですか?」
「さて、どう答えましょうか」
 途端に困ったように首をかしげるが、腹が立つ前に妙に絵になり見とれてしまう。この人が女であったなら、すべての男を捕えてしまうことができただろう。

「事によっては、あなたのことを報告しなければなりません」
「……君は今、何をしているのかな?」
 月乎は大きな瞳をじっと真っ直ぐタキに向けてくる。
「……何を、とは?」
「以前会った時は、確か梨壺の女房でしたね。実際は桐壺だったようですが」

 タキは思わず唇を噛む。
 これ以上は自分の立場が危うくなりかねない。ここに単独で乗り込んだのは軽率だったか……。

 しかし月乎は「ふふっ」と扇子で口元を隠して微笑む。
「わたし自体は何もしておりません。信じてもらえませんか?」
「……それは、難しいです。……私はあなたのことを良く知りませんし、信じろと言われましても……」
「素直ですね。それではこうしましょうか。わたしが本当にあなたに話さなければならない事を明かしましょう」
「え? それはどういう……」

 月乎は一瞬辺りを窺うそぶりを見せたのち、スススとタキとの距離を詰め、広げた扇子を口元に添えた。
「あなたは、滝丸でもない、女房でもない。ある者に嵌められてその身を落とされているのです」
「……え」
 タキはすぐ横にある美しい顔を、食い入るように見つめ返した。
「わたしは、もっと昔にあなたに会っているのですよ」

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