京に忍んで

犬野花子

文字の大きさ
19 / 33
第二章

新たな自分

しおりを挟む
 忠明の舎人に「報告あり」の合図を送ってからすぐに、内裏に入る為の嘘の用事を申しつかった。

 久しぶりの宣耀殿、久しぶりの忠明との対面だった。

「息災のようですね」
 相変わらず涼しげな見目麗しさと耳心地の良い低い声でそう言葉をかけてきたが、どことなく疲れを滲ませているようにも見えた。

「なかなか良いご報告が出来ず、申し訳ありませんでした」
 タキはそう畳に手をつき頭を下げる。
「いいや、こちらこそあなたの手助けが何も出来ず……」
 スルリと忠明の長い指先が頬から顎を撫で、そのまま掬い上げるように顔を自分に向けさせる。
「……歯痒い思いでしたよ」
 一段低くなったその言葉は少し掠たように耳に届く。しかし瞳には色を消したように何も映してはいなかった。

「……あの、忠明様は、お疲れではないですか? 少し、痩せられたような」
「思ったよりも忙しくしてしまったのでね。……もっと時間をかけて取り掛かるべきだったのでしょうが……」
「?」
 タキに応えたというよりは、自分に言い聞かせたように思えた。いつもの忠明とは違う、少し所在なげなフワフワと気持ちが散乱しているようにも思える。

 タキのキョトンとした表情に気付いたのか、ふふっと忠明は扇子で口元を隠して微笑んだ。
「すみません。後でお話します。それで薬の件、何かわかりましたか?」
「はい」
 タキはスッと背筋を伸ばして座り直した。そこでやっと忠明の指先も離れる。
「薬の成分については、そこにまでたどり着ける環境ではなくて何もわかっていません。しかし、少し怪しく感じたことがありまして」

 典薬殿で見聞きしたことを話すと、忠明はいつもの引き締まった表情で思考を巡らせ始めた。
「……わかりました。その侍医と、薬園生の洗い出しをしてみましょう。それでその注文をしに来ていたというのはどのような者でしたか?」
「はい……それが……ええっと……」

 ところが急に、口が渇き始めた。陰陽師の名前を出そうとすると、ヒュウヒュウと喉が鳴り息苦しさを感じて咳き込む。
「滝丸! 大丈夫ですかっ?!」
 忠明はすぐにタキの身体を覆うように抱き締め背中を擦る。
「ごほっ! かはっ!……だ、だいっ……大丈夫ですっ」

 すぐにピンときた。
 これは呪による封じなのだろう。あの時、陰陽師は名前を出させぬように術を施したのだ。
 現に、あの男のことを話そうとしなければ呼吸は元に戻るのだ。

 身体が落ち着き今度は硯箱を探そうと頭を巡らせるが、また口内に渇きがジワジワと迫る気配を感じた。

(恐ろしい! なにこの呪い! 書くことも無理なの?!)

 どうやら接吻で口の自由を奪ったのではなく、術を吹き込まれて体内に巡らされたようだった。

「滝丸、もういい、無理はするな」
 忠明はぎゅうっと、柔らかく包むように抱きしめて頭と背中を撫で続ける。
「あなたに術を施した者がいるのですね……その線でもこちらで動きましょう。だから、あなたはもう何もしなくていいのですよ」

 温かく逞しい腕に抱かれながら、それでもタキは悔しさで険しい顔を隠せないでいた。
 多分あの弓削月乎は、そこすらも辿り着かせないように注意を払っているような気がするのだ。術が使える者などそういない。いたとしたら多数の中に紛れ込むことなど不可能である。この内裏いや、大内裏では術を操れることを隠しているのではないだろうか。

 忠明は自分の胸にタキをもたれ掛からせるようにして休ませ、呼吸が落ち着くと、水差しを取りゆっくり飲ませる。そしてまた腕の中に囲って休ませる。
 タキはすでに元に戻っていて、むしろその状態が居たたまれなくなる。
「あ、あの……ありがとう、ございます」
 すぐそばにある絵巻物の世界のような美貌を見上げると、その顔はふわりと微笑む。
「その表情は反則ですね」
「え?」
「瞳を潤ませ頬を染めて、そんな表情で見つめあげられたら、不謹慎とはいえ欲しくなってしまいます」
「な? なにをっ! こ、これはさっきまで苦しくてっだとっ……たぶん……」
「ええ、わたしもそう思います。残念ですが」

 ジッと見下ろされ視線も外せず見つめ返す。
 なぜか今までとやはり違う気がするのだ。元気がない? 覇気がない? いや……あんなに過剰だと思えるくらいの自信に満ち溢れた、ちょっと高見の見物的な傲慢さがなくなっているように思える。

 だからだろうか。

「わたしに、口付けをしてくれませんか?」
 と囁かれ、抵抗もなく自分からその美しい唇に触れていた。
 一度離して見つめあうと、瞳を細めて愛しげに頭を撫でられ、タキはもう一度口付けをする。
 両腕を忠明の首に巻き付け、唇を深く溶かし込むように強く合わせる。
 そこでようやく熱い舌が侵入してきて、かき抱くように身体を腕で縫い付けられる。

 長いこと、お互いの唾液を交換しあい、舌のざらつきを擦りあい、吸い付いて、唇がヒリヒリとなるまで濃厚に絡める。

 きっとお互い同じ表情であろう、うっとりと惚けた顔を見つめあいながら、忠明はポツリと、呟いた。

「あなたは、わたしの、最初で最後の姫なのですよ」

 最初、ぼんやりしていた為か、何を言っているのかわからなかった。少しして、ああこれはひょっとして愛の告白なのか、と思ったのだが……。

 忠明は捕らえるかのように眼差しを強めた。
仁子にこ姫……思い出せませんか?」
「……え……」

 忠明はゆっくりと密着していた身体を離す。
「あなたは、左大臣源兼仁みなもとのかねひとの一の姫、源仁子姫なのです」
「……左大臣……?……仁子?」
「はい。七年前、盗賊か何者かの類いにより、姫が乗っていた牛車は襲われ、ずっと行方不明となっていました。犯人の声明もなく生死の確認も出来ず、仁子姫は亡くなったということになりました……」
 忠明は眉根を寄せ続けた。
「そのことが原因で兼仁殿も奥方も病に臥せられ、奥方は亡くなってしまわれました」

 タキは頭がいっぱいで、ただただ情報として受け取ることしかできなかった。
 それを労るように忠明の大きくて温かい手のひらが止まることなく頭を撫でる。

「兼仁殿もずっと床に臥せたまま、左大臣としての業務も出来ず、邸から出ることもなくなりましたが、わたしは確信を持って、あなたのことをご報告させて頂きました。あなたに会いたいと、おっしゃられていますよ」
「……あの、でも……あの本当に、私が?」

 自分の名前を告げられてもピンと来なかったのだ。
 あの陰陽師が言うように、記憶に蓋がされているからなのか。タキとして生きてきた証しか自分には残ってないからだろうか。
 しかし、辻褄は合ってくるのだ。

「ええ、本当です。なぜなら、その紐の一部は、わたしがあなたに差し上げたものだからです」
 そう言うとタキの左手首を持ち上げてみせた。

 薄茶けて汚れた紐。いつからかずっと身につけていたものだ。たぶん記憶を消される前から。

「あなたは当時、東宮妃として最有力候補とされていましたが、それとは別にこっそりとわたしは、あなたに求婚していたのです」
 じっとその紐を見つめる。
「小さい頃、あなたとわたしは筒井筒の仲でしてね、よく遊んでたのですが、わたしがうっかり木から落ちた時、あなたは自分の美しい衣を破り血を拭ってくれたのです。……わたしは嬉しくて、自分の衣も破ってその2つの布切れを結って、あなたのこの手に結んだのです。……わたしの妻となってください、と」

 タキはみるみる瞳を見開いた。

 何度も夢の中で繰り返された光景だ。
 きらびやかな衣を纏ったふたりの童が向かい合っていた。少しだけ背の高い童が女童の腕に紐を結んでいた。あの光景。


 忠明はふふっと笑った。
「子供でしたから、その行為がなんの証にもならないことなど知らず……そしてあなたはいなくなった……」
 力なく瞳を細める男に、タキはなんと答えればよいのかわからずただ見つめ返すのが精一杯だった。

「仁子姫……あなたが生きていてくれた、それだけでもわたしは幸せ者だ。……それなのに、まだ欲張ろうとするわたしは、なんと強欲なことか……」
「忠明様……?」

 強く揺らめく瞳に戸惑っていると、忠明は瞳を閉じ深く息を吐いた。
「このままあなたを閉じ込めてしまいたい、ところですが……ここで急にあなたが典薬殿からいなくなって怪しまれてもよくない。なるべく早く部署変えという名目で殿上童としての身を解消いたします。そしてそれからは仁子姫に戻ってもらい、まずは少しでも早く兼仁殿にお会いになってあげて欲しい。……今後のことはそれからですね……」

「今後のこと?」
 瞬きして見つめると、出会った頃のように唇が美しい弧を描く。とっておきの妖艶な笑みを向け、唇を奪った。


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです

沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

襲われていた美男子を助けたら溺愛されました

茜菫
恋愛
伯爵令嬢でありながら公爵家に仕える女騎士イライザの元に縁談が舞い込んだ。 相手は五十歳を越え、すでに二度の結婚歴があるラーゼル侯爵。 イライザの実家であるラチェット伯爵家はラーゼル侯爵に多額の借金があり、縁談を突っぱねることができなかった。 なんとか破談にしようと苦慮したイライザは結婚において重要視される純潔を捨てようと考えた。 相手をどうしようかと悩んでいたイライザは町中で言い争う男女に出くわす。 イライザが女性につきまとわれて危機に陥っていた男ミケルを助けると、どうやら彼に気に入られたようで…… 「僕……リズのこと、好きになっちゃったんだ」 「……は?」 ムーンライトノベルズにも投稿しています。

わたしのヤンデレ吸引力が強すぎる件

こいなだ陽日
恋愛
病んだ男を引き寄せる凶相を持って生まれてしまったメーシャ。ある日、暴漢に襲われた彼女はアルと名乗る祭司の青年に助けられる。この事件と彼の言葉をきっかけにメーシャは祭司を目指した。そうして二年後、試験に合格した彼女は実家を離れ研修生活をはじめる。しかし、そこでも彼女はやはり病んだ麗しい青年たちに淫らに愛され、二人の恋人を持つことに……。しかも、そんな中でかつての恩人アルとも予想だにせぬ再会を果たして――!?

兄様達の愛が止まりません!

恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。 そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。 屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。 やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。 無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。 叔父の家には二人の兄がいた。 そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…

喪女なのに狼さんたちに溺愛されています

和泉
恋愛
もふもふの狼がイケメンなんて反則です! 聖女召喚の儀で異世界に呼ばれたのはOL・大学生・高校生の3人。 ズボンを履いていた大学生のヒナは男だと勘違いされ、説明もないまま城を追い出された。 森で怪我をした子供の狼と出会ったヒナは狼族の国へ。私は喪女なのに狼族の王太子、No.1ホストのような武官、真面目な文官が近づいてくるのはなぜ? ヒナとつがいになりたい狼達の恋愛の行方は?聖女の力で国同士の争いは無くすことができるのか。

義兄様と庭の秘密

結城鹿島
恋愛
もうすぐ親の決めた相手と結婚しなければならない千代子。けれど、心を占めるのは美しい義理の兄のこと。ある日、「いっそ、どこかへ逃げてしまいたい……」と零した千代子に対し、返ってきた言葉は「……そうしたいなら、そうする?」だった。

家政婦の代理派遣をしたら花嫁になっちゃいました

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
このご時世、いつ仕事がクビになるか分からない。社内の派遣社員が一斉にクビを告げられた。天音もそんな1人だった。同じ派遣社員として働くマリナが土日だけの派遣を掛け持ちしていたが、次の派遣先が土日出勤の為、代わりに働いてくれる子を探していると言う。次の仕事が決まっていなかったから天音はその派遣を引き受ける事にした。あの、家政婦って聞いたんですけど?それって、家政婦のお仕事ですか!? 強面の雇い主(京極 樹)に溺愛されていくお話しです。

処理中です...