京に忍んで

犬野花子

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第三章

照らされぬ月

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 月弥は、快楽の世界から何度も抜け出ようとして躊躇してしまっていた。それだけタキの身体に溺れて後悔をする。

 短くなった燈台の蝋燭をひとつずつ新しいものに付け替えては火を灯していく。
 部屋の中央に畳二枚を重ね、しとねを敷いただけの場所に横たわるタキを見下ろしながら髪をすいてやった。
 身じろぎしてタキの長い睫毛がふるふると揺れ、月弥を見上げる。
「……あ……」
 その掠れた声に、月弥は微笑んだ。
「無茶をさせてしまいましたね……。最後と思うと、なかなか歯止めがきかなくなりました」
「……さい、ご?」
 タキはその言葉に、重い身体を起こして腕をつきながら、目の前の美しい男を見つめた。
 それを受け、月弥はフッといつになく柔らかい笑みを浮かべる。
「あなたに、聞いて欲しいことがあります。……あなたには、懺悔しなければならない」
 タキの顔にかかった髪を指先で肩に流すと、月弥は視線をそこから外し、燈台の炎を瞳に揺らめかせた。

 タキはその瞳に吸い込まれそうになりながらも、口元をキュッと引き締めた。
「……聞いても、きっとあなたを許すことは出来ないわ」
「ええ、それで良いのです。わたしは許されざる者でしたから、今も、昔も」
 どこか遠くに想いが飛んでいるような、儚げな面持ちでポツリと月弥は溢した。
「……あなたは、何者なの?」
 腕をつき真っ直ぐと艶やかな黒目を向け、タキは問う。すべては、そこにあると肌で感じたのだ。

「わたしの母は、今の弘徽殿女御や麗景殿女御よりも前に帝の元へ入内したと言えば、わかりますか?」
「え?」
「それすらも記録から抹消されてますけどね」
 フッと冷え冷えとした笑みを溢した月弥の横顔を見ながら、タキは驚き二の句が継げないでいた。

 今は弘徽殿女御が下ったので順位は違うが、その弘徽殿女御が帝の第一后であるものと誰もが認識していた。だからこそ慶時親王が、年上の恒和親王を抑えて東宮となっているのだ。産まれた順番ではなくあくまで、后がどれだけ帝に寵愛されているか、なおかつ子供の性質が買われているかで、世継ぎが変わる。

「母はあまりにも美しかった。それ故に、短命で終わってしまいました。噂を聞いた上皇が帝の后にと、無理矢理に入内させたのですがね、わたしがもうすぐ元服をし、正式な東宮となるという時に、不義の子と糾弾される事態になって、一族ごと潰されましたよ」

 あまりにもサラリと顛末を語られた内容は、それでも深くタキのしんの奥に刺さった。
「……不義ではない、ということなのね。誰かに嵌められたのね」
「ええ。母は何も語らぬまま床に伏せそのまま召されてしまいましたので、本当のことはわかりませんが。他の権力者からのはかりごとで噂が立てられたのか、上皇に閨を強要された上、都合が悪くなり切り捨てられたのか。人は色んな噂をそれは楽しそうに話すものですから、純粋で優しかった母の心は、すぐに壊れてしまいました」

 短い間だが入内していたタキには、ありありと浮かび上がる起きてもおかしくない卑俗さであった。
「誰の差し金だとはわからず?」
「ええ」
 月弥はいまだボンヤリと炎に見入ってるかのように、心ここにあらずと吐露する。
「もう、誰だったかなど、良いのです。あの忌わしい世界さえなくなればそれで」
「ひょっとして、今までの事件は、すべてあなたが操ってた、の?」

 今まで起きた事が、あまりにもスッキリと解決していったからこその違和感。それは、すべてこの月弥が計画して淡々と行われていただけのものだったのか。だからこそ、こちらを協力している風を装って、右大臣を陥れたのだろう。

「てっきり、大納言の言いなりで動いてるのかと思った。でも、あなたが大納言をも操っていたのね」
 蒼白な面持ちのままそう問うと、柔らかな笑みで向き直った月弥は首を振った。
「そこまで大それた事はしていないのですよ。焦りや虚栄心が彼らの欲を増大させた。わたしの意図を越える人達に驚かされましたし。……ただ、あなたには本当に申し訳ないとは思ってますよ。東宮に求婚されたあの幼き女童を、利用したのは他でもないわたしですから」
「右大臣を唆して私を拐わせ、それを後の札にして内裏から追いやった」
「そうです」
「それは、大納言に協力をするフリでもあったのね」
「ええ。まさかまたあなたを浚うとは思ってもいなかったですけどね。起きた事、起こされた事はすべて利用させてもらいました。しかし、買いかぶりすぎたのか、彼らはもう一歩のところで詰めが甘い。もう、ひとつずつ壊していくのが面倒になってしまいましたよ」
「えっ?!」

 すくりと立ち上がった月弥に、妙な胸騒ぎを覚えて見上げた。
 それを受け止めるように月弥は僅かにその美しい唇に弧を描く。
「お別れです。……もう一度、やり直せるのなら、あなたのその腕に契りが巻かれる前に……」

 最後まで言わず、ぐるりと囲っている几帳の隙間を縫って、月弥の姿は消えた。
「待って! 月弥っ!」
 燈台の炎がそれに答えるようにフワリと揺れるだけで、もう男の気配がこの部屋にないことを映すだけだった。

 タキの身体は一気に汗が吹き出す。心音が、身体を支えている腕を揺らめかせる。

『ひとつずつ壊すのが面倒になってしまいました』
『お別れです』

 月弥の目的はただひとつ、すべてを奪っていった者への復讐であることは間違いない。
 ただ、直接の始まりであったろう母上を無理矢理入内させたという上皇は、病死でもうすでにこの世にはいない。
 だとすると復讐の矛先は、右大臣や大納言への復讐が終えたとして、いや、もう面倒だと言った。
 ということは、帝に手をかけようと?

『あの忌わしい世界さえなくなれば』

 違う、月弥は、誰であろうともういい、と言った。
 彼にとって憎むべきものは、あの内裏ばしょがすべてなのだ。

「慶時、様」
 思わず溢れた名にハッと頭を上げた。
 彼もまた、憎むべき人であり、憎む場所にいる者。
(いけないっ! 慶時様の身がっ!)

 腕の力を込めて立ち上がろうとするが、腰に力が入らない。這いずって畳の上から降りようとするも、なぜか身体が不自由に鈍く重く感覚を切断されていくようだ。
「月弥……また、呪をかけたのねっ」
 気持ちが焦れば焦るほど、畳の上に崩れ落ちるだけ。暫くもがくも、どうにも打破できる気がしなくなってきた。

 タキはひと呼吸置く。
 呪が施されたのなら、『この場所から逃げ出す事』を封じられたはずである。考えがそちらに向くと身体が重くなる。しかし、月弥は自分をこのままここに留めて衰弱死させる気まではないだろうと思った。殺すならまどろっこしい事はせずに手をかけ、すぐに内裏へ向かっていたはずである。もっと言えば殺すことが目的であれば、わざわざ連れ出さずとも左大臣邸で手を下していたであろう。

(時間経過を待つ?! いや、いつまでこのままなのかわからないっ。何か、私を一定時間縛るモノがあるはずっ)

 心を静めて、逃げる事を頭から追い出し空っぽにすると、タキはゆっくりと部屋を見渡していった。
 部屋には、この畳とぐるりと囲んだ几帳、そして燈台が四脚。
 結界に使うとするなら、この畳が降りられないということで怪しいが、それだと時間による制約は行えないだろう。

 タキは、心を無にして畳の端になるべく身体を寄せた。不自然に畳の角付近に置かれている燈台の蝋燭に、フッと息をかけて消す。黙々と四脚とも吹き消すと、さきほどまで鉛のようだった身体が浮遊する感覚を手に入れた。




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