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羽馬千香子
14話 汚れてたキャンバス
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前まで、会えるのも偶然見つけるのだって、嬉しくてしかたなかったのに、今は、こんなにも怖い。このドキドキは、痛みを伴っている。
「……誠司くん」
汗だくになっている。部活の時のあのオレンジのTシャツじゃなくて制服の白い袖で雑に額の汗を拭っている。日に焼けた腕と白シャツのコントラストが眩しくて、なんだか苦しい。
「どうしたの? 部活じゃないの?」
なにかを切り出されるのに怯えて、言い淀む彼の空気を察して、口は勝手に動いていた。
「ああ、うん……。ちょっと、流れで、休むことにした」
「そうなんだ」
うまく会話はできてない。お互いの言葉は投げかけていてもただそこに漂っているような、変な空気だ。
誠司くんは、やたらに自転車のハンドルを気にするように視線を外すし、私もなるべく視界に捉えないように自分家の門の形を目で追っている。
「あのさ」
「ん?」
誠司くんは、踏み出す決心をしたようだ。私は、覚悟を決められるだろうか。
「さっき、アイツ、来ただろ。先輩」
「円堂先輩?」
「なんか言ってたか?」
質問の意味がわからなくて、無意識に彼の瞳を見つめようとして、お互い弾けたようにそらしてしまった。
「えっと、え? 先輩? どして? 部活に出てねって、言われたけど」
「それだけ?」
「うん」
誠司くんは少し納得いってない様子だ。先輩が言うことと、彼になんの関係があるんだろうか。円堂先輩のことを知ってるだけでも不思議なのに、私と先輩の間の会話なんて、誠司くんには一番関係のないものばかりなのに。
「なんだよアイツ、カッコつけやがって」
「え? ちょっと、先輩になんてこと言うのよっ」
「なんだよ、お前、アイツの肩持つのかよ」
「なにさっきから変なこと言ってんのよ」
誠司くんの表情はあからさまに不機嫌になっている。
「俺が殴ったんだよ」
「……はあっ?」
まさかまさか、なんてことを。誠司くんが? 先輩が言っていた「血気盛んな後輩」とは、この誠司くん? ずっと小動物のようだった、上下関係にきっちりしたスポーツ少年が、年上の喧嘩相手としては無縁の優しさしかない先輩相手に!?
「なっ、なにしちゃってんの?」
「いいだろ別に!」
完全なる逆ギレである。呆れすぎて、さっきまで怖くて見られなかった彼を、まじまじと眺めてしまった。
「なんで殴ったの? 信じらんない! ちゃんと謝った? てかほんとなんで殴ることになんの? 暴力反対!」
「一気にあれこれ言うな! 俺だってビックリしたからここに来たんだよ!」
「意味わかんないっ」
先輩には、いっぱい彼のことを相談してきているのだ。だから先輩は一方的に誠司くんのことを偏った私の情報でよく知っている。私のフィルターにかかった誠司くんはきっとキラキラ少年としか伝わってなかったろうに、それが暴力少年だったという種明かしになるわけだ。
「最悪だ」
先輩に顔向けできない。せっかく、変な距離を正せたと思っていたのに。
「そこまで言うなっ、くっそー。そーゆうことじゃないんだって」
誠司くんは、自転車のペダルを足蹴りして唸っている。
「なんか、今日はもう疲れたから、家入る」
頭の中がずっとぐるぐるしている感じ。きっとキャパオーバーだ。整理反省する前に次々問題が投げ入れられてる感じだ。
それに、やっぱりまだ立ち向かう心の準備が間に合っていない。明日から頑張るから、今日だけは、逃げさせてほしかった。
門を掴んだところで、誠司くんの”待て”がかかってしまった。
大きく深呼吸をして、向き直る。
「これ、ずっと俺持ってたから、今日こそは持ってきた。これを渡したくて、来た」
ああ、やっぱりか。
ずっと自転車のカゴに入っていたもの。ずっと、視界に入らないようにしていたもの。
誠司くんに突き出されるようにしたそれに、伸ばす自分の手は震えていた。
角はめくれて、丸めた時の跡がまだ形に残っていて、始めたころ新品だった交換日記は少しくたびれていた。
「じゃっ、またな」
誠司くんは逃げるようにクルンと自転車を方向転換させて跨ると、一度だけ振り向いて、そして漕ぎ出してしまった。
表紙に"1"と、デカデカと黒ペンで書いたノート。彼を知りたくて私を知ってほしくて、いつまでも繋がっていたくてはじめたノート。ニ冊目へバトンタッチすることもなく役目を終えたそのノートを抱き締めて、ぐんぐん小さくなっていく誠司くんの背中を見つめた。
「……またな、なんて簡単に言わないでよ……」
生まれて初めての恋は、上手に育てることはできなかった。子供すぎて、ただただ想いを爆発させるだけで煙となって消えてしまった。馬鹿正直に言葉にすれば、それで気持ちは伝わるものだと思っていた。同じ気持ちが返ってくるものだと、同じ気持ちにいつかなってくれるものだと、疑ってもいなかった。
声を大にして想いを打ち明ければ、誰もが幸せになって誰もが同じ気持ちをわかちあって、ビー玉を散りばめたような鮮やかな世界になると疑わなかった。
だけど私のキャンバスは、綺麗な色ばかりを塗りたくって混ざって、もう真っ白には戻せない。
無邪気にひとを傷付けてしまうこと。暴言をはかずにはいられないほど、気持ちがいびつに膨らんでしまうこと。誰かを好きになることは、きっとどこかで誰かが、悲しくて悔しい思いをしてしまうものだってこと。
この先、誠司くんに好きなひとができたら、すごく嫌なんだ。背が伸びて、どんどんかっこよくなって、変に正義感だけは持ち合わせているから、誰かにとっても頼もしい存在になるんだろう。私の知らない、かわいい誰かと仲良く歩いている姿なんて見たくないし、誠司くんがこの先誰とも付き合うことがなければいい。
ずっとそのままの君でいて。女の子なんか興味ない、誰とも付き合う気なんておきないで。結婚だってしなくていい、だなんて、そう醜く、思ってる。
真っ直ぐで濁りのない君には、こんな私、絶対に知られたくない。
恋が、自分が、こんなに汚れた色だなんて、思ってもいなかったんだよ。
ー羽馬千香子編 完ー
「……誠司くん」
汗だくになっている。部活の時のあのオレンジのTシャツじゃなくて制服の白い袖で雑に額の汗を拭っている。日に焼けた腕と白シャツのコントラストが眩しくて、なんだか苦しい。
「どうしたの? 部活じゃないの?」
なにかを切り出されるのに怯えて、言い淀む彼の空気を察して、口は勝手に動いていた。
「ああ、うん……。ちょっと、流れで、休むことにした」
「そうなんだ」
うまく会話はできてない。お互いの言葉は投げかけていてもただそこに漂っているような、変な空気だ。
誠司くんは、やたらに自転車のハンドルを気にするように視線を外すし、私もなるべく視界に捉えないように自分家の門の形を目で追っている。
「あのさ」
「ん?」
誠司くんは、踏み出す決心をしたようだ。私は、覚悟を決められるだろうか。
「さっき、アイツ、来ただろ。先輩」
「円堂先輩?」
「なんか言ってたか?」
質問の意味がわからなくて、無意識に彼の瞳を見つめようとして、お互い弾けたようにそらしてしまった。
「えっと、え? 先輩? どして? 部活に出てねって、言われたけど」
「それだけ?」
「うん」
誠司くんは少し納得いってない様子だ。先輩が言うことと、彼になんの関係があるんだろうか。円堂先輩のことを知ってるだけでも不思議なのに、私と先輩の間の会話なんて、誠司くんには一番関係のないものばかりなのに。
「なんだよアイツ、カッコつけやがって」
「え? ちょっと、先輩になんてこと言うのよっ」
「なんだよ、お前、アイツの肩持つのかよ」
「なにさっきから変なこと言ってんのよ」
誠司くんの表情はあからさまに不機嫌になっている。
「俺が殴ったんだよ」
「……はあっ?」
まさかまさか、なんてことを。誠司くんが? 先輩が言っていた「血気盛んな後輩」とは、この誠司くん? ずっと小動物のようだった、上下関係にきっちりしたスポーツ少年が、年上の喧嘩相手としては無縁の優しさしかない先輩相手に!?
「なっ、なにしちゃってんの?」
「いいだろ別に!」
完全なる逆ギレである。呆れすぎて、さっきまで怖くて見られなかった彼を、まじまじと眺めてしまった。
「なんで殴ったの? 信じらんない! ちゃんと謝った? てかほんとなんで殴ることになんの? 暴力反対!」
「一気にあれこれ言うな! 俺だってビックリしたからここに来たんだよ!」
「意味わかんないっ」
先輩には、いっぱい彼のことを相談してきているのだ。だから先輩は一方的に誠司くんのことを偏った私の情報でよく知っている。私のフィルターにかかった誠司くんはきっとキラキラ少年としか伝わってなかったろうに、それが暴力少年だったという種明かしになるわけだ。
「最悪だ」
先輩に顔向けできない。せっかく、変な距離を正せたと思っていたのに。
「そこまで言うなっ、くっそー。そーゆうことじゃないんだって」
誠司くんは、自転車のペダルを足蹴りして唸っている。
「なんか、今日はもう疲れたから、家入る」
頭の中がずっとぐるぐるしている感じ。きっとキャパオーバーだ。整理反省する前に次々問題が投げ入れられてる感じだ。
それに、やっぱりまだ立ち向かう心の準備が間に合っていない。明日から頑張るから、今日だけは、逃げさせてほしかった。
門を掴んだところで、誠司くんの”待て”がかかってしまった。
大きく深呼吸をして、向き直る。
「これ、ずっと俺持ってたから、今日こそは持ってきた。これを渡したくて、来た」
ああ、やっぱりか。
ずっと自転車のカゴに入っていたもの。ずっと、視界に入らないようにしていたもの。
誠司くんに突き出されるようにしたそれに、伸ばす自分の手は震えていた。
角はめくれて、丸めた時の跡がまだ形に残っていて、始めたころ新品だった交換日記は少しくたびれていた。
「じゃっ、またな」
誠司くんは逃げるようにクルンと自転車を方向転換させて跨ると、一度だけ振り向いて、そして漕ぎ出してしまった。
表紙に"1"と、デカデカと黒ペンで書いたノート。彼を知りたくて私を知ってほしくて、いつまでも繋がっていたくてはじめたノート。ニ冊目へバトンタッチすることもなく役目を終えたそのノートを抱き締めて、ぐんぐん小さくなっていく誠司くんの背中を見つめた。
「……またな、なんて簡単に言わないでよ……」
生まれて初めての恋は、上手に育てることはできなかった。子供すぎて、ただただ想いを爆発させるだけで煙となって消えてしまった。馬鹿正直に言葉にすれば、それで気持ちは伝わるものだと思っていた。同じ気持ちが返ってくるものだと、同じ気持ちにいつかなってくれるものだと、疑ってもいなかった。
声を大にして想いを打ち明ければ、誰もが幸せになって誰もが同じ気持ちをわかちあって、ビー玉を散りばめたような鮮やかな世界になると疑わなかった。
だけど私のキャンバスは、綺麗な色ばかりを塗りたくって混ざって、もう真っ白には戻せない。
無邪気にひとを傷付けてしまうこと。暴言をはかずにはいられないほど、気持ちがいびつに膨らんでしまうこと。誰かを好きになることは、きっとどこかで誰かが、悲しくて悔しい思いをしてしまうものだってこと。
この先、誠司くんに好きなひとができたら、すごく嫌なんだ。背が伸びて、どんどんかっこよくなって、変に正義感だけは持ち合わせているから、誰かにとっても頼もしい存在になるんだろう。私の知らない、かわいい誰かと仲良く歩いている姿なんて見たくないし、誠司くんがこの先誰とも付き合うことがなければいい。
ずっとそのままの君でいて。女の子なんか興味ない、誰とも付き合う気なんておきないで。結婚だってしなくていい、だなんて、そう醜く、思ってる。
真っ直ぐで濁りのない君には、こんな私、絶対に知られたくない。
恋が、自分が、こんなに汚れた色だなんて、思ってもいなかったんだよ。
ー羽馬千香子編 完ー
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