鬼ごっこ

犬野花子

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 さすがにちょっと距離を置くことにした、イツキさんと。
 二度も大事な場面でコスプレされちゃあ、乙女心はひねくれてしまうのだ。少しだけ反省してもらう為に、泣く泣く寄り道をしないことに決めた。

 だけどなぜそんなに、コスプレするほど鬼が好きなのかは気になる。よって学校の図書室で、好きになれる要素を探そうと本を片っ端から拾い上げ、机の上に積み上げた。

「よっし、読むぞっ」

 イツキさんのことが好きなのには変わりない。私が鬼を好きになれば、一緒にコスプレして楽しめるじゃないか。きっとイツキさんも喜んでくれる、その思いだけだ。

 ……だけど、読めども読めども、まったく好きになれる要素がない。
 まず、見た目怖い。さらに、なにかしら酷い。
 基本、鬼は妖怪の一種として扱われたり、忌みモノとする病気や災いの象徴、もしくは人と呼ぶことも憚られるようなモノのことを呼称するようで、どの物語でも人を浚い食べる恐ろしいモノだった。
 ……まったく好きになれる要素がない。

「ひょっとしたら、もっと最新の物語とか、漫画とかの影響かな」
 頬杖ついたまま、目の前の本をペラペラッと捲っていると、甘い匂いが辺りに漂ってきた。

「あら、鬼に興味があるの? 変わってるわね」

 パッと視線を向けると、机を挟んだ正面にあの噂の美女、三木先生が長い髪を耳にかけながら覗き込んできた。

「三木先生……」
 こんなに近くで見るのは初めてだったが、女の自分でも凝視してしまうほど色っぽい女性ひとだった。なんだったら教師に向いていないほどである。
 いやでも、この先生の授業だけ無我夢中で真面目に受ける男子がいるのだから、天職なのか?

「本にはなんて書いてあるの?」

 三木先生のほうがむしろ興味があるようだ。こんな美人の先生と初めて会話する内容が“鬼”というのも変な感じだけど。
「まちまち、ですね。抽象的なものであったり、怨霊だったり」
「いないと思う?」

 黒目がちの大きな瞳でジッと見つめられて、なんだかソワソワしてしまう。見えざるものが見える身としては、わりとこういう話は信じれるのだけど、鬼は見たことがないのでなんとも言えない。

「うーん。どうなんでしょうね」
 頭にポコッとコスプレしたイツキさんが浮かんできてしまって、笑ってしまった。
「あら、可笑しい?」
「あ、いえっ、ちょっと別のこと考えてただけで」
「鬼って、いるのよ」
「え?」

 雰囲気というか、声音がワントーン落ちた気がして焦る。先生を怒らせたのだろうか。
 一度も反らされなかったのだろうその黒々とした瞳が真っ直ぐこちらに向いている。窓が閉められた図書室なのに、先生の長い黒髪がうねるように靡いている。

おぬって言ってね、妖怪の一種なんですって。神になりきれなかったモノ、それが鬼」

 真っ赤なグロスをひいた唇から、ねっとりとした言葉が紡ぎ出されていく。空気が湿度を上げたかのような息苦しさ。全身から汗が吹き出すほど、逃げろと警告音のように心臓が暴れている。だけど身じろぎすらできなかった。

「この国の信仰がね、どんどん薄れていっちゃってね、どんどん実体が薄くなっちゃうの。だから、忘れられた頃に人拐いをするのよ、人間に産んでもらって実体を取り戻すの」

 恐怖で何も言えない私の顔を見て、くすりと微笑む三木先生の頭には、角が2つ、生えていた。それはイメージするツルンとしたものではなくて、獣の角に近い、無数の溝がグルグルとうねって塊になったような歪な様だった。美しい先生の顔が、不自然に感じるほどに相容れないものだった。

「あら、わたしは女だから、安心して。むしろあなたにはとても感謝しているのだから、取って喰おうなんてこともしないわぁ」
 そう言う先生の手は私の左腕をギリギリと締め付けている。

 逃げなければ。
 頭の中はそれで一杯だった。
 目の前のことは何一つ消化しきれていない。何が起こってしまったのか理解できないほどパニックに陥ってしまっている。
 とにかく、一刻も早くこの場から逃げたかった。

 その時、図書室の出入口ドアに向かって足音が聞こえてきた。

 生徒か、司書か、誰でもいい早くっ!

「邪魔くさいわね」
 三木先生、いや鬼女はあいている左手を頭上にかざした。途端にグワンと視界が歪み始め、見慣れた図書室の全ての色が失われた。
 濁った空気が淀んだ景色をさらに歪ませ、息苦しくて酸欠のように呼吸が浅くなる。

「人間には辛いかしら、は」

 鬼女の手が腕から離れたが、それはつまり、自力でここから逃げることが不可能になったことを意味していた。
 苦しくて、歪みつつも形を取ろうとしている長机に伏せる。

 それを面白そうに鬼女は向かい合った場所で頬杖をついて見ている。
「あなたにお願いがあるの。頷いてくれるだけですぐ元の場所に戻してあげるから」

 なんでもいい、すぐに頷いて早くっ新鮮な空気を吸わなければと、僅かに頭を上げて鬼女を見た。
 口が大分裂けて、チラチラと鋭い牙が覗いていた。
「これからも欠かさず、あなたの手料理を食べさせて欲しいの」
「……え……?」
「あなたが、懸想しているひとがいるでしょう」

 という言葉の意味はわからなかったが、手料理を食べさせている人は、イツキさんしかいない。だけど、なぜ、この鬼女が望むのかわからない。

「な……ぜ……」
 上手く言葉が出ない。最小限に発することしかできなかったが、鬼女の耳には届いていたようだ。ニヤリと口を大きく歪ませている。
「わたしが、彼を、食べる為よ」

 ドクンッと心臓が大きく跳ねた。
 その言葉に恐怖におののいてなのか、酸素の巡りが悪い為なのか、どちらにせよ痛みで制服をギュッと鷲掴む。脂汗も止まらない。

「簡単なことでしょう? 今まで通り。さあ、約束して、指切りげんまん、知ってる?」
 スウッと、長く歪な指と黒い爪が目の前に差し出された。
 霞む視界でそれを目に留めるも、私の身体は指1本動かせない。動かしたくないのだ。

「あら、早くしないと死んじゃうわよ?」
 面白そうに鬼は嗤っている。きっと、約束してもしなくても、この鬼にはたいした事ではないのだろう。楽しんでいるだけのようだ。

 フルフルと首を振った。何がどう関係するのか考える気力も奪われている。だけども、イツキさんが、この鬼に食べられる訳にはいかないのだ。それだけははっきりしているのだから。

「あらぁ、残念ね。じゃあ、このまま死んじゃうといいわ。どっちにしろ、いただくものはいただくから」

 興味をなくした鬼女は立ち上がった。

 酸欠でぼんやりとした思考と視界の中、浮かぶのはイツキさんの柔らかな笑顔だった。いつも神社を綺麗に掃除しては眩しい笑顔を振りまいて挨拶していた。
 遠い通学路、ひとり寂しくランドセルの肩ベルトをギュッと握って、見えない気配に怯えながら通っていた私に、救いの手を差しのべてくれた人。
 年上なのにおっちょこちょいで、世間の事に疎い彼に、テレビの内容や学校であったこと、漫画や芸能人や、とにかく一生懸命自分の世界をイツキさんにも渡してあげたくて毎日通っていた日々。
 包丁持たせると、もれなく指を切ってしまうので、おかげで早くに料理することを習得した。美味しい美味しいと、満面の笑顔で食べてくれていたイツキさんの。その顔がもう見れなくなるのだとしても、私はこの鬼の約束は、結べない。


 グワングワンと、歪む景色なのか自分の視界なのか、重力がグルグルと不規則に動き、身体は石のように重くなった。

「……イ……ツ、キ……さん……」

 好き、と、せめて一言、拗ねずに言っておけばよかった。

 ガクンッと、支えきれず頭が落ちる。そして、そのまま意識を失い、私はこの世から無くなるのだと、覚悟したその時。

「環愛ちゃんっ!!」

 ここにきて大好きな人の幻聴が聞こえて、幸せだなあとぼんやりしていたら、力強く抱き締められすぐに口が塞がれた。
 それは一瞬で離されてしまったけど、目の前に本当に、イツキさんの顔があって目を見開いた。

「今のじゃ、ちょっとしか回復しないだろうけどゴメンッ!」
「え……」
 そこで初めて、呼吸が少し楽に出来ていることに気付いた。

 だけど会えた事を喜んでいる場合ではないようで、イツキさんはすぐに私から離れて背中を向けて立ち上がった。
 その向こうに、鬼女がいたのだ。

「あら嬉しいわあ、あなたから会いに来てくれたなんて」
 一歩一歩、イツキさんに近づいてくる鬼女は、比例するように身体を膨らませていき、ビリビリに破れていく服の切れ端が淀んだ空気に散らばっていく。赤黒い肌はメリメリと筋肉を蔓延らせ、黒目がちだった瞳は、グリンッと濁り収縮すると、その目をギラギラと黄色に変化させていた。

「ううっ!」

 あまりのおぞましさに、悲鳴が漏れてしまった。イツキさんの背中がピクリと反応する。けれども振り向かず、真っ直ぐその鬼に対峙していた。

 だけどもそれよりも私は、声にならないものを呑み込んだ。
 鬼女がそのおどろおどろしい口を開いて言ったのだ。

「一ツ鬼、わたしのモノになれ。人間を浚うのは諦めて、わたしと夫婦めのとになろうぞ」

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