軍閥令嬢は純潔を捧げない

万和彁了

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第一章 立志篇 Fräulein Warlord shall not walk on a virgin road.

第34話 父と娘

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 私はアイガイオンの娘ではない?
 そう言った父の瞳が酷く冷たいものに見える。

「お前にはネモレンシスという聖なる称号がある。それで十分だ。別にアイガイオンの姓を名乗る必要などないし、軍務に関わる称号も必要ない。違うか?」

 今の今まで私は姓を名乗ることがなかった。
 ネモレンシスという称号を姓の代わりにしていた。
 実際ネモレンシスの称号は世間に雷名のように通じる。
 まあ私も意味はよくわからないんだけど。

「え?いや。その。父上。私は父上の娘です。だから世間は私をアイガイオン家の娘と見ています。ですので軍の階級と、家名を名乗る許可をいただけませんか?そうですね、例えばジョゼーファ・ネモレンシス・アイガイオン少佐と名乗れば、名前は父上とお揃いですし、階級も適度に高く、貴族の令嬢が背伸びした感じで世間受けもいいでしょう?」

 私はやんわりと肩書と苗字をねだってみた。
 アイガイオン家の者として、私は出兵したい。
 貴族という身分に拘る気はないが、自分が生まれた家を誇りには思いたい。
 だが父は私の願いをぴしゃりと跳ねのけた。

「世論よりもネモレンシスの方がずっと重い」

 私には父へ不満がある。
 家名を名乗らせてくれないこと。
 いつも父はいつかお嫁に行くのだから名乗らなくてもいいと私を誤魔化し続けた。
 今までは特に気にしたことはなかった。
 ネモレンシスは実際に重い称号で名誉ある呼び名だから。
 だけどおかしい。
 …記憶を取り戻したからか?
 この人の言っていることに違和感を感じざるを得ない。
 私が言葉に詰まっている間に、父は不機嫌そうに吐き捨てる。

「大体お前は女だろう。なぜ肩書など求める?女が自分を飾るのならばドレスやアクセサリーや化粧、そういったものがいくらでもあるだろう。肩書などいらぬよ、女にはね。それに家名もいらないだろう。どうせお前は王家に嫁ぐ。家名を名乗りたいというならば、その時に王家の家名でも名乗ればよい。だからこそ今アイガイオンなどと名乗る必要があるか?どうせ変わるのだから名乗ることに意味がない」

 なんだこの人…。
 おかしいくらい頑なだ。
 言ってることのロジックもおかしい。
 私に家名を名乗らせないことを前提に理屈を演繹しているような話し方だ。
 なぜ私に姓を名乗らせようとしない?
 私以外の父の娘たちは皆、アイガイオンと名乗っているのに…。

「やはりわたくしの母に何か問題があるのですか?母を憎んでいるのですか?だからわたくしに家名を名乗らせないのですか?」

「…」 

 父が押し黙る。
 さっきまでの不機嫌ささえ顔から消えて、なんとも感情の読みにくい表情をしている。

「…わたくしの母はいったいどこの誰なのですか?」

 私の出生にはあまりいい噂がない。
 父は若いころ大陸中央に留学していたそうだ。
 その時に私が生まれたらしい。
 辺境伯家の家督を継いでカドメイア州に帰ってきたときに、まだ幼かった私のことを連れて帰ってきた。
 その時アイガイオン家は大騒ぎになったそうだ。
 父は私が生まれたことを実家には報告していなかった。
 私自身は父とは見た目がそっくりなので親子であることは疑いがない。
 母親がいないことに皆不信を持った。
 だけど父は私の母親について誰に対しても一言も語らなかった。
 生きているのか死んでいるのかさえわからない。
 私自身母親についてよく覚えていない。
 だけど口にできない母親とは一体何だ?
 仮に平民が母親だとしてそれを世間に隠すのはわかるのだが、娘にまでそれを黙っているのは不自然だ。
 だいたい男なら認知をせずに逃げ出すことだって出来てしまう。
 悲しいことだけど貴族が平民を孕ませて認知しないとかよくあることだ。
 だけど私は父のもとですくすくと育ってるわけで。
 だからむしろ母親は身分が高いからこそやばい相手なのではないかと考えている。
 下手すると大陸中央の帝国の大貴族の人妻とかと父が不倫して生まれたのが私なんじゃないかと疑ってる。
 この場合私の存在はとんでもない爆弾になるんじゃないかと思うのだ。
 帝国政府の有力者の妻の不貞の子。
 とんでもない政治スキャンダルだ。
 貴族戸籍にさえ母の名前がないのはここら辺に理由があるんじゃないかと思う。
 父はその政治的スキャンダルの発覚を恐れているのかもしれない。
 だけど苗字を名乗らせないのにはどちらかと言えば、父の個人的な恨みつらみのような匂いを感じる。
 とは言えここらへんのジョゼーファの設定は原作では匂わせるだけで特に開示はされなかった。
 悪役令嬢の高慢な性格の理由付けが必要だったから用意されてのだろうけど、ジョゼーファがただのエロ専用キャラになっちゃったから、これらのエピソードは宙に浮いたのだろう。
 メインキャラならともかくエロだけのキャラに重い背景があっても、きっと男性諸君は後腐れなくオナニー出来ないんだろうね。
 男って繊細だね、嘲笑してあげよう。

「…それを知ったところで何の意味もない」

 父は空虚な響きのある声でそう言った。
 私は母についてずっと口をつぐむ父の態度が嫌いだ。
 別にいいのだ。何か辛いことがあったのかも知れない。
 悲しいことがあったのかも知れない。
 あるいは男のプライドを潰されるようなことがあって恥ずかしいのかも知れない。
 だけど私は寂しいのだ。
 父はここにいない私の母に何かの理由で囚われている。
 ずっと私に何かを隠している。
 そして私に何処かよそよそしい。
 家族なのに…。
 いまさら傍にいない母親に対して思うことなんて私にはない。
 だけどそのせいで今、この瞬間、父と私の間に寂しい隙間が空くことがとてもとても悲しい。
 父には娘が沢山いるけど、私には父はこの人しかいないんだから。

「…いつも…そればかりですね…わたくしの母のことなのにわたくしには関係ないと…一人で抱えてわたくしを突き放す…はぁ…ぁ、ぅっ…」

 涙をこらえるのに必死で言葉が詰まってしまった。
 辛うじてまだ涙は流れてない。
 私は口を両手で抑える。
 涙を止めたかったら目尻よりも口元を抑えるべきだ。
 女の涙はきっと言葉と共に出るものだから。
 世間の皆は女の方が泣きやすいと言っている。
 私はそんなの信じてないけど、残念ながらその一般論は私には当てはまってしまったようだ。
 高ぶった感情を頑張って押しとどめる。いやだ。人前で泣くなんて絶対に嫌。
 今外から見たら私の顔はどれほど見苦しいのだろう?父が気まずそうに眼を伏せて。

「メネラウス。こっちへ」

 父はメネラウスを机の傍に呼び寄せる。
 男二人顔を近づけて、コソコソと私に聞こえないように何かを話している。

「わかった。メネラウス、お前の言うとおりにしよう」

 何か内緒話に結論が出たらしい。
 父は引き出しからアイガイオン家とカドメイア州の紋章がついた紙を取り出して、メネラウスに渡した。
 受け取ったメネラウスは近くに置いてあったタイプライターでその紙に何かの文章を書きあげる。
 そしてその紙を父に手渡すと、父はサインと判子を押して椅子から立ち上がり私の方へ来て。

「ジョゼーファ。お前をカドメイア州辺境伯名代に任命する。これはその辞令だ。受け取れ」

 さっき書き上げた辞令を私に手渡した。
 そこには父が言ったとおりの辞令が書いてあった。

「この肩書は法的に有効な、正式な称号として州内に公布される。辺境伯名代はカドメイア州の司法権、行政権、州軍の指揮権の行使を辺境伯に次いで認められる。ただし立法権は認められない。以上だ」 

 父はそう言って机にさっさと戻ってしまった。

「父上、わたくしは…」

 とっさのことで何も思いつかなかったけど、何かを言いたくて声を出したが、父に止められてしまう。

「何も言うな。やりたいことがあるならば、その肩書をうまく使って見せろ。話はこれで終わりだ。二人ともすぐに下がれ。わたしにはまだ仕事が残っているからな」

 父は冷たくそう言い放ち仕事に戻ってしまった。
 私は辞令を横に抱えて一礼し、メネラウスを連れて部屋を出た。
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