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【疾風・戦神編】
水鳥の羽音、あるいは集団心理のバグ
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兄・頼朝との対面から数日。
俺は鎌倉軍の中で、奇妙な疎外感と、それ以上の優越感の中にいた。
黄瀬川の陣は、熱気というよりは殺気で満ちていた。
坂東武者たち。彼らは粗暴で、プライドが高く、そして何より「土地」のことしか考えていない。
「先陣は俺だ」
「いや俺だ。手柄を立てて、奪われた親父の土地を取り返すんだ」
軍議の場は、怒号の飛び交う競り市場のようだった。作戦もへったくれもない。ただ敵に突っ込み、首を取る。それが彼らの戦争の全てだ。
俺は陣幕の隅で、あくびを噛み殺していた。
古い。OSが古すぎる。
個人事業主の集まりでは、巨大な組織戦には勝てない。今はまだ勢いで勝てるだろうが、長期戦になれば必ずボロが出る。
そんな俺を、じっと観察している視線があった。
冷ややかで、計算高い蛇のような目。
梶原景時だ。
史実では俺を讒言し、頼朝との仲を引き裂いた張本人とされる男。鎌倉幕府きっての知性派にして、冷酷な官僚。
(……目が合ったな)
俺は逃げなかった。むしろ、好機とばかりに彼に歩み寄った。
彼は手元の帳面を睨みつけ、眉間に深い皺を寄せていた。兵糧の管理に頭を悩ませているのは明白だった。
「計算、合いませんか? 梶原殿」
声をかけると、彼はギロリと俺を睨んだ。
「……九郎殿か。御曹司には関係のないことだ。戦場では飯の心配などせず、華々しく槍を振るえばよい」
「一万を超える軍勢に対し、補給路が一本では詰まりますよ。おまけに各武士団が勝手に飯を持ち込むから、在庫管理ができない」
俺は彼の帳面を横から覗き込み、懐から木炭の欠片を取り出した。
そして、地面にある図を描き始めた。
「兵站のハブを作りましょう。後方の小田原あたりに集積所を作り、そこからは規格化した荷駄でピストン輸送させる。各部隊には『必要な分』だけを配給制にするんです」
景時の目が点になった。
「配給……だと? 武士たちが納得するわけがない。自分たちの飯は自分たちで……」
「納得させなきゃ負けます。空腹は裏切りの母だ。……俺の部隊で、その輸送システムの実証実験をやって見せましょうか?」
俺はニヤリと笑った。
「あんたは賢い人だ。感情論で動く坂東武者の中で、あんただけが『数字』を見ている。俺はそういう人間が好きなんですよ」
景時はしばらく呆然としていたが、やがてフッと口元を緩めた。蛇が人間に戻ったような、少しだけ温かみのある笑みだった。
「……食えぬ御方だ。噂の戦闘狂かと思っていたが、まさか算盤が弾けるとは」
「戦争は算術ですよ、梶原殿」
これでいい。
最大の敵になりうる男を、共通言語(ロジック)で味方につける。史実の義経にはできなかった芸当だ。
***
そして十月二十三日、夜。
富士川を挟んで、平家軍と源氏軍が対峙していた。
対岸の平家軍は、異常なほどピリついていた。
総大将は平維盛。清盛の孫にあたる貴公子だが、実戦経験は皆無に近い。彼らは源氏の数が膨れ上がっていることに恐怖し、疑心暗鬼に陥っていた。
「来るぞ」
俺は闇の中で呟いた。
隣に控える弁慶が、巨大な薙刀を抱きながら首をかしげる。
「何がです? 敵が動く気配はありませんが」
「敵じゃない。……パニックという名の怪物がだ」
この夜、源氏方の武田信義の部隊が、平家の背後に回り込もうと動いていた。
史実では、その動きに驚いた水鳥が一斉に飛び立ち、その羽音を「源氏の大軍の襲来」と勘違いした平家軍が、戦わずして逃げ出したことになっている。
歴史の教科書では「平家の情けない敗走」として笑い話にされるエピソードだ。
だが、現場にいる俺には分かる。これは笑い話ではない。集団心理の恐ろしさだ。
極度の緊張状態にある集団において、たった一つの誤報、たった一つの異音が、雪崩のような連鎖反応(カスケード)を引き起こす。
――バサバサバサッ!
闇を裂いて、数万羽の水鳥が一斉に飛び立った。
その音は、まるで嵐のようであり、あるいは大軍団が川を渡る蹄の音のようにも聞こえた。
「敵襲だぁぁぁッ!!」
対岸から悲鳴が上がった。
「囲まれたぞ!」「逃げろ、殺される!」
恐怖は光の速さで伝染する。一人が走れば、隣の三人が走る。三人が走れば、十人が走る。
指揮官が制止する声など、パニックの奔流の前では無力だ。
俺たちは何もしていない。
ただ対岸で、平家の陣営が自壊し、我先にと逃げ惑う様を眺めていただけだ。
鍋や釜、鎧さえ捨てて逃げていく平家の兵たち。それは戦争ではなく、災害だった。
「……勝負あり、か」
弁慶が呆れたように呟く。
「矢一本射ずに勝つとは。これが平家の実態ですか」
「ああ。中身は空っぽだ。恐怖に食い尽くされている」
俺は冷ややかにそれを見つめていたが、背筋には薄ら寒いものを感じていた。
これが集団だ。
個々人がどれほど優秀でも、空気に支配されれば一瞬で崩壊する。
今は平家がこうなっているが、明日は我が身かもしれない。頼朝というカリスマを失えば、この寄せ集めの源氏軍も同じ運命を辿るだろう。
ふと、視線を感じて振り返る。
本陣の幔幕の隙間から、頼朝がこちらを見ていた。
逃げ惑う平家軍を見て笑っているのではない。
平然と戦況を分析している俺を、じっと値踏みするように見つめていた。
(……兄上は、俺の『底』を見ようとしている)
水鳥の羽音よりも、兄の視線のほうがよほど心臓に悪い。
だが、俺は不敵に笑って一礼してみせた。
第一ラウンド、終了。
労せずして勝利を得た源氏は、ここから一気に関東の支配を固める。
俺の出番はまだ先だ。だが、準備は進めておく必要がある。
次に会うのは木曾義仲。
荒削りな野生児を相手に、俺の現代知識がどう通用するか。楽しみで仕方がない。
俺は愛馬の手綱を握りしめ、明けゆく富士の裾野を見上げた。
俺は鎌倉軍の中で、奇妙な疎外感と、それ以上の優越感の中にいた。
黄瀬川の陣は、熱気というよりは殺気で満ちていた。
坂東武者たち。彼らは粗暴で、プライドが高く、そして何より「土地」のことしか考えていない。
「先陣は俺だ」
「いや俺だ。手柄を立てて、奪われた親父の土地を取り返すんだ」
軍議の場は、怒号の飛び交う競り市場のようだった。作戦もへったくれもない。ただ敵に突っ込み、首を取る。それが彼らの戦争の全てだ。
俺は陣幕の隅で、あくびを噛み殺していた。
古い。OSが古すぎる。
個人事業主の集まりでは、巨大な組織戦には勝てない。今はまだ勢いで勝てるだろうが、長期戦になれば必ずボロが出る。
そんな俺を、じっと観察している視線があった。
冷ややかで、計算高い蛇のような目。
梶原景時だ。
史実では俺を讒言し、頼朝との仲を引き裂いた張本人とされる男。鎌倉幕府きっての知性派にして、冷酷な官僚。
(……目が合ったな)
俺は逃げなかった。むしろ、好機とばかりに彼に歩み寄った。
彼は手元の帳面を睨みつけ、眉間に深い皺を寄せていた。兵糧の管理に頭を悩ませているのは明白だった。
「計算、合いませんか? 梶原殿」
声をかけると、彼はギロリと俺を睨んだ。
「……九郎殿か。御曹司には関係のないことだ。戦場では飯の心配などせず、華々しく槍を振るえばよい」
「一万を超える軍勢に対し、補給路が一本では詰まりますよ。おまけに各武士団が勝手に飯を持ち込むから、在庫管理ができない」
俺は彼の帳面を横から覗き込み、懐から木炭の欠片を取り出した。
そして、地面にある図を描き始めた。
「兵站のハブを作りましょう。後方の小田原あたりに集積所を作り、そこからは規格化した荷駄でピストン輸送させる。各部隊には『必要な分』だけを配給制にするんです」
景時の目が点になった。
「配給……だと? 武士たちが納得するわけがない。自分たちの飯は自分たちで……」
「納得させなきゃ負けます。空腹は裏切りの母だ。……俺の部隊で、その輸送システムの実証実験をやって見せましょうか?」
俺はニヤリと笑った。
「あんたは賢い人だ。感情論で動く坂東武者の中で、あんただけが『数字』を見ている。俺はそういう人間が好きなんですよ」
景時はしばらく呆然としていたが、やがてフッと口元を緩めた。蛇が人間に戻ったような、少しだけ温かみのある笑みだった。
「……食えぬ御方だ。噂の戦闘狂かと思っていたが、まさか算盤が弾けるとは」
「戦争は算術ですよ、梶原殿」
これでいい。
最大の敵になりうる男を、共通言語(ロジック)で味方につける。史実の義経にはできなかった芸当だ。
***
そして十月二十三日、夜。
富士川を挟んで、平家軍と源氏軍が対峙していた。
対岸の平家軍は、異常なほどピリついていた。
総大将は平維盛。清盛の孫にあたる貴公子だが、実戦経験は皆無に近い。彼らは源氏の数が膨れ上がっていることに恐怖し、疑心暗鬼に陥っていた。
「来るぞ」
俺は闇の中で呟いた。
隣に控える弁慶が、巨大な薙刀を抱きながら首をかしげる。
「何がです? 敵が動く気配はありませんが」
「敵じゃない。……パニックという名の怪物がだ」
この夜、源氏方の武田信義の部隊が、平家の背後に回り込もうと動いていた。
史実では、その動きに驚いた水鳥が一斉に飛び立ち、その羽音を「源氏の大軍の襲来」と勘違いした平家軍が、戦わずして逃げ出したことになっている。
歴史の教科書では「平家の情けない敗走」として笑い話にされるエピソードだ。
だが、現場にいる俺には分かる。これは笑い話ではない。集団心理の恐ろしさだ。
極度の緊張状態にある集団において、たった一つの誤報、たった一つの異音が、雪崩のような連鎖反応(カスケード)を引き起こす。
――バサバサバサッ!
闇を裂いて、数万羽の水鳥が一斉に飛び立った。
その音は、まるで嵐のようであり、あるいは大軍団が川を渡る蹄の音のようにも聞こえた。
「敵襲だぁぁぁッ!!」
対岸から悲鳴が上がった。
「囲まれたぞ!」「逃げろ、殺される!」
恐怖は光の速さで伝染する。一人が走れば、隣の三人が走る。三人が走れば、十人が走る。
指揮官が制止する声など、パニックの奔流の前では無力だ。
俺たちは何もしていない。
ただ対岸で、平家の陣営が自壊し、我先にと逃げ惑う様を眺めていただけだ。
鍋や釜、鎧さえ捨てて逃げていく平家の兵たち。それは戦争ではなく、災害だった。
「……勝負あり、か」
弁慶が呆れたように呟く。
「矢一本射ずに勝つとは。これが平家の実態ですか」
「ああ。中身は空っぽだ。恐怖に食い尽くされている」
俺は冷ややかにそれを見つめていたが、背筋には薄ら寒いものを感じていた。
これが集団だ。
個々人がどれほど優秀でも、空気に支配されれば一瞬で崩壊する。
今は平家がこうなっているが、明日は我が身かもしれない。頼朝というカリスマを失えば、この寄せ集めの源氏軍も同じ運命を辿るだろう。
ふと、視線を感じて振り返る。
本陣の幔幕の隙間から、頼朝がこちらを見ていた。
逃げ惑う平家軍を見て笑っているのではない。
平然と戦況を分析している俺を、じっと値踏みするように見つめていた。
(……兄上は、俺の『底』を見ようとしている)
水鳥の羽音よりも、兄の視線のほうがよほど心臓に悪い。
だが、俺は不敵に笑って一礼してみせた。
第一ラウンド、終了。
労せずして勝利を得た源氏は、ここから一気に関東の支配を固める。
俺の出番はまだ先だ。だが、準備は進めておく必要がある。
次に会うのは木曾義仲。
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