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【疾風・戦神編】
鎌倉の憂鬱と、木曾から来た嵐
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富士川での勝利という名の珍事から、数日後。
源氏軍は熱狂の渦中にあったが、そのベクトルは奇妙な方向へ捻じ曲げられようとしていた。
「なに? 京へ攻め上らぬだと!?」
軍議の席で、坂東武者の怒号が飛んだ。
上総広常(かずさひろつね)や千葉常胤(ちばつねたね)といった有力御家人たちが、顔を真っ赤にして頼朝に詰め寄っている。
「佐殿! 平家は腰を抜かして逃げたのですぞ。今こそ一気呵成に攻め上り、清盛の首を取るべき好機! なぜ軍を返すのですか!」
頼朝は冷ややかな顔で座っていた。
その沈黙が、重い。
現代知識を持つ俺には、頼朝の判断の正しさが痛いほど分かる。
今、京へ攻め込めば勝てるかもしれない。だが、その隙に背後の佐竹氏や、奥州の藤原氏(俺の古巣だが、頼朝にとっては脅威だ)に鎌倉を突かれれば終わりだ。
まずは足元――関東の地盤をコンクリートのように固める。それが「幕府」という永続政権を作るための絶対条件だ。
だが、土地と恩賞に飢えた武士たちに、そのグランドデザインは通じない。現場は今すぐ「現金(手柄)」が欲しいのだ。
場の空気が険悪になる。頼朝の冷徹な理屈と、御家人たちの熱い欲望が衝突し、火花が散る。
(……仕方ない。助け舟を出すか)
俺は音を立てて立ち上がった。
全員の視線が、奥州から来た若造に集まる。
「皆様、落ち着かれよ。兄上……鎌倉殿の判断は、臆病風に吹かれたわけではない。むしろ、皆様の『財布』を守るためのご決断です」
財布、という言葉に武骨な男たちがキョトンとする。
「どういうことだ、義経殿」
「考えてもみてください。今、全軍で京へ行けば、この関東は空になる。留守中に北の佐竹義重が攻めてきたら、誰が皆様の所領を守るのです? 京で官位を貰っても、帰る家が燃えていては意味がないでしょう」
俺はわざとらしく肩をすくめた。
「鎌倉殿は仰っているのです。『まずは背後の敵を潰し、皆様の土地の安全を保証してから、万全の態勢で天下を取りに行こう』と。これは遠回りではない。皆様の妻子と財産を守るための保険です」
広常が唸った。
「……なるほど。俺たちの土地を守るため、か」
「左様。平家を倒すのは手段に過ぎない。目的は、我々源氏の武士が安心して暮らせる世を作ること。違いますか?」
単純な男たちだ。
「天下国家」を説くより、「お前の土地が危ない」と言われた方が百倍効く。
頼朝がチラリと俺を見た。
感謝の色はない。だが、「使える弁護士を見つけた」というような、冷たい満足感が瞳の奥にあった。
こうして軍は東へ返した。
常陸の佐竹氏を討伐し、関東の支配を盤石にするための「地固め」の戦争が始まった。
俺にとっては退屈な日々だ。
だが、この停滞の間に、西の空ではどす黒い嵐雲が膨れ上がっていた。
***
寿永二年(一一八三年)。
鎌倉での生活も板についてきた頃、俺の元に一通の早馬が届いた。
差出人は、京に潜伏させている配下のスパイだ。
文面を読んだ俺は、執務机の上で小さく舌打ちをした。
「……予想以上に速いな」
傍らに控えていた弁慶が、茶を淹れながら覗き込んでくる。
「木曾義仲(きそよしなか)殿、でございますか」
「ああ。『朝日将軍』の異名は伊達じゃないらしい。北陸道で平家の大軍を破り、破竹の勢いで京へ迫っている。倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い……『火牛の計』なんて漫画みたいな戦術で勝ったそうだ」
木曾義仲。
頼朝の従兄弟であり、源氏のもう一人の巨頭。
野生の虎のような男だ。戦には滅法強いが、政治感覚は皆無。
史実では、彼は平家を追い払って京に入場するが、そこで治安維持に失敗し、朝廷と対立して自滅する。
問題は、その「自滅」のとばっちりが、俺たちにも来るということだ。
「弁慶。義仲という男をどう見る?」
「……強き武人かと。しかし、噂を聞く限りでは、統率力に欠ける野盗の親玉のような側面も見受けられます」
「正解だ。彼はイナゴの大群だ。通過する土地の食料を食い尽くし、京という都さえも食い荒らすだろう」
俺は立ち上がり、壁に貼った日本地図を指でなぞった。
北陸から京へ。
義仲軍が入京すれば、飢えた兵士たちは必ず略奪を始める。京の市民は源氏を「解放軍」ではなく「新たな暴力装置」として憎むようになるだろう。
そうなれば、源氏ブランドの失墜だ。
「兄上……頼朝公は、義仲をどうするおつもりでしょうか」
「泳がせるさ。義仲に平家を追い払わせ、京で悪役になってもらう。そのあとで、正義の味方として我々が乗り込み、義仲を討つ。……一番美味しいとこ取りをするシナリオだ」
汚い。だが合理的だ。
俺の中の現代人格は頼朝の策を支持するが、義経としての本能は「同じ源氏同士で殺し合うのか」と悲鳴を上げている。
その葛藤を無理やりねじ伏せる。
「準備をするぞ、弁慶」
「出陣ですか?」
「いや、『警察活動』の訓練だ」
俺はニヤリと笑った。
これからの戦いは、野原でのチャンバラではない。
人口密集地帯――京都市街での「市街戦」と「治安維持」がメインになる。
「佐藤兄弟を呼べ。それから伊勢三郎もだ。これより我が軍は、略奪・暴行を一切禁止する『軍律(ルール)』を徹底的に叩き込む」
当時の武士にとって、戦争とは略奪のチャンスだ。
勝てば敵の財産も女も奪い放題。それが常識の時代に「略奪禁止」などと言えば、暴動が起きかねない。
だが、それをやらなければ、俺たちも義仲と同じ「野蛮人」として歴史から消される。
「兵たちにはこう伝えろ。『略奪した者は斬る。だが、規律を守った者には、俺が略奪品以上のボーナスを現金で支払う』とな」
「……また吉次殿が泣きますな」
弁慶が苦笑する。
奥州から持ってきた黄金も底をつきつつある。だが、ここは投資のしどころだ。
「京の民衆を味方につけた者が、次の時代を制する。義仲には悪いが、彼は俺たちのための『踏み台』になってもらう」
俺は窓の外、西の空を睨んだ。
そこには、かつて俺が憧れ、そして絶望した都がある。
木曾義仲という嵐が通り過ぎた後、その荒野に立つのは俺だ。
――待っていろ、静。
ふと、都に置いてきた白拍子の少女の顔が脳裏をよぎった。
史実の悲劇のヒロイン。
だが今回は違う。彼女もまた、俺の計画の重要なピースとして動いてもらうつもりだ。
風が変わった。
鎌倉の湿った潮風の中に、血と灰の匂いが混じり始めていた。
源氏軍は熱狂の渦中にあったが、そのベクトルは奇妙な方向へ捻じ曲げられようとしていた。
「なに? 京へ攻め上らぬだと!?」
軍議の席で、坂東武者の怒号が飛んだ。
上総広常(かずさひろつね)や千葉常胤(ちばつねたね)といった有力御家人たちが、顔を真っ赤にして頼朝に詰め寄っている。
「佐殿! 平家は腰を抜かして逃げたのですぞ。今こそ一気呵成に攻め上り、清盛の首を取るべき好機! なぜ軍を返すのですか!」
頼朝は冷ややかな顔で座っていた。
その沈黙が、重い。
現代知識を持つ俺には、頼朝の判断の正しさが痛いほど分かる。
今、京へ攻め込めば勝てるかもしれない。だが、その隙に背後の佐竹氏や、奥州の藤原氏(俺の古巣だが、頼朝にとっては脅威だ)に鎌倉を突かれれば終わりだ。
まずは足元――関東の地盤をコンクリートのように固める。それが「幕府」という永続政権を作るための絶対条件だ。
だが、土地と恩賞に飢えた武士たちに、そのグランドデザインは通じない。現場は今すぐ「現金(手柄)」が欲しいのだ。
場の空気が険悪になる。頼朝の冷徹な理屈と、御家人たちの熱い欲望が衝突し、火花が散る。
(……仕方ない。助け舟を出すか)
俺は音を立てて立ち上がった。
全員の視線が、奥州から来た若造に集まる。
「皆様、落ち着かれよ。兄上……鎌倉殿の判断は、臆病風に吹かれたわけではない。むしろ、皆様の『財布』を守るためのご決断です」
財布、という言葉に武骨な男たちがキョトンとする。
「どういうことだ、義経殿」
「考えてもみてください。今、全軍で京へ行けば、この関東は空になる。留守中に北の佐竹義重が攻めてきたら、誰が皆様の所領を守るのです? 京で官位を貰っても、帰る家が燃えていては意味がないでしょう」
俺はわざとらしく肩をすくめた。
「鎌倉殿は仰っているのです。『まずは背後の敵を潰し、皆様の土地の安全を保証してから、万全の態勢で天下を取りに行こう』と。これは遠回りではない。皆様の妻子と財産を守るための保険です」
広常が唸った。
「……なるほど。俺たちの土地を守るため、か」
「左様。平家を倒すのは手段に過ぎない。目的は、我々源氏の武士が安心して暮らせる世を作ること。違いますか?」
単純な男たちだ。
「天下国家」を説くより、「お前の土地が危ない」と言われた方が百倍効く。
頼朝がチラリと俺を見た。
感謝の色はない。だが、「使える弁護士を見つけた」というような、冷たい満足感が瞳の奥にあった。
こうして軍は東へ返した。
常陸の佐竹氏を討伐し、関東の支配を盤石にするための「地固め」の戦争が始まった。
俺にとっては退屈な日々だ。
だが、この停滞の間に、西の空ではどす黒い嵐雲が膨れ上がっていた。
***
寿永二年(一一八三年)。
鎌倉での生活も板についてきた頃、俺の元に一通の早馬が届いた。
差出人は、京に潜伏させている配下のスパイだ。
文面を読んだ俺は、執務机の上で小さく舌打ちをした。
「……予想以上に速いな」
傍らに控えていた弁慶が、茶を淹れながら覗き込んでくる。
「木曾義仲(きそよしなか)殿、でございますか」
「ああ。『朝日将軍』の異名は伊達じゃないらしい。北陸道で平家の大軍を破り、破竹の勢いで京へ迫っている。倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い……『火牛の計』なんて漫画みたいな戦術で勝ったそうだ」
木曾義仲。
頼朝の従兄弟であり、源氏のもう一人の巨頭。
野生の虎のような男だ。戦には滅法強いが、政治感覚は皆無。
史実では、彼は平家を追い払って京に入場するが、そこで治安維持に失敗し、朝廷と対立して自滅する。
問題は、その「自滅」のとばっちりが、俺たちにも来るということだ。
「弁慶。義仲という男をどう見る?」
「……強き武人かと。しかし、噂を聞く限りでは、統率力に欠ける野盗の親玉のような側面も見受けられます」
「正解だ。彼はイナゴの大群だ。通過する土地の食料を食い尽くし、京という都さえも食い荒らすだろう」
俺は立ち上がり、壁に貼った日本地図を指でなぞった。
北陸から京へ。
義仲軍が入京すれば、飢えた兵士たちは必ず略奪を始める。京の市民は源氏を「解放軍」ではなく「新たな暴力装置」として憎むようになるだろう。
そうなれば、源氏ブランドの失墜だ。
「兄上……頼朝公は、義仲をどうするおつもりでしょうか」
「泳がせるさ。義仲に平家を追い払わせ、京で悪役になってもらう。そのあとで、正義の味方として我々が乗り込み、義仲を討つ。……一番美味しいとこ取りをするシナリオだ」
汚い。だが合理的だ。
俺の中の現代人格は頼朝の策を支持するが、義経としての本能は「同じ源氏同士で殺し合うのか」と悲鳴を上げている。
その葛藤を無理やりねじ伏せる。
「準備をするぞ、弁慶」
「出陣ですか?」
「いや、『警察活動』の訓練だ」
俺はニヤリと笑った。
これからの戦いは、野原でのチャンバラではない。
人口密集地帯――京都市街での「市街戦」と「治安維持」がメインになる。
「佐藤兄弟を呼べ。それから伊勢三郎もだ。これより我が軍は、略奪・暴行を一切禁止する『軍律(ルール)』を徹底的に叩き込む」
当時の武士にとって、戦争とは略奪のチャンスだ。
勝てば敵の財産も女も奪い放題。それが常識の時代に「略奪禁止」などと言えば、暴動が起きかねない。
だが、それをやらなければ、俺たちも義仲と同じ「野蛮人」として歴史から消される。
「兵たちにはこう伝えろ。『略奪した者は斬る。だが、規律を守った者には、俺が略奪品以上のボーナスを現金で支払う』とな」
「……また吉次殿が泣きますな」
弁慶が苦笑する。
奥州から持ってきた黄金も底をつきつつある。だが、ここは投資のしどころだ。
「京の民衆を味方につけた者が、次の時代を制する。義仲には悪いが、彼は俺たちのための『踏み台』になってもらう」
俺は窓の外、西の空を睨んだ。
そこには、かつて俺が憧れ、そして絶望した都がある。
木曾義仲という嵐が通り過ぎた後、その荒野に立つのは俺だ。
――待っていろ、静。
ふと、都に置いてきた白拍子の少女の顔が脳裏をよぎった。
史実の悲劇のヒロイン。
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