10 / 50
【疾風・戦神編】
都の野獣、あるいは兵站なき暴走
しおりを挟む
寿永二年(一一八三年)冬。
京の都は、かつてない恐怖に震えていた。
平家を追い払った英雄・木曾義仲。
彼が率いる数万の軍勢は、当初こそ「解放軍」として歓呼の声で迎えられた。だが、その蜜月は一ヶ月と持たなかった。
――都には、食い物がなかった。
養和の大飢饉(ようわのだいききん)の影響が色濃く残る京に、数万の大軍が雪崩れ込んだのだ。兵糧の備蓄など持たず、「現地調達」を常識とする木曾軍にとって、都は巨大な餌場(えさば)と化した。
「ひっ、お助けを!」
「うるせえ! 源氏様が平家を追い払ってやったんだぞ! 米と酒を出せ!」
略奪。暴行。放火。
皇居の近くでさえ、木曾の兵たちは民家に押し入り、家財を奪い尽くした。
法皇は眉をひそめ、公家たちは逃げ惑い、民衆は「これなら平家のほうがマシだった」と呪いの言葉を吐く。
旭日(きょくじつ)の勢いと謳われた「朝日将軍」は今や、都に巣食う巨大な野獣になり果てていた。
***
一方、鎌倉。
執務室の窓から雪景色を眺める頼朝の背中は、その混乱を予期していたかのように冷ややかだった。
「……熟したな」
頼朝が呟く。
その意味を理解しているのは、部屋に呼び出された俺――源義経と、異母兄の源範頼(みなもとののりより)だけだった。
「義仲は自滅した。法皇様より『義仲追討』の院宣(いんぜん)が下ったぞ」
頼朝が振り返る。その瞳には、親族を討つ悲しみなど微塵もない。あるのは、邪魔者が勝手に転んでくれたことへの嘲笑と、好機を逃さぬ捕食者の光だけだ。
「範頼、義経。お前たち二人に大将を命じる。六万の軍勢を率い、直ちに上洛せよ。……義仲を討て」
範頼兄上が緊張した面持ちで平伏する。
「はっ! ……しかし、相手は同じ源氏の同胞。できれば説得し、恭順させる道は……」
「ならぬ」
頼朝が一刀両断する。
「毒は根まで絶たねばならぬ。義仲の首を持ってこい。それが、お前たちが真に私の『剣』であるという証明だ」
俺は無言で頭を下げた。
分かっていたことだ。
頼朝にとって、最大の脅威は平家ではない。自分と同じ「源氏の血」を持つ実力者だ。だから義仲は死なねばならない。
(……俺も、いつかこうなる)
冷たい汗が背中を伝う。
だが、今はまだその時ではない。今は、この「汚れ仕事」を完璧に遂行し、俺の軍団の力を世界に見せつけるプレゼンテーションの場だ。
「承知いたしました、鎌倉殿」
俺は顔を上げた。
「義仲殿には、退場していただきます。私の新しい軍隊が、古い時代の『野蛮』を駆逐するために」
***
出陣の日。
俺と範頼兄上が率いる遠征軍は、東海道を西へと進んだ。
だが、俺の率いる部隊の行軍は、他の鎌倉武士たちとは明らかに異質だった。
「隊列を乱すな! 右側通行を厳守しろ!」
「農民の畑には一歩も入るな! 入った馬は斬り捨てるぞ!」
佐藤兄弟が怒号を飛ばし、MP(憲兵)のような腕章をつけた兵たちが目を光らせる。
俺が導入したのは、徹底的な**「軍紀(ディシプリン)」**だ。
当時の軍隊は、移動するイナゴの大群と同じで、通った後の村々は荒廃するのが常だった。
だが、俺はそれを厳禁した。
食料は全て、後方から続く「輜重(しちょう)部隊」が運ぶ。現地で調達する場合も、必ず吉次が組織した商人部隊が適正価格で買い上げる。
「見ろよ、あの軍……」
街道沿いの村人たちが、おそるおそる顔を出す。
「何も盗まねえぞ。畑も踏まねえ」
「おまけに、水を一杯渡したら銭をくれた……」
噂は風より速く伝播する。
『今度の源氏は違う』
『義経様の軍は、民を荒らさない』
この評判こそが、俺が狙った最強の武器だ。民衆を味方につければ、情報が集まり、ゲリラ攻撃を受けることもない。これは「優しさ」ではない。高度な「占領政策」だ。
***
寿永三年(一一八四年)一月。
俺たちはついに、京の入口・宇治川(うじがわ)に到達した。
対岸には、木曾義仲軍が陣を敷いている。
だが、その陣容は惨めなものだった。
都での悪行に愛想を尽かした兵たちが逃亡し、残っているのは義仲に個人的な忠誠を誓う信濃の猛者たちと、行き場のないならず者だけ。
俺は馬上で対岸を見つめた。
雪解け水で増水した宇治川。濁流が轟音を立てて流れている。
かつて、この川で多くの武人が流され、命を落とした天然の要害。
「橋は落とされていますな」
隣で弁慶が呟く。
「川底には乱杭(らんぐい)が仕掛けられ、対岸からは強弓部隊が狙っている。……渡れますか?」
俺は懐中時計を見るような仕草で、太陽の位置を確認した。
「渡るさ。だが、闇雲には飛び込まない」
俺は背後の部隊にハンドサインを送った。
進み出たのは、佐々木高綱(ささきたかつな)と梶原景季(かじわらかげすえ)。鎌倉きっての駿馬、「生食(いけづき)」と「磨墨(するすみ)」を駆る二人だ。
史実では「先陣争い」という無邪気な競争をした二人だが、今回は俺が彼らに明確な「任務(タスク)」を与えていた。
「いいか。お前たちは囮(デコイ)だ」
俺は二人に告げた。
「派手に名乗りを上げて川に飛び込め。敵の矢を一身に集めろ。その隙に……」
俺は視線を下流に向けた。
「……本隊が、水面下から渡河する」
俺の工兵部隊は、すでに夜陰に紛れて川底の地形を調査済みだった。
宇治川には一箇所だけ、浅瀬が続いているルートがある。
現代の測量技術で見つけ出した、見えない「橋」。
「義仲殿。あなたの敗因は、民を敵に回したこと、そして『兵站』を軽視したことだ」
俺は愛馬・太夫黒(たゆうぐろ)の首を叩いた。
「行くぞ。古い英雄を葬り、俺たちが新しい時代を作る」
号令と共に、歴史的な渡河作戦が始まろうとしていた。
宇治川の戦い。
それは、義経という天才が、初めてその牙を天下に剥き出しにする、鮮烈なデビュー戦となる。
京の都は、かつてない恐怖に震えていた。
平家を追い払った英雄・木曾義仲。
彼が率いる数万の軍勢は、当初こそ「解放軍」として歓呼の声で迎えられた。だが、その蜜月は一ヶ月と持たなかった。
――都には、食い物がなかった。
養和の大飢饉(ようわのだいききん)の影響が色濃く残る京に、数万の大軍が雪崩れ込んだのだ。兵糧の備蓄など持たず、「現地調達」を常識とする木曾軍にとって、都は巨大な餌場(えさば)と化した。
「ひっ、お助けを!」
「うるせえ! 源氏様が平家を追い払ってやったんだぞ! 米と酒を出せ!」
略奪。暴行。放火。
皇居の近くでさえ、木曾の兵たちは民家に押し入り、家財を奪い尽くした。
法皇は眉をひそめ、公家たちは逃げ惑い、民衆は「これなら平家のほうがマシだった」と呪いの言葉を吐く。
旭日(きょくじつ)の勢いと謳われた「朝日将軍」は今や、都に巣食う巨大な野獣になり果てていた。
***
一方、鎌倉。
執務室の窓から雪景色を眺める頼朝の背中は、その混乱を予期していたかのように冷ややかだった。
「……熟したな」
頼朝が呟く。
その意味を理解しているのは、部屋に呼び出された俺――源義経と、異母兄の源範頼(みなもとののりより)だけだった。
「義仲は自滅した。法皇様より『義仲追討』の院宣(いんぜん)が下ったぞ」
頼朝が振り返る。その瞳には、親族を討つ悲しみなど微塵もない。あるのは、邪魔者が勝手に転んでくれたことへの嘲笑と、好機を逃さぬ捕食者の光だけだ。
「範頼、義経。お前たち二人に大将を命じる。六万の軍勢を率い、直ちに上洛せよ。……義仲を討て」
範頼兄上が緊張した面持ちで平伏する。
「はっ! ……しかし、相手は同じ源氏の同胞。できれば説得し、恭順させる道は……」
「ならぬ」
頼朝が一刀両断する。
「毒は根まで絶たねばならぬ。義仲の首を持ってこい。それが、お前たちが真に私の『剣』であるという証明だ」
俺は無言で頭を下げた。
分かっていたことだ。
頼朝にとって、最大の脅威は平家ではない。自分と同じ「源氏の血」を持つ実力者だ。だから義仲は死なねばならない。
(……俺も、いつかこうなる)
冷たい汗が背中を伝う。
だが、今はまだその時ではない。今は、この「汚れ仕事」を完璧に遂行し、俺の軍団の力を世界に見せつけるプレゼンテーションの場だ。
「承知いたしました、鎌倉殿」
俺は顔を上げた。
「義仲殿には、退場していただきます。私の新しい軍隊が、古い時代の『野蛮』を駆逐するために」
***
出陣の日。
俺と範頼兄上が率いる遠征軍は、東海道を西へと進んだ。
だが、俺の率いる部隊の行軍は、他の鎌倉武士たちとは明らかに異質だった。
「隊列を乱すな! 右側通行を厳守しろ!」
「農民の畑には一歩も入るな! 入った馬は斬り捨てるぞ!」
佐藤兄弟が怒号を飛ばし、MP(憲兵)のような腕章をつけた兵たちが目を光らせる。
俺が導入したのは、徹底的な**「軍紀(ディシプリン)」**だ。
当時の軍隊は、移動するイナゴの大群と同じで、通った後の村々は荒廃するのが常だった。
だが、俺はそれを厳禁した。
食料は全て、後方から続く「輜重(しちょう)部隊」が運ぶ。現地で調達する場合も、必ず吉次が組織した商人部隊が適正価格で買い上げる。
「見ろよ、あの軍……」
街道沿いの村人たちが、おそるおそる顔を出す。
「何も盗まねえぞ。畑も踏まねえ」
「おまけに、水を一杯渡したら銭をくれた……」
噂は風より速く伝播する。
『今度の源氏は違う』
『義経様の軍は、民を荒らさない』
この評判こそが、俺が狙った最強の武器だ。民衆を味方につければ、情報が集まり、ゲリラ攻撃を受けることもない。これは「優しさ」ではない。高度な「占領政策」だ。
***
寿永三年(一一八四年)一月。
俺たちはついに、京の入口・宇治川(うじがわ)に到達した。
対岸には、木曾義仲軍が陣を敷いている。
だが、その陣容は惨めなものだった。
都での悪行に愛想を尽かした兵たちが逃亡し、残っているのは義仲に個人的な忠誠を誓う信濃の猛者たちと、行き場のないならず者だけ。
俺は馬上で対岸を見つめた。
雪解け水で増水した宇治川。濁流が轟音を立てて流れている。
かつて、この川で多くの武人が流され、命を落とした天然の要害。
「橋は落とされていますな」
隣で弁慶が呟く。
「川底には乱杭(らんぐい)が仕掛けられ、対岸からは強弓部隊が狙っている。……渡れますか?」
俺は懐中時計を見るような仕草で、太陽の位置を確認した。
「渡るさ。だが、闇雲には飛び込まない」
俺は背後の部隊にハンドサインを送った。
進み出たのは、佐々木高綱(ささきたかつな)と梶原景季(かじわらかげすえ)。鎌倉きっての駿馬、「生食(いけづき)」と「磨墨(するすみ)」を駆る二人だ。
史実では「先陣争い」という無邪気な競争をした二人だが、今回は俺が彼らに明確な「任務(タスク)」を与えていた。
「いいか。お前たちは囮(デコイ)だ」
俺は二人に告げた。
「派手に名乗りを上げて川に飛び込め。敵の矢を一身に集めろ。その隙に……」
俺は視線を下流に向けた。
「……本隊が、水面下から渡河する」
俺の工兵部隊は、すでに夜陰に紛れて川底の地形を調査済みだった。
宇治川には一箇所だけ、浅瀬が続いているルートがある。
現代の測量技術で見つけ出した、見えない「橋」。
「義仲殿。あなたの敗因は、民を敵に回したこと、そして『兵站』を軽視したことだ」
俺は愛馬・太夫黒(たゆうぐろ)の首を叩いた。
「行くぞ。古い英雄を葬り、俺たちが新しい時代を作る」
号令と共に、歴史的な渡河作戦が始まろうとしていた。
宇治川の戦い。
それは、義経という天才が、初めてその牙を天下に剥き出しにする、鮮烈なデビュー戦となる。
0
あなたにおすすめの小説
レベルアップは異世界がおすすめ!
まったりー
ファンタジー
レベルの上がらない世界にダンジョンが出現し、誰もが装備や技術を鍛えて攻略していました。
そんな中、異世界ではレベルが上がることを記憶で知っていた主人公は、手芸スキルと言う生産スキルで異世界に行ける手段を作り、自分たちだけレベルを上げてダンジョンに挑むお話です。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
魔道具頼みの異世界でモブ転生したのだがチート魔法がハンパない!~できればスローライフを楽しみたいんだけど周りがほっといてくれません!~
トモモト ヨシユキ
ファンタジー
10才の誕生日に女神に与えられた本。
それは、最強の魔道具だった。
魔道具頼みの異世界で『魔法』を武器に成り上がっていく!
すべては、憧れのスローライフのために!
エブリスタにも掲載しています。
高校生の俺、異世界転移していきなり追放されるが、じつは最強魔法使い。可愛い看板娘がいる宿屋に拾われたのでもう戻りません
下昴しん
ファンタジー
高校生のタクトは部活帰りに突然異世界へ転移してしまう。
横柄な態度の王から、魔法使いはいらんわ、城から出ていけと言われ、いきなり無職になったタクト。
偶然会った宿屋の店長トロに仕事をもらい、看板娘のマロンと一緒に宿と食堂を手伝うことに。
すると突然、客の兵士が暴れだし宿はメチャクチャになる。
兵士に殴り飛ばされるトロとマロン。
この世界の魔法は、生活で利用する程度の威力しかなく、とても弱い。
しかし──タクトの魔法は人並み外れて、無法者も脳筋男もひれ伏すほど強かった。
死神と恐れられた俺、転生したら平和な時代だったので自由気ままな人生を享受する
オカさん
ファンタジー
たった一人で敵軍を殲滅し、『死神』と恐れられた男は人生に絶望して自ら命を絶つ。
しかし目を覚ますと500年後の世界に転生していた。
前世と違う生き方を求めた彼は人の為、世の為に生きようと心を入れ替えて第二の人生を歩み始める。
家族の温かさに触れ、学園で友人を作り、世界に仇成す悪の組織に立ち向かって――――慌ただしくも、充実した日々を送っていた。
しかし逃れられたと思っていたはずの過去は長い時を経て再び彼を絶望の淵に追いやった。
だが今度こそは『己の過去』と向き合い、答えを導き出さなければならない。
後悔を糧に死神の新たな人生が幕を開ける!
ざまぁにはざまぁでお返し致します ~ラスボス王子はヒロインたちと悪役令嬢にざまぁしたいと思います~
陸奥 霧風
ファンタジー
仕事に疲れたサラリーマンがバスの事故で大人気乙女ゲーム『プリンセス ストーリー』の世界へ転生してしまった。しかも攻略不可能と噂されるラスボス的存在『アレク・ガルラ・フラスター王子』だった。
アレク王子はヒロインたちの前に立ちはだかることが出来るのか?
趣味で人助けをしていたギルマス、気付いたら愛の重い最強メンバーに囲まれていた
歩く魚
ファンタジー
働きたくない元社畜、異世界で見つけた最適解は――「助成金で生きる」ことだった。
剣と魔法の世界に転生したシンは、冒険者として下積みを積み、ついに夢を叶える。
それは、国家公認の助成金付き制度――ギルド経営によって、働かずに暮らすこと。
そして、その傍で自らの歪んだ性癖を満たすため、誰に頼まれたわけでもない人助けを続けていたがーー
「ご命令と解釈しました、シン様」
「……あなたの命、私に預けてくれるんでしょ?」
次第にギルドには、主人公に執着するメンバーたちが集まり始め、気がつけばギルドは、愛の重い最強集団になっていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる