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【疾風・戦神編】
凱旋の影、あるいは鎌倉からの冷たい風
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勝利の美酒というのは、鉄の味がする。
一ノ谷の合戦から三日。
京へ凱旋した義経軍を待っていたのは、熱狂的な歓声と、それ以上に重苦しい畏怖の沈黙だった。
六条河原。
さらされた平家の公達(きんだち)たちの首。その数、百余り。
化粧を施され、少し前まで管弦を愛でていた優美な顔が、今は無惨に青ざめ、虚空を見上げている。
「……酷いことを」
「まるで修羅だ。九郎義経という男は、血も涙もないのか」
牛車の中から覗く公家たちの囁きが、風に乗って耳に届く。
彼らにとって、平家は敵である以前に、同じ都の文化を共有する隣人だった。それを、礼儀も作法も無視して、崖の上から土足で踏み潰した俺は、英雄というよりは「異界の怪物」に映るのだろう。
俺は馬上で、その視線を全身に浴びていた。
背筋が凍るような孤独感。
だが、現代の知識を持つ俺は知っている。これが革命の代償だ。古い権威を破壊する者は、常に野蛮人として扱われる。
「……気になさいますな」
横に並ぶ弁慶が、低い声で言った。
「狼が羊に理解されようなどと、思うべきではありませぬ」
「分かっている。俺は愛されるために戦っているんじゃない。勝つために戦っているんだ」
そう嘯(うそぶ)いてみせたが、握った手綱には脂汗が滲んでいた。
***
その夜、宿舎となった六条堀川の屋敷。
俺は一人の男の元を訪れていた。
薄暗い部屋に、薬草と血の匂いが充満している。
布団に横たわっているのは、佐藤継信だ。
一ノ谷の乱戦で、平家随一の猛将・平教経(のりつね)と斬り結んだ彼は、生きてはいた。だが、その代償は大きすぎた。
「……殿」
俺の気配に気づき、継信が身を起こそうとする。
「寝ていろ」
俺は慌ててその肩を制した。
包帯で巻かれた右肩から胸にかけて、深々と斬り裂かれた傷跡がある。骨まで達する重傷だ。命を取り留めたのが奇跡に近い。
さらに、彼の右目は潰れ、瞼(まぶた)が深く落ち窪んでいた。
「申し訳、ございません……」
継信の声は、枯れ木のように掠れていた。
「教経の首を、取り逃がしました。我が一族の恥辱……」
「馬鹿を言うな」
俺は彼の枕元に座り、その痩せた手を握った。
「お前が生きていてよかった。教経の首など、お前の命の価値に比べれば石ころ同然だ」
「……買いかぶりです。片目と利き腕を潰された武者など、もはや廃品」
継信の左目から、一筋の涙が伝い落ちる。
武人としての死を宣告されたに等しい絶望。
俺の胸が締め付けられる。あの崖を降りさせたのは俺だ。俺の策が、この忠臣を壊した。
「廃品ではない」
俺は強く言った。
「腕が使えぬなら、頭を使え。これからは前線ではなく、後方で俺の目となり耳となれ。継信、俺はまだお前を必要としている。……見捨てるなよ」
それは、主君の命令というよりは、迷える子供の懇願に近かったかもしれない。
継信は驚いたように俺を見つめ、やがて弱々しく、しかし確かに頷いた。
「……この命尽きるまで。殿の影となりましょう」
部屋を出た俺は、夜空を見上げた。
月が欠けている。
俺の心もまた、何か大事なものが欠け落ちていくような感覚を覚えていた。
***
数日後。
鎌倉から早馬が到着した。
兄・頼朝からの書状だ。一ノ谷の戦勝報告に対する返答。
俺は期待と不安が入り混じる指で、封を切った。
だが、そこに書かれていたのは、労いの言葉ではなかった。
『一、勝手な振る舞いが過ぎる』
『一、朝廷から官位を受けることを禁ず』
『一、捕虜とした平家の公達を勝手に処刑したこと、武家の法に反する』
文字の羅列から、頼朝の氷のような冷徹さが滲み出ている。
特に追及されていたのは「独断専行」だ。
崖からの逆落とし。あれは確かに戦術的勝利をもたらしたが、頼朝の視点で見れば「統制を無視した暴走」でしかない。
あんな真似ができる弟は、いつか自分の喉元に牙を剥くかもしれない――そんな猜疑心が、行間から黒い霧のように立ち昇っている。
「……兄上」
俺は書状を握りつぶした。
どれだけ成果を上げても、あの人は俺を認めない。いや、成果を上げれば上げるほど、恐怖と嫉妬が膨れ上がっていく。
分かっていたはずだ。歴史知識として、頼朝の狭量さは知っていた。
だが、俺の中の「弟としての義経」が叫ぶ。
――なぜですか。私はただ、あなたのために命を削って戦っているのに。
「殿」
背後から、梶原景時(かげとき)が声をかけてきた。
頼朝が送り込んだ目付役。この男が、ありのままを報告したのだろう。
「鎌倉殿のご機嫌は、麗しくないようですな」
景時は表情を変えずに言った。
「あなた様の戦は、鮮やかすぎます。常人の理解を超えた勝利は、味方でさえも恐怖させる。……少しは、愚かさを装うことも必要かと」
意外な助言だった。
この男もまた、俺の才能と頼朝の政治力の間で板挟みになり、苦悩しているのかもしれない。
「忠告、痛み入る」
俺は書状を懐にねじ込んだ。
「だが、俺にはこれしかできない。勝って、勝って、勝ち続けることでしか、自分の存在を証明できないんだ」
俺は立ち上がり、南の窓を開け放った。
風が生温かい。海の匂いがする。
平家は滅んでいない。
彼らは一ノ谷を捨て、海を渡り、四国の**屋島(やしま)**へ逃げ込んだ。
ここからは陸戦ではない。海戦だ。
船を持たない源氏にとって、未知の領域。
「船がいるな」
俺は呟いた。
「渡辺水軍、熊野水軍……。海の狼たちを味方につけなければ、平家には届かない」
愚かさを装え、と景時は言った。
だが、止まるわけにはいかない。
俺の背中には、死んでいった者たちの魂と、生き残った者たちの人生が乗っている。
頼朝に疎まれようとも、俺はこの国の形を変えるまで走り抜けるしかないのだ。
「行くぞ、弁慶。次は四国だ」
俺の目は、すでに遥か南の海を見据えていた。
そこで待つのは、一ノ谷以上の激戦。そして、俺の運命を決定づける、悲劇と栄光のクライマックスだ。
弓の名手・那須与一。そして、身代わりとなって散るべき宿命を背負った佐藤兄弟。
役者たちが、屋島の海で俺を待っている。
一ノ谷の合戦から三日。
京へ凱旋した義経軍を待っていたのは、熱狂的な歓声と、それ以上に重苦しい畏怖の沈黙だった。
六条河原。
さらされた平家の公達(きんだち)たちの首。その数、百余り。
化粧を施され、少し前まで管弦を愛でていた優美な顔が、今は無惨に青ざめ、虚空を見上げている。
「……酷いことを」
「まるで修羅だ。九郎義経という男は、血も涙もないのか」
牛車の中から覗く公家たちの囁きが、風に乗って耳に届く。
彼らにとって、平家は敵である以前に、同じ都の文化を共有する隣人だった。それを、礼儀も作法も無視して、崖の上から土足で踏み潰した俺は、英雄というよりは「異界の怪物」に映るのだろう。
俺は馬上で、その視線を全身に浴びていた。
背筋が凍るような孤独感。
だが、現代の知識を持つ俺は知っている。これが革命の代償だ。古い権威を破壊する者は、常に野蛮人として扱われる。
「……気になさいますな」
横に並ぶ弁慶が、低い声で言った。
「狼が羊に理解されようなどと、思うべきではありませぬ」
「分かっている。俺は愛されるために戦っているんじゃない。勝つために戦っているんだ」
そう嘯(うそぶ)いてみせたが、握った手綱には脂汗が滲んでいた。
***
その夜、宿舎となった六条堀川の屋敷。
俺は一人の男の元を訪れていた。
薄暗い部屋に、薬草と血の匂いが充満している。
布団に横たわっているのは、佐藤継信だ。
一ノ谷の乱戦で、平家随一の猛将・平教経(のりつね)と斬り結んだ彼は、生きてはいた。だが、その代償は大きすぎた。
「……殿」
俺の気配に気づき、継信が身を起こそうとする。
「寝ていろ」
俺は慌ててその肩を制した。
包帯で巻かれた右肩から胸にかけて、深々と斬り裂かれた傷跡がある。骨まで達する重傷だ。命を取り留めたのが奇跡に近い。
さらに、彼の右目は潰れ、瞼(まぶた)が深く落ち窪んでいた。
「申し訳、ございません……」
継信の声は、枯れ木のように掠れていた。
「教経の首を、取り逃がしました。我が一族の恥辱……」
「馬鹿を言うな」
俺は彼の枕元に座り、その痩せた手を握った。
「お前が生きていてよかった。教経の首など、お前の命の価値に比べれば石ころ同然だ」
「……買いかぶりです。片目と利き腕を潰された武者など、もはや廃品」
継信の左目から、一筋の涙が伝い落ちる。
武人としての死を宣告されたに等しい絶望。
俺の胸が締め付けられる。あの崖を降りさせたのは俺だ。俺の策が、この忠臣を壊した。
「廃品ではない」
俺は強く言った。
「腕が使えぬなら、頭を使え。これからは前線ではなく、後方で俺の目となり耳となれ。継信、俺はまだお前を必要としている。……見捨てるなよ」
それは、主君の命令というよりは、迷える子供の懇願に近かったかもしれない。
継信は驚いたように俺を見つめ、やがて弱々しく、しかし確かに頷いた。
「……この命尽きるまで。殿の影となりましょう」
部屋を出た俺は、夜空を見上げた。
月が欠けている。
俺の心もまた、何か大事なものが欠け落ちていくような感覚を覚えていた。
***
数日後。
鎌倉から早馬が到着した。
兄・頼朝からの書状だ。一ノ谷の戦勝報告に対する返答。
俺は期待と不安が入り混じる指で、封を切った。
だが、そこに書かれていたのは、労いの言葉ではなかった。
『一、勝手な振る舞いが過ぎる』
『一、朝廷から官位を受けることを禁ず』
『一、捕虜とした平家の公達を勝手に処刑したこと、武家の法に反する』
文字の羅列から、頼朝の氷のような冷徹さが滲み出ている。
特に追及されていたのは「独断専行」だ。
崖からの逆落とし。あれは確かに戦術的勝利をもたらしたが、頼朝の視点で見れば「統制を無視した暴走」でしかない。
あんな真似ができる弟は、いつか自分の喉元に牙を剥くかもしれない――そんな猜疑心が、行間から黒い霧のように立ち昇っている。
「……兄上」
俺は書状を握りつぶした。
どれだけ成果を上げても、あの人は俺を認めない。いや、成果を上げれば上げるほど、恐怖と嫉妬が膨れ上がっていく。
分かっていたはずだ。歴史知識として、頼朝の狭量さは知っていた。
だが、俺の中の「弟としての義経」が叫ぶ。
――なぜですか。私はただ、あなたのために命を削って戦っているのに。
「殿」
背後から、梶原景時(かげとき)が声をかけてきた。
頼朝が送り込んだ目付役。この男が、ありのままを報告したのだろう。
「鎌倉殿のご機嫌は、麗しくないようですな」
景時は表情を変えずに言った。
「あなた様の戦は、鮮やかすぎます。常人の理解を超えた勝利は、味方でさえも恐怖させる。……少しは、愚かさを装うことも必要かと」
意外な助言だった。
この男もまた、俺の才能と頼朝の政治力の間で板挟みになり、苦悩しているのかもしれない。
「忠告、痛み入る」
俺は書状を懐にねじ込んだ。
「だが、俺にはこれしかできない。勝って、勝って、勝ち続けることでしか、自分の存在を証明できないんだ」
俺は立ち上がり、南の窓を開け放った。
風が生温かい。海の匂いがする。
平家は滅んでいない。
彼らは一ノ谷を捨て、海を渡り、四国の**屋島(やしま)**へ逃げ込んだ。
ここからは陸戦ではない。海戦だ。
船を持たない源氏にとって、未知の領域。
「船がいるな」
俺は呟いた。
「渡辺水軍、熊野水軍……。海の狼たちを味方につけなければ、平家には届かない」
愚かさを装え、と景時は言った。
だが、止まるわけにはいかない。
俺の背中には、死んでいった者たちの魂と、生き残った者たちの人生が乗っている。
頼朝に疎まれようとも、俺はこの国の形を変えるまで走り抜けるしかないのだ。
「行くぞ、弁慶。次は四国だ」
俺の目は、すでに遥か南の海を見据えていた。
そこで待つのは、一ノ谷以上の激戦。そして、俺の運命を決定づける、悲劇と栄光のクライマックスだ。
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