『再誕・源義経 ~現代知識と英雄の本能で、二度目の歴史を塗り替える~』

夢見中

文字の大きさ
13 / 50
【疾風・戦神編】

重力の檻を抜けて、修羅の庭へ

しおりを挟む
浮遊感。
 内臓が喉の奥までせり上がってくるような、強烈な吐き気。
 俺は今、落ちている。
 愛馬・太夫黒(たゆうぐろ)の背にしがみつき、ほぼ垂直の断崖を滑落している。
 蹄が岩を削り、火花が散る。馬がいななこうとするが、強すぎる風圧がその声を押し殺す。
(死ぬか?)
 現代人の理性が、遅れて恐怖の信号を発する。
 物理演算のエラーだ。摩擦係数が足りない。この速度で着地すれば、運動エネルギーは馬の脚をへし折り、俺の全身を肉袋に変える。
 だが、義経の本能がそれを否定する。
 ――否。御せる。
 俺は手綱を引くのではなく、緩めた。
 恐怖に駆られてブレーキをかければ、前のめりに転倒して終わりだ。重力に逆らうな。重力と寝ろ。
 馬の首筋に顔を埋め、人馬一体となって重心を極限まで低くする。
 ガガガガッ!
 太夫黒が奇跡的なバランス感覚で、岩棚の突起を蹴った。
 滑落が、制御された「跳躍」に変わる。
 後ろから続く兵たちの絶叫が、風に千切れて聞こえる。だが、誰も止まらない。俺が飛んだからだ。指揮官が狂気を見せれば、部下は死ぬまでついてくる。集団ヒステリーの極致。
 眼下に、平家陣営の屋根が迫る。
 美しい陣幕だ。紅地に金の蝶。優雅な貴族たちが、朝餉(あさげ)の支度をしているのが見える。
 平和な朝だ。
 あと数秒で、地獄に変わるとも知らずに。
「……着くぞ!」
 俺は奥歯が砕けるほど食いしばった。
 太夫黒が最後の岩棚を蹴り、宙を舞う。
 ズドォォォォンッ!!
 着地。
 馬の脚が悲鳴を上げ、地面が陥没するほどの衝撃。
 俺は鞍(くら)の上でボールのように身体を丸め、衝撃を脊椎から逃がした。
 土煙が舞い上がる。
 一瞬の静寂。
 目の前に、湯気を立てる粥(かゆ)の椀を持った平家の武者がいた。
 彼は口を半開きにし、空から降ってきた泥だらけの騎馬武者を見上げている。
 その目が「ありえない」と語っていた。
 ここは一ノ谷の背後。絶壁の下。敵が来るはずのない聖域。
 俺は太刀を振り上げ、その呆けた顔を脳天から叩き割った。
 グシャリ。
 鮮血が粥の椀に飛び散る。
 それが、号砲だった。
「敵襲ぅぅぅッ!?」
「崖から! 崖から化け物が降ってきたぞ!!」
 悲鳴が連鎖するより速く、俺の背後から数十、数百の騎馬が着地した。
 脚を折って転がる馬、投げ出されて首を折る兵。
 だが、生き残った者たちは、地獄の底から這い上がった鬼そのものだった。死の恐怖を乗り越えたアドレナリンが、彼らを凶暴な殺戮マシーンに変えていた。
「火を放て! 一匹も逃がすな!」
 俺は叫びながら、陣幕に松明を投げ込んだ。
 乾いた布が爆発的に燃え上がる。
 黒煙が空を覆い、優雅な御殿のような陣営は、瞬く間に阿鼻叫喚の坩堝(るつぼ)と化した。
 ***
 戦闘ではない。
 これは、災害だ。
 鎧を着る暇もなかった平家の公達(きんだち)が、白い水干(すいかん)姿のまま逃げ惑う。
 彼らは戦いを知らないわけではない。だが、彼らの知る戦とは、名乗りを上げ、矢を交わし、雅やかに舞う儀式のことだ。
 こんな、泥足で食卓を踏み荒らすような暴力は知らない。
「野蛮人め! 名乗りも上げぬか!」
 立派な髭を蓄えた老武者が、太刀を抜いて立ちはだかった。
 俺は名乗らない。
 馬の速度を落とさず、すれ違いざまに首を刎ねた。
 首が宙を舞い、胴体だけがまだ構えを解かずに立ち尽くす。
「ひ、ひぃぃ……」
 それを見た若い兵たちが、武器を捨てて海へ向かって走り出す。
 海へ。
 そこが唯一の逃げ道だと思っている。
 だが、俺は知っている。海こそが死地だ。
 沖には源氏の船団が待ち構えているわけではない。ただ、重い鎧を着て、冷たい冬の海に飛び込めばどうなるか。
「溺れるぞ。見ろ」
 隣に来た弁慶が、顔を歪めて海を指差した。
 無数の平家兵が、我先にと小舟に殺到していた。定員を超えた小舟が次々と転覆し、鎧の重みで沈んでいく。
 水面に浮かぶのは、烏帽子(えぼし)と、美しい着物の切れ端だけ。
「……残酷な景色だ」
 俺は呟いた。
 胸の奥がチリチリと痛む。
 現代人の俺の感性が「やりすぎだ」と訴えている。彼らにも家族がいる。守るべき文化があった。それを俺は、効率という名の暴力で粉々に砕いた。
 だが、義経としての記憶がそれをねじ伏せる。
 (情けをかければ、殺されるのは俺たちだ。兄上は結果しか見ない)
 ふと、一際激しい剣戟の音が聞こえた。
 燃え盛る櫓(やぐら)の下。
 佐藤継信(つぐのぶ)が、一人の巨漢と渡り合っていた。
 平教経(たいらののりつね)。
 平家随一の猛将。この混乱の中で唯一、パニックに飲まれず、鬼神の如き強さで源氏兵をなぎ倒している。
「来い! 源氏の腰抜け共! 崖から降りてくるだけの猿知恵か!」
 教経が吠える。その太刀筋は剛剣そのもの。継信が盾で受けるが、衝撃で体勢を崩される。
「助太刀無用!」
 俺が駆け寄ろうとするのを、継信が怒声で止めた。
「こやつは俺がやる! 大将は前へ!」
 継信の目には、覚悟が決まっていた。
 俺は一瞬迷い、そして馬首を巡らせた。
 部下を信じる。それも指揮官の仕事だ。
「死ぬなよ、継信!」
 俺は叫び、炎の向こうへと馬を走らせた。
 背後で、再び激しい金属音が響く。それが、俺が聞いた継信の最後の剣戟となったかもしれない。
 ***
 夕刻。
 一ノ谷は死屍累々の荒野と化していた。
 勝敗は決した。
 平家は総崩れとなり、多くの将が一ノ谷の土となるか、海のもくずと消えた。
 俺は海岸線に馬を止め、血塗れの刀を海水で洗っていた。
 波が赤い。
 寄せては返す波が、あちこちに転がる平家の死体を揺らしている。
「……勝ちましたな」
 弁慶が近づいてきた。その巨体にも無数の矢傷がある。
「大勝利です。これで平家の勢力は半減しました」
「ああ」
 俺は短く答えた。
 勝利の高揚感はない。あるのは、重たい疲労感と、鼻にこびりついた血の臭いだけだ。
 ふと、足元に一人の若武者の死体が転がっているのが目に入った。
 まだ十代だろうか。白粉(おしろい)を塗った端正な顔立ち。腰には美しい笛が差してある。
 平敦盛(たいらのあつもり)。
 史実では熊谷直実(くまがいなおざね)に討たれたとされる少年だ。
 彼もまた、俺が起こした「雪崩」に巻き込まれて死んだ。笛を吹くための唇は、今は紫色に変色し、二度と音を奏でることはない。
 俺は懐から手拭いを取り出し、刀の水分を丁寧に拭き取った。
 手が震えている。寒さのせいではない。
「……弁慶。俺たちは英雄か? それとも虐殺者か?」
「両方でしょう」
 弁慶は淡々と答えた。
「歴史書には英雄と書かれ、敗者の怨念の中では鬼と書かれる。……ですが殿、あなたが選んだ道です。地獄の底までお供しますよ」
 俺は鞘に刀を納めた。
 カチリ、という音が、ひどく大きく響いた。
「行くぞ。検分だ」
 俺は馬に跨った。
「首を数えろ。京の法皇様と、鎌倉の兄上に送る『成果物』だ」
 西日が、燃え尽きた一ノ谷を照らしている。
 俺の影が、長く、黒く、砂浜に伸びていた。
 それはまるで、これから俺が歩む修羅の道の長さを暗示しているようだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

レベルアップは異世界がおすすめ!

まったりー
ファンタジー
レベルの上がらない世界にダンジョンが出現し、誰もが装備や技術を鍛えて攻略していました。 そんな中、異世界ではレベルが上がることを記憶で知っていた主人公は、手芸スキルと言う生産スキルで異世界に行ける手段を作り、自分たちだけレベルを上げてダンジョンに挑むお話です。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

魔道具頼みの異世界でモブ転生したのだがチート魔法がハンパない!~できればスローライフを楽しみたいんだけど周りがほっといてくれません!~

トモモト ヨシユキ
ファンタジー
10才の誕生日に女神に与えられた本。 それは、最強の魔道具だった。 魔道具頼みの異世界で『魔法』を武器に成り上がっていく! すべては、憧れのスローライフのために! エブリスタにも掲載しています。

現世にダンジョンができたので冒険者になった。

盾乃あに
ファンタジー
忠野健人は帰り道に狼を倒してしまう。『レベルアップ』なにそれ?そして周りはモンスターだらけでなんとか倒して行く。

高校生の俺、異世界転移していきなり追放されるが、じつは最強魔法使い。可愛い看板娘がいる宿屋に拾われたのでもう戻りません

下昴しん
ファンタジー
高校生のタクトは部活帰りに突然異世界へ転移してしまう。 横柄な態度の王から、魔法使いはいらんわ、城から出ていけと言われ、いきなり無職になったタクト。 偶然会った宿屋の店長トロに仕事をもらい、看板娘のマロンと一緒に宿と食堂を手伝うことに。 すると突然、客の兵士が暴れだし宿はメチャクチャになる。 兵士に殴り飛ばされるトロとマロン。 この世界の魔法は、生活で利用する程度の威力しかなく、とても弱い。 しかし──タクトの魔法は人並み外れて、無法者も脳筋男もひれ伏すほど強かった。

死神と恐れられた俺、転生したら平和な時代だったので自由気ままな人生を享受する

オカさん
ファンタジー
たった一人で敵軍を殲滅し、『死神』と恐れられた男は人生に絶望して自ら命を絶つ。 しかし目を覚ますと500年後の世界に転生していた。 前世と違う生き方を求めた彼は人の為、世の為に生きようと心を入れ替えて第二の人生を歩み始める。 家族の温かさに触れ、学園で友人を作り、世界に仇成す悪の組織に立ち向かって――――慌ただしくも、充実した日々を送っていた。 しかし逃れられたと思っていたはずの過去は長い時を経て再び彼を絶望の淵に追いやった。 だが今度こそは『己の過去』と向き合い、答えを導き出さなければならない。 後悔を糧に死神の新たな人生が幕を開ける!

ざまぁにはざまぁでお返し致します ~ラスボス王子はヒロインたちと悪役令嬢にざまぁしたいと思います~

陸奥 霧風
ファンタジー
仕事に疲れたサラリーマンがバスの事故で大人気乙女ゲーム『プリンセス ストーリー』の世界へ転生してしまった。しかも攻略不可能と噂されるラスボス的存在『アレク・ガルラ・フラスター王子』だった。 アレク王子はヒロインたちの前に立ちはだかることが出来るのか?

趣味で人助けをしていたギルマス、気付いたら愛の重い最強メンバーに囲まれていた

歩く魚
ファンタジー
働きたくない元社畜、異世界で見つけた最適解は――「助成金で生きる」ことだった。 剣と魔法の世界に転生したシンは、冒険者として下積みを積み、ついに夢を叶える。 それは、国家公認の助成金付き制度――ギルド経営によって、働かずに暮らすこと。 そして、その傍で自らの歪んだ性癖を満たすため、誰に頼まれたわけでもない人助けを続けていたがーー 「ご命令と解釈しました、シン様」 「……あなたの命、私に預けてくれるんでしょ?」 次第にギルドには、主人公に執着するメンバーたちが集まり始め、気がつけばギルドは、愛の重い最強集団になっていた。

処理中です...