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【孤影・流転編】
鎌倉の手前、届かなかったラブレター
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凱旋とは、かくも空しいものか。
元暦二年(一一八五年)五月。
平家を滅ぼした俺は、捕虜となった平家の総帥・平宗盛(むねもり)らを連れ、意気揚々と鎌倉へ向かった。
はずだった。
鎌倉の目前、腰越(こしごえ)。
そこで俺たちの行列は止められた。
武装した北条の兵たちが、槍を交差させて道を塞いでいる。
「……通せ」
俺は馬上で告げた。
「総大将・源九郎義経である。平家を討ち、神器を奪還して戻った。兄上に報告せねばならぬ」
だが、守備隊長は無表情に首を振った。
「鎌倉殿のご命令です。『義経の鎌倉入りを禁ず』と」
周囲の空気が凍りついた。
弁慶が色めき立ち、伊勢三郎が刀に手をかける。
「なっ……! 禁ずだと? 平家を滅ぼした功労者に対して、この仕打ちか!」
「黙れ!」
俺は部下たちを一喝して止めた。
現代人の俺は、冷静に状況を分析していた。
(予想通りだ。頼朝は俺の人気を恐れている。ここで俺を鎌倉に入れれば、御家人たちが『次の主君は義経様だ』と雪崩を打つ危険があるからだ)
だが、義経としての俺の心臓は、雑巾のように絞り上げられる痛みに悲鳴を上げていた。
――兄上。なぜですか。私はただ、あなたに褒めていただきたかっただけなのに。
「……分かった。ここへ宿を取る」
俺は満福寺(まんぷくじ)という小さな寺に入った。
***
その夜。寺の一室。
俺は筆を執っていた。
頼朝への弁明書、世に言う**「腰越状(こしごえじょう)」**を書くためだ。
俺の中の現代人格が、構成を練る。
(感情論は逆効果だ。論理的に、俺には野心がないこと、今後も頼朝の利益になる存在であることを証明しなければならない。これは『契約更新』の書類だ)
俺は筆を走らせた。
『一、朝廷からの官位拝受は、京の治安維持のために必要不可欠な措置であった』
『一、平家追討における独断専行は、戦況の変化に対応するための現場判断であり、叛意はない』
『一、今後も鎌倉殿の覇業のため、この身を捧げる所存である』
完璧だ。
論理的で、隙のない弁明。
だが、書き上げた書状を見つめるうちに、視界が歪んだ。
涙が落ちて、墨が滲む。
違う。
こんなビジネス文書を、兄上は読みたがっているんじゃない。
俺も、こんなことを書きたいんじゃない。
俺は書き上げた紙をくしゃりと丸め、破り捨てた。
新しい紙を広げる。
手が震える。理性が吹き飛び、魂が筆を動かす。
『……私は、幼き頃に父を失い、母の懐を離れ、木曾の山中で孤独に育ちました』
『ただ一筋に、源氏の再興と、兄上の御心を安んじることだけを願って戦って参りました』
『崖を駆け下り、嵐の海を渡り、身命を賭して戦ったのは、ひとえに兄上への思慕ゆえです』
『どうか、どうか、もう一度お顔を……』
気がつけば、それは弁明書ではなく、血を吐くような**「ラブレター」**になっていた。
論理などない。
あるのは、親に捨てられるのを恐れる子供のような、無様な哀願だけ。
「……殿」
いつの間にか、背後に弁慶が座っていた。
「それを、送るのですか」
「……ああ」
俺は涙を拭わずに答えた。
「現代(まえ)の世界では、感情的な文章は悪手だと笑われるだろうな。だが、今の俺にはこれしか書けない。これが、俺の正体だ」
俺は書状を大江広元(おおえのひろもと)――頼朝の側近であり、俺に同情的な人物――に託した。
***
数日後。
返書は来なかった。
代わりに届いたのは、頼朝からの冷酷な命令書だった。
『義経が所領、すべて没収とする』
『直ちに京へ戻れ。鎌倉の地を踏むことは生涯まかりならぬ』
俺は満福寺の縁側で、その命令書を読んだ。
不思議と、涙は出なかった。
胸の中にあった熱い塊が、急速に冷えて固まっていくのが分かった。
諦めではない。
**「決別」**だ。
俺は立ち上がった。
夏の日差しが眩しい。セミの声がうるさいほどに鳴り響いている。
「……弁慶」
「は」
「兄上は、俺を殺す気だ。情に訴えても無駄だった。怪物は、人間の言葉を解さない」
俺は腰の『薄緑』を強く握りしめた。
現代人の冷静さが戻ってきた。いや、以前よりも冷たく、鋭利になって。
「ならば、こちらも手段は選ばない。これより我々は、鎌倉幕府にとって最大の『脅威』となる」
俺は振り返り、付き従う郎党たちを見渡した。
佐藤兄弟、伊勢三郎、そして弁慶。
彼らの目に、迷いはない。鎌倉に拒絶された俺を、それでも主君として仰いでくれている。
「京へ戻るぞ。……ただし、ただでは帰らない」
俺はニヤリと笑った。それは、かつて一ノ谷で見せた狂気の笑みではなく、底知れぬ復讐者の笑みだった。
「法皇様と手を結び、鎌倉への対抗軸を作る。兄上が一番嫌がることをやってやるんだ。……面白くなってきたな」
源九郎義経、三十一歳(数え)。
英雄の季節は終わった。
これより始まるのは、天下を二分する兄弟喧嘩。そして、生き残りをかけた長い長い逃避行だ。
俺たちは馬首を西へ向けた。
背後の鎌倉の山々が、黒い影となって俺たちを見送っていた。
元暦二年(一一八五年)五月。
平家を滅ぼした俺は、捕虜となった平家の総帥・平宗盛(むねもり)らを連れ、意気揚々と鎌倉へ向かった。
はずだった。
鎌倉の目前、腰越(こしごえ)。
そこで俺たちの行列は止められた。
武装した北条の兵たちが、槍を交差させて道を塞いでいる。
「……通せ」
俺は馬上で告げた。
「総大将・源九郎義経である。平家を討ち、神器を奪還して戻った。兄上に報告せねばならぬ」
だが、守備隊長は無表情に首を振った。
「鎌倉殿のご命令です。『義経の鎌倉入りを禁ず』と」
周囲の空気が凍りついた。
弁慶が色めき立ち、伊勢三郎が刀に手をかける。
「なっ……! 禁ずだと? 平家を滅ぼした功労者に対して、この仕打ちか!」
「黙れ!」
俺は部下たちを一喝して止めた。
現代人の俺は、冷静に状況を分析していた。
(予想通りだ。頼朝は俺の人気を恐れている。ここで俺を鎌倉に入れれば、御家人たちが『次の主君は義経様だ』と雪崩を打つ危険があるからだ)
だが、義経としての俺の心臓は、雑巾のように絞り上げられる痛みに悲鳴を上げていた。
――兄上。なぜですか。私はただ、あなたに褒めていただきたかっただけなのに。
「……分かった。ここへ宿を取る」
俺は満福寺(まんぷくじ)という小さな寺に入った。
***
その夜。寺の一室。
俺は筆を執っていた。
頼朝への弁明書、世に言う**「腰越状(こしごえじょう)」**を書くためだ。
俺の中の現代人格が、構成を練る。
(感情論は逆効果だ。論理的に、俺には野心がないこと、今後も頼朝の利益になる存在であることを証明しなければならない。これは『契約更新』の書類だ)
俺は筆を走らせた。
『一、朝廷からの官位拝受は、京の治安維持のために必要不可欠な措置であった』
『一、平家追討における独断専行は、戦況の変化に対応するための現場判断であり、叛意はない』
『一、今後も鎌倉殿の覇業のため、この身を捧げる所存である』
完璧だ。
論理的で、隙のない弁明。
だが、書き上げた書状を見つめるうちに、視界が歪んだ。
涙が落ちて、墨が滲む。
違う。
こんなビジネス文書を、兄上は読みたがっているんじゃない。
俺も、こんなことを書きたいんじゃない。
俺は書き上げた紙をくしゃりと丸め、破り捨てた。
新しい紙を広げる。
手が震える。理性が吹き飛び、魂が筆を動かす。
『……私は、幼き頃に父を失い、母の懐を離れ、木曾の山中で孤独に育ちました』
『ただ一筋に、源氏の再興と、兄上の御心を安んじることだけを願って戦って参りました』
『崖を駆け下り、嵐の海を渡り、身命を賭して戦ったのは、ひとえに兄上への思慕ゆえです』
『どうか、どうか、もう一度お顔を……』
気がつけば、それは弁明書ではなく、血を吐くような**「ラブレター」**になっていた。
論理などない。
あるのは、親に捨てられるのを恐れる子供のような、無様な哀願だけ。
「……殿」
いつの間にか、背後に弁慶が座っていた。
「それを、送るのですか」
「……ああ」
俺は涙を拭わずに答えた。
「現代(まえ)の世界では、感情的な文章は悪手だと笑われるだろうな。だが、今の俺にはこれしか書けない。これが、俺の正体だ」
俺は書状を大江広元(おおえのひろもと)――頼朝の側近であり、俺に同情的な人物――に託した。
***
数日後。
返書は来なかった。
代わりに届いたのは、頼朝からの冷酷な命令書だった。
『義経が所領、すべて没収とする』
『直ちに京へ戻れ。鎌倉の地を踏むことは生涯まかりならぬ』
俺は満福寺の縁側で、その命令書を読んだ。
不思議と、涙は出なかった。
胸の中にあった熱い塊が、急速に冷えて固まっていくのが分かった。
諦めではない。
**「決別」**だ。
俺は立ち上がった。
夏の日差しが眩しい。セミの声がうるさいほどに鳴り響いている。
「……弁慶」
「は」
「兄上は、俺を殺す気だ。情に訴えても無駄だった。怪物は、人間の言葉を解さない」
俺は腰の『薄緑』を強く握りしめた。
現代人の冷静さが戻ってきた。いや、以前よりも冷たく、鋭利になって。
「ならば、こちらも手段は選ばない。これより我々は、鎌倉幕府にとって最大の『脅威』となる」
俺は振り返り、付き従う郎党たちを見渡した。
佐藤兄弟、伊勢三郎、そして弁慶。
彼らの目に、迷いはない。鎌倉に拒絶された俺を、それでも主君として仰いでくれている。
「京へ戻るぞ。……ただし、ただでは帰らない」
俺はニヤリと笑った。それは、かつて一ノ谷で見せた狂気の笑みではなく、底知れぬ復讐者の笑みだった。
「法皇様と手を結び、鎌倉への対抗軸を作る。兄上が一番嫌がることをやってやるんだ。……面白くなってきたな」
源九郎義経、三十一歳(数え)。
英雄の季節は終わった。
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