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【孤影・流転編】
黄金の都、父と呼んだ人の最期
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文治三年(一一八七年)、春。
長い冬が終わり、北の大地に遅い桜が咲き誇る頃。
俺たちは、ついにその場所に辿り着いた。
中尊寺の金色堂が、夕日を浴びて輝いている。
奥州平泉。
かつて俺が青春を過ごし、そして「必ず戻る」と誓った黄金の都。
数年ぶりの帰還だったが、俺たちの姿はあまりに変わっていた。きらびやかな鎧武者ではなく、泥と汗にまみれ、着の身着のままの逃亡者。
「……着きましたな」
弁慶が、感極まったように鼻をすすった。
「長かった。本当に、地獄のような旅でした」
俺は馬を止め、深く息を吸い込んだ。
空気が甘い。京の腐った香の匂いとも、鎌倉の鉄と潮の匂いとも違う、豊穣な大地の香り。
「ああ。ここが俺たちの砦(ベースキャンプ)だ」
だが、安堵に浸っている時間はない。
出迎えに来た使者の顔色が、妙に暗かったからだ。
「義経様……お待ちしておりました。御館様(おやかたさま)が、枕元へ」
俺の心臓が早鐘を打った。
嫌な予感が、背筋を駆け上がる。
***
柳之御所(やなぎのごしょ)の最奥。
布団に横たわる藤原秀衡は、枯れ木のように痩せ細っていた。
かつて「北の王者」として頼朝を震え上がらせた覇気は、ろうそくの火のように揺らいでいる。
「……九郎か」
俺が近づくと、秀衡は薄く目を開けた。
その瞳だけは、まだ老いていなかった。俺を見る慈愛と、政治家としての鋭い光が混在している。
「戻りました、父上」
俺は枕元に手をつき、額を床に押し付けた。
「平家を滅ぼしましたが、兄に追われる身となりました。この通り、無様な敗走者として……」
「よい」
秀衡のかすれた声が遮った。
「勝って驕る者より、負けて泥を啜った者の方が強い。……お前は、強くなったな」
秀衡が震える手を伸ばし、俺の頭に触れた。
その手は氷のように冷たかったが、俺には焼けるように熱く感じられた。実の兄・頼朝からは一度も与えられなかった、無償の愛。
「九郎。……頼んでいた『荷物』は、無事に届いておるぞ」
秀衡がニヤリと笑った。
俺はハッと顔を上げた。
「では……」
「ああ。教経とかいう大男と、小さなややこ(子供)じゃ。北の海岸沿いに隠れ里を作らせた。……あやつら、なかなか骨がある。農具を持たせても様になっておるわ」
安堵で涙が出そうになった。
教経は約束を守った。そして秀衡もまた、鎌倉に知られれば即座に戦争になるリスクを承知で、彼らを匿ってくれたのだ。
「感謝の言葉もございません」
「礼はいらん。……それより、時間がない」
秀衡の表情が厳しくなった。
彼は天井を見つめ、遺言を紡ぐように語り出した。
「わしの命は、もう数日で尽きる」
「父上!」
「騒ぐな。天命じゃ。……だが、残される息子たちが心配でな」
秀衡の視線の先には、部屋の隅で控えている嫡男・**藤原泰衡(やすひら)**らがいた。
泰衡は優秀だが、気が弱い。頼朝という怪物を相手にするには、あまりに繊細すぎる。史実では、頼朝の圧力に屈し、俺を裏切って殺すことになる男だ。
「泰衡よ。近くへ」
秀衡に呼ばれ、泰衡がビクつきながら進み出る。
「よいか、よく聞け。わしが死ねば、頼朝は必ず恫喝してくる。『義経を差し出せ』とな」
「は、はい……」
「絶対に屈するな。義経を殺せば、次は奥州が食われる。義経を大将軍とし、お前たちがそれを支えよ。そうすれば、鎌倉といえども手出しはできぬ」
秀衡は、俺と泰衡の手を無理やり取って、重ね合わせた。
「義経。……泰衡を頼む。この国を、守ってくれ」
「泰衡。……義経を信じろ。あやつは、新しい風を吹かせる男じゃ」
それが、北の王者の最後の力だった。
秀衡は大きく息を吐き、そして満足げに目を閉じた。
「……ああ、黄金が見える。……極楽よりも、美しい……」
力が抜けた。
静寂が部屋を満たし、やがて慟哭(どうこく)へと変わった。
***
葬儀の夜。
俺は屋敷の庭で、一人月を見ていた。
最強の盾(うしろだて)は失われた。
これからは、俺自身が盾となり、矛とならなければならない。
「……義経殿」
背後から声をかけられた。
藤原泰衡だ。目は赤く腫れているが、その表情には隠しきれない不安と、俺への微かな敵意が混じっていた。
「父上はああ仰ったが……私は不安だ。頼朝公は恐ろしい。もし大軍で攻めてこられたら、我らだけで勝てるのか?」
泰衡の本音だ。
ここで「大丈夫だ」と精神論を言っても、彼の不安は消えない。いずれ恐怖が限界に達し、史実通り俺を売るだろう。
だから、俺は現代の交渉術(ディール)を使う。
「泰衡殿。勝てるかどうかではない。**『戦わないで勝つ』**方法があります」
「な、なんだと?」
俺は懐から、一枚の地図を取り出した。
奥州から北へ伸びる、北海道、そして大陸(アムール川流域)への交易ルート図だ。
「頼朝が欲しいのは私の首ではなく、奥州の黄金と馬です。戦争になれば、それらが灰になる。頼朝も馬鹿じゃない。損得勘定ができる男です」
俺は泰衡の目を真っ直ぐに見据えた。
「我々は鎌倉と戦う必要はない。ただ『独立』すればいい。北の海路を使って大陸と貿易し、莫大な富を蓄える。鎌倉が無視できないほどの経済大国になるのです」
「経済……大国……」
「私に軍権を預けてください。鎌倉軍が手を出せないよう、国境を鉄壁の要塞にします。その間に、あなたは政治と交易で国を富ませる。……二人で、頼朝公の度肝を抜いてやりませんか」
泰衡の瞳の中で、恐怖と野心が天秤にかけられていた。
長い沈黙。
やがて、彼は小さく頷いた。
「……父上が信じた男だ。一度だけ、賭けてみよう」
握手はしなかった。
だが、最悪の裏切りルートは回避された。
これで首の皮一枚、繋がった。
俺は北の空を見上げた。
父・秀衡が守り抜いたこの平和な都。
ここを戦場にはしない。
衣川の悲劇まで、あと二年。
運命の日は刻一刻と迫っている。だが今度の俺は、逃げも隠れもしない。
この平泉を、鎌倉を凌駕する「北の帝国」へと作り変える。
俺の最後の戦い――国家建設が、静かに幕を開けた。
長い冬が終わり、北の大地に遅い桜が咲き誇る頃。
俺たちは、ついにその場所に辿り着いた。
中尊寺の金色堂が、夕日を浴びて輝いている。
奥州平泉。
かつて俺が青春を過ごし、そして「必ず戻る」と誓った黄金の都。
数年ぶりの帰還だったが、俺たちの姿はあまりに変わっていた。きらびやかな鎧武者ではなく、泥と汗にまみれ、着の身着のままの逃亡者。
「……着きましたな」
弁慶が、感極まったように鼻をすすった。
「長かった。本当に、地獄のような旅でした」
俺は馬を止め、深く息を吸い込んだ。
空気が甘い。京の腐った香の匂いとも、鎌倉の鉄と潮の匂いとも違う、豊穣な大地の香り。
「ああ。ここが俺たちの砦(ベースキャンプ)だ」
だが、安堵に浸っている時間はない。
出迎えに来た使者の顔色が、妙に暗かったからだ。
「義経様……お待ちしておりました。御館様(おやかたさま)が、枕元へ」
俺の心臓が早鐘を打った。
嫌な予感が、背筋を駆け上がる。
***
柳之御所(やなぎのごしょ)の最奥。
布団に横たわる藤原秀衡は、枯れ木のように痩せ細っていた。
かつて「北の王者」として頼朝を震え上がらせた覇気は、ろうそくの火のように揺らいでいる。
「……九郎か」
俺が近づくと、秀衡は薄く目を開けた。
その瞳だけは、まだ老いていなかった。俺を見る慈愛と、政治家としての鋭い光が混在している。
「戻りました、父上」
俺は枕元に手をつき、額を床に押し付けた。
「平家を滅ぼしましたが、兄に追われる身となりました。この通り、無様な敗走者として……」
「よい」
秀衡のかすれた声が遮った。
「勝って驕る者より、負けて泥を啜った者の方が強い。……お前は、強くなったな」
秀衡が震える手を伸ばし、俺の頭に触れた。
その手は氷のように冷たかったが、俺には焼けるように熱く感じられた。実の兄・頼朝からは一度も与えられなかった、無償の愛。
「九郎。……頼んでいた『荷物』は、無事に届いておるぞ」
秀衡がニヤリと笑った。
俺はハッと顔を上げた。
「では……」
「ああ。教経とかいう大男と、小さなややこ(子供)じゃ。北の海岸沿いに隠れ里を作らせた。……あやつら、なかなか骨がある。農具を持たせても様になっておるわ」
安堵で涙が出そうになった。
教経は約束を守った。そして秀衡もまた、鎌倉に知られれば即座に戦争になるリスクを承知で、彼らを匿ってくれたのだ。
「感謝の言葉もございません」
「礼はいらん。……それより、時間がない」
秀衡の表情が厳しくなった。
彼は天井を見つめ、遺言を紡ぐように語り出した。
「わしの命は、もう数日で尽きる」
「父上!」
「騒ぐな。天命じゃ。……だが、残される息子たちが心配でな」
秀衡の視線の先には、部屋の隅で控えている嫡男・**藤原泰衡(やすひら)**らがいた。
泰衡は優秀だが、気が弱い。頼朝という怪物を相手にするには、あまりに繊細すぎる。史実では、頼朝の圧力に屈し、俺を裏切って殺すことになる男だ。
「泰衡よ。近くへ」
秀衡に呼ばれ、泰衡がビクつきながら進み出る。
「よいか、よく聞け。わしが死ねば、頼朝は必ず恫喝してくる。『義経を差し出せ』とな」
「は、はい……」
「絶対に屈するな。義経を殺せば、次は奥州が食われる。義経を大将軍とし、お前たちがそれを支えよ。そうすれば、鎌倉といえども手出しはできぬ」
秀衡は、俺と泰衡の手を無理やり取って、重ね合わせた。
「義経。……泰衡を頼む。この国を、守ってくれ」
「泰衡。……義経を信じろ。あやつは、新しい風を吹かせる男じゃ」
それが、北の王者の最後の力だった。
秀衡は大きく息を吐き、そして満足げに目を閉じた。
「……ああ、黄金が見える。……極楽よりも、美しい……」
力が抜けた。
静寂が部屋を満たし、やがて慟哭(どうこく)へと変わった。
***
葬儀の夜。
俺は屋敷の庭で、一人月を見ていた。
最強の盾(うしろだて)は失われた。
これからは、俺自身が盾となり、矛とならなければならない。
「……義経殿」
背後から声をかけられた。
藤原泰衡だ。目は赤く腫れているが、その表情には隠しきれない不安と、俺への微かな敵意が混じっていた。
「父上はああ仰ったが……私は不安だ。頼朝公は恐ろしい。もし大軍で攻めてこられたら、我らだけで勝てるのか?」
泰衡の本音だ。
ここで「大丈夫だ」と精神論を言っても、彼の不安は消えない。いずれ恐怖が限界に達し、史実通り俺を売るだろう。
だから、俺は現代の交渉術(ディール)を使う。
「泰衡殿。勝てるかどうかではない。**『戦わないで勝つ』**方法があります」
「な、なんだと?」
俺は懐から、一枚の地図を取り出した。
奥州から北へ伸びる、北海道、そして大陸(アムール川流域)への交易ルート図だ。
「頼朝が欲しいのは私の首ではなく、奥州の黄金と馬です。戦争になれば、それらが灰になる。頼朝も馬鹿じゃない。損得勘定ができる男です」
俺は泰衡の目を真っ直ぐに見据えた。
「我々は鎌倉と戦う必要はない。ただ『独立』すればいい。北の海路を使って大陸と貿易し、莫大な富を蓄える。鎌倉が無視できないほどの経済大国になるのです」
「経済……大国……」
「私に軍権を預けてください。鎌倉軍が手を出せないよう、国境を鉄壁の要塞にします。その間に、あなたは政治と交易で国を富ませる。……二人で、頼朝公の度肝を抜いてやりませんか」
泰衡の瞳の中で、恐怖と野心が天秤にかけられていた。
長い沈黙。
やがて、彼は小さく頷いた。
「……父上が信じた男だ。一度だけ、賭けてみよう」
握手はしなかった。
だが、最悪の裏切りルートは回避された。
これで首の皮一枚、繋がった。
俺は北の空を見上げた。
父・秀衡が守り抜いたこの平和な都。
ここを戦場にはしない。
衣川の悲劇まで、あと二年。
運命の日は刻一刻と迫っている。だが今度の俺は、逃げも隠れもしない。
この平泉を、鎌倉を凌駕する「北の帝国」へと作り変える。
俺の最後の戦い――国家建設が、静かに幕を開けた。
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