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【覇道・新国家編】
落日、あるいは英雄の賞味期限
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建保六年(一二一八年)。
北海国執政・源義経、五十九歳。
その日、円卓会議はいつものように熱気を帯びていた。
議題は、大陸との新しい貿易協定と、対モンゴル防衛線の強化について。
「……したがって、樺太(サハリン)の砦には、さらに二十門の青龍砲を配備すべきです」
安(安徳)が、低いがよく通る声で発言していた。
三十六歳になった彼は、もはや誰の目にも「頼れる指導者」として映っていた。かつてのひ弱な幼帝の面影はない。その判断力は冷徹で、視野は広い。
「うむ。安の案で行こう」
俺は頷き、書類に決済のサインをしようとした。
その時だった。
視界が、ぐらりと歪んだ。
「……っ」
筆が手から滑り落ちる。
胸の奥で、熱い塊がせり上がってきた。
俺はとっさに口元を袖で覆った。
「執政閣下?」
安が不審げにこちらを見る。
「……何でもない。少し、めまいがしただけだ」
俺は袖を隠した。
そこには、鮮やかな紅(あか)い染みが広がっていた。
***
深夜。執務室。
俺はペルシャ人の医師に診察を受けていた。
聴診を終えた医師は、沈痛な面持ちで首を横に振った。
「……労咳(ろうがい・結核)、あるいは肺の腫瘍か。手遅れです、王よ」
医師は告げた。
「長年の戦場暮らし、過労、そして北国の寒気……。お身体はもう、限界を超えています。余命は、持って半年でしょう」
「そうか」
俺は静かに服を着た。
恐怖はなかった。むしろ、ここまでよく持ったものだと感心したくらいだ。
「このことは他言無用だ。特に安には知られるな」
医師を下がらせると、影から一人の男が現れた。
武蔵坊弁慶。
彼だけは、ごまかせない。
「……聞いていたか」
「ええ。廊下の端まで聞こえるような咳をしておいて、隠せるはずもありません」
弁慶が俺の前に座る。その巨体も年老いたが、主を見る瞳の強さは変わらない。
「どうなさいますか。安養寺(療養所)へ入りますか?」
「馬鹿を言え。俺がベッドで点滴を受けて死ぬタマか」
俺は自嘲した。
だが、問題は深刻だ。
北海国は、良くも悪くも「源義経」というカリスマによって団結している。そして、モンゴルが攻めてこないのも、「義経がいるから」という抑止力が働いているからだ。
もし俺が病死したと知れれば、モンゴルは即座に攻めてくる。
そして国内では、安への権力移譲がスムーズに行くか分からない。
「弁慶。俺は『老衰』では死ねない」
俺は窓の外、北の闇を見つめた。
「英雄は、英雄のまま消えなければならない。……この国のために、俺の死に場所を作る」
「……策がおありで?」
「ああ。最後の大博打だ」
俺は壁の世界地図を指差した。
そこには、モンゴル帝国の心臓部・カラコルムの位置が記されていた。
「噂を流すぞ。『義経は、モンゴル皇帝チンギス・カンを討つために、大艦隊を率いて大陸へ渡る』とな」
弁慶が目を丸くした。
「まさか、本気で攻め込むおつもりで?」
「ハッタリだ」
俺はニヤリと笑った。
「だが、世界が信じるハッタリだ。……俺は姿を消す。安に国を譲り、俺自身は『遠征』に出るふりをして、そのまま行方不明になる」
これが、俺の描いた**「義経=チンギス・ハン伝説(の逆)」**だ。
義経は死んでいない。大陸の奥地で、モンゴル軍と戦い続けている――そう思わせれば、モンゴルは背後を恐れて日本へ手を出せない。
永遠の行方不明者となることで、俺は「永久不滅の抑止力」になる。
「……残酷なことを仰る」
弁慶の声が震えた。
「安殿に、サヨナラも言わずに去るのですか。あの者は、あなたを実の父のように慕っておりますぞ」
「だからこそだ」
俺は拳を握りしめた。
「俺がそばにいれば、あいつはいつまでも『副官』のままだ。俺がいなくなって初めて、彼は真の『王』になれる」
俺は弁慶を見た。
「お前はどうする? ここに残って、安を支えてやるか?」
弁慶は呆れたように息を吐き、そして、子供のような無邪気な笑顔を見せた。
「何を仰いますやら。……私の仕事は、死ぬまであなたの道具持ちですぞ。地獄の果てだろうと、お供いたします」
「……そうか」
目頭が熱くなるのを、俺はぐっと堪えた。
「準備を始めろ。出発は一ヶ月後だ」
翌日。
俺は安を執務室に呼んだ。
病のことは告げず、ただ「長期の視察に出る」とだけ伝えた。
「安。留守の間、全権を委任する。……この印籠(ハンコ)をお前に預ける」
執政の証である印章を渡す。
安は少し驚いた顔をしたが、すぐに背筋を伸ばして受け取った。
「承知しました。……大将が戻られるまで、この国は指一本触れさせません」
その真っ直ぐな瞳を見て、俺は確信した。
もう大丈夫だ。
彼は、俺が守りたかった「未来」そのものになった。
俺の役割は終わった。
あとは、幕引きの演出だけだ。
北海国建国の父・源義経の、最後のショーが幕を開ける。
北海国執政・源義経、五十九歳。
その日、円卓会議はいつものように熱気を帯びていた。
議題は、大陸との新しい貿易協定と、対モンゴル防衛線の強化について。
「……したがって、樺太(サハリン)の砦には、さらに二十門の青龍砲を配備すべきです」
安(安徳)が、低いがよく通る声で発言していた。
三十六歳になった彼は、もはや誰の目にも「頼れる指導者」として映っていた。かつてのひ弱な幼帝の面影はない。その判断力は冷徹で、視野は広い。
「うむ。安の案で行こう」
俺は頷き、書類に決済のサインをしようとした。
その時だった。
視界が、ぐらりと歪んだ。
「……っ」
筆が手から滑り落ちる。
胸の奥で、熱い塊がせり上がってきた。
俺はとっさに口元を袖で覆った。
「執政閣下?」
安が不審げにこちらを見る。
「……何でもない。少し、めまいがしただけだ」
俺は袖を隠した。
そこには、鮮やかな紅(あか)い染みが広がっていた。
***
深夜。執務室。
俺はペルシャ人の医師に診察を受けていた。
聴診を終えた医師は、沈痛な面持ちで首を横に振った。
「……労咳(ろうがい・結核)、あるいは肺の腫瘍か。手遅れです、王よ」
医師は告げた。
「長年の戦場暮らし、過労、そして北国の寒気……。お身体はもう、限界を超えています。余命は、持って半年でしょう」
「そうか」
俺は静かに服を着た。
恐怖はなかった。むしろ、ここまでよく持ったものだと感心したくらいだ。
「このことは他言無用だ。特に安には知られるな」
医師を下がらせると、影から一人の男が現れた。
武蔵坊弁慶。
彼だけは、ごまかせない。
「……聞いていたか」
「ええ。廊下の端まで聞こえるような咳をしておいて、隠せるはずもありません」
弁慶が俺の前に座る。その巨体も年老いたが、主を見る瞳の強さは変わらない。
「どうなさいますか。安養寺(療養所)へ入りますか?」
「馬鹿を言え。俺がベッドで点滴を受けて死ぬタマか」
俺は自嘲した。
だが、問題は深刻だ。
北海国は、良くも悪くも「源義経」というカリスマによって団結している。そして、モンゴルが攻めてこないのも、「義経がいるから」という抑止力が働いているからだ。
もし俺が病死したと知れれば、モンゴルは即座に攻めてくる。
そして国内では、安への権力移譲がスムーズに行くか分からない。
「弁慶。俺は『老衰』では死ねない」
俺は窓の外、北の闇を見つめた。
「英雄は、英雄のまま消えなければならない。……この国のために、俺の死に場所を作る」
「……策がおありで?」
「ああ。最後の大博打だ」
俺は壁の世界地図を指差した。
そこには、モンゴル帝国の心臓部・カラコルムの位置が記されていた。
「噂を流すぞ。『義経は、モンゴル皇帝チンギス・カンを討つために、大艦隊を率いて大陸へ渡る』とな」
弁慶が目を丸くした。
「まさか、本気で攻め込むおつもりで?」
「ハッタリだ」
俺はニヤリと笑った。
「だが、世界が信じるハッタリだ。……俺は姿を消す。安に国を譲り、俺自身は『遠征』に出るふりをして、そのまま行方不明になる」
これが、俺の描いた**「義経=チンギス・ハン伝説(の逆)」**だ。
義経は死んでいない。大陸の奥地で、モンゴル軍と戦い続けている――そう思わせれば、モンゴルは背後を恐れて日本へ手を出せない。
永遠の行方不明者となることで、俺は「永久不滅の抑止力」になる。
「……残酷なことを仰る」
弁慶の声が震えた。
「安殿に、サヨナラも言わずに去るのですか。あの者は、あなたを実の父のように慕っておりますぞ」
「だからこそだ」
俺は拳を握りしめた。
「俺がそばにいれば、あいつはいつまでも『副官』のままだ。俺がいなくなって初めて、彼は真の『王』になれる」
俺は弁慶を見た。
「お前はどうする? ここに残って、安を支えてやるか?」
弁慶は呆れたように息を吐き、そして、子供のような無邪気な笑顔を見せた。
「何を仰いますやら。……私の仕事は、死ぬまであなたの道具持ちですぞ。地獄の果てだろうと、お供いたします」
「……そうか」
目頭が熱くなるのを、俺はぐっと堪えた。
「準備を始めろ。出発は一ヶ月後だ」
翌日。
俺は安を執務室に呼んだ。
病のことは告げず、ただ「長期の視察に出る」とだけ伝えた。
「安。留守の間、全権を委任する。……この印籠(ハンコ)をお前に預ける」
執政の証である印章を渡す。
安は少し驚いた顔をしたが、すぐに背筋を伸ばして受け取った。
「承知しました。……大将が戻られるまで、この国は指一本触れさせません」
その真っ直ぐな瞳を見て、俺は確信した。
もう大丈夫だ。
彼は、俺が守りたかった「未来」そのものになった。
俺の役割は終わった。
あとは、幕引きの演出だけだ。
北海国建国の父・源義経の、最後のショーが幕を開ける。
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