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【覇道・新国家編】
虚構の艦隊、あるいは父と子の
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建保六年(一二一八年)、初冬。
宇須岸(函館)の港は、鉛色の空と海に挟まれ、異様な熱気に包まれていた。
港を埋め尽くすのは、旗艦『北斗丸』を中心とした二十隻の精鋭艦隊。
積まれているのは、大量の火薬、食料、そして大陸の寒さに耐えうる毛皮。
表向きは「モンゴル皇帝を討つための遠征軍」だ。
だが、その実態は**「虚構」**だった。
船倉の木箱の大半は空っぽか、石が詰められている。
乗り込む兵士たちも、志願した老兵や、身寄りのない者たちばかり。彼らは知っているのだ。これが凱旋を予定しない、片道切符の航海であることを。
「……見事な眺めですな」
甲板の上で、武蔵坊弁慶が帆を見上げながら言った。
「ハッタリにしては、少々豪華すぎやしませんか」
「世界を騙すんだ。これくらい派手でなきゃ嘘だとバレる」
俺は厚手のマントの下で、痩せ細った体を隠していた。
咳き込みそうになるのを、気力だけで抑え込む。
埠頭には、見送りの民衆が黒山の人だかりを作っていた。
彼らは本気で信じている。我らが王が、海を渡って悪魔を退治し、再び勝利を持って帰還することを。
その期待に満ちた眼差しが、今は少し痛かった。
***
出航のドラが鳴る直前。
タラップを駆け上がってくる足音がした。
安(安徳)だ。
今の北海国の実質的な指導者。彼は息を切らし、俺の前に立った。
「執政閣下……いえ、大将」
安の目は赤かった。彼は賢い。この唐突な遠征の意味を、そして俺の身体の異変を、薄々勘づいているのかもしれない。
「本当に行くのですか。……あなたが直接行く必要などないはずだ。指揮は私でも、他の将軍でも……」
「俺でなきゃ駄目なんだ」
俺は安の言葉を遮った。
「チンギス・カンという怪物を釘付けにするには、『源義経』という名前が必要だ。俺が大陸のどこかに潜んでいる……そう思わせるだけで、奴らはうかつに海を渡れない」
俺は安の肩に手を置いた。
その肩は、いつの間にか俺よりも広く、逞しくなっていた。
「安。……俺を探すなよ」
「え……?」
「俺が戻らなくても、捜索隊など出すな。お前は前を見ろ。この国の民と、未来だけを見ろ。……過去(おれ)を振り返るな」
それは、事実上の「今生の別れ」の言葉だった。
安の唇が震える。
彼は何かを言いかけ、そして飲み込んだ。
王たる者は、公衆の面前で取り乱してはならない。その帝王学を教えたのは、他ならぬ俺だ。
「……了解、しました」
安は背筋を伸ばし、完璧な敬礼をした。
ただ、その頬を一筋の涙が伝うのだけは止められなかった。
「ご武運を。……父上」
初めて呼ばれたその言葉に、俺の胸は張り裂けそうになった。
血は繋がっていない。かつては敵同士だった。
だが、俺たちは間違いなく親子だった。
「……あばよ、息子よ。国を頼むぞ」
俺は背を向け、手を振った。
もう振り返らない。振り返れば、決意が鈍る。
***
銅鑼(ドラ)が鳴り響く。
蒸気機関が黒煙を吐き、巨大な船体が岸を離れる。
「万歳!」「義経公万歳!」
民衆の大歓声が、潮風に乗って遠ざかっていく。
俺は船尾に立ち、小さくなっていく宇須岸の街並みを見つめた。
何もなかった荒野に、俺たちが作った国。
煙突の煙。市場の喧騒。子供たちの笑い声。
その全てが、愛おしく、そして誇らしかった。
「……良い国になりましたな」
弁慶が横に立つ。手には、俺のための温かい薬湯を持っていた。
「ああ。上出来だ」
俺は薬湯を受け取り、一口飲んだ。
温かさが五臓六腑に染み渡る。
「弁慶。進路は?」
「北北西。……オホーツクの彼方、大陸の沿岸部へ向かいます。海流に乗れば、三日ほどで視界から消えるでしょう」
「そうか」
俺は視線を、見慣れた南の陸地から、未知の北の海へと移した。
この艦隊は、どこにも到着しない。
適当なところで船を焼き、痕跡を消し、歴史の闇へと消える。
世界中の人々は噂するだろう。
「義経は大陸へ渡り、今もどこかで戦っている」と。
その「見えない恐怖」こそが、俺がこの国に残せる最後の防壁だ。
「……そろそろ、休憩なさいませ」
弁慶が優しく促す。
「無理をして立っていたのでしょう。もう、演じる必要はありません」
その言葉を聞いた途端、糸が切れたように膝から力が抜けた。
崩れ落ちそうになる俺を、弁慶の太い腕が支える。
「……すまん、弁慶。重いだろう」
「ハッ。何を仰る」
弁慶は俺を軽々と抱きかかえた。
「貴方様を背負って歩くのは、私の特権です。……五条大橋で出会ったあの日から、この腕はずっと貴方様のためにありました」
俺は弁慶の胸に顔を埋めた。
鼓動が聞こえる。力強く、温かいリズム。
霧が出てきた。
艦隊は白い闇の中へと溶け込んでいく。
北海国執政・源義経の公式記録は、ここで途絶える。
歴史に残るのは「大陸遠征に出発し、消息不明」という一行のみ。
だが、俺たちの旅はまだ終わらない。
「……行こうか、弁慶」
「御意」
虚構の艦隊は、伝説という名の永遠の海へ。
最期の瞬間まで、俺は王であり続ける。
宇須岸(函館)の港は、鉛色の空と海に挟まれ、異様な熱気に包まれていた。
港を埋め尽くすのは、旗艦『北斗丸』を中心とした二十隻の精鋭艦隊。
積まれているのは、大量の火薬、食料、そして大陸の寒さに耐えうる毛皮。
表向きは「モンゴル皇帝を討つための遠征軍」だ。
だが、その実態は**「虚構」**だった。
船倉の木箱の大半は空っぽか、石が詰められている。
乗り込む兵士たちも、志願した老兵や、身寄りのない者たちばかり。彼らは知っているのだ。これが凱旋を予定しない、片道切符の航海であることを。
「……見事な眺めですな」
甲板の上で、武蔵坊弁慶が帆を見上げながら言った。
「ハッタリにしては、少々豪華すぎやしませんか」
「世界を騙すんだ。これくらい派手でなきゃ嘘だとバレる」
俺は厚手のマントの下で、痩せ細った体を隠していた。
咳き込みそうになるのを、気力だけで抑え込む。
埠頭には、見送りの民衆が黒山の人だかりを作っていた。
彼らは本気で信じている。我らが王が、海を渡って悪魔を退治し、再び勝利を持って帰還することを。
その期待に満ちた眼差しが、今は少し痛かった。
***
出航のドラが鳴る直前。
タラップを駆け上がってくる足音がした。
安(安徳)だ。
今の北海国の実質的な指導者。彼は息を切らし、俺の前に立った。
「執政閣下……いえ、大将」
安の目は赤かった。彼は賢い。この唐突な遠征の意味を、そして俺の身体の異変を、薄々勘づいているのかもしれない。
「本当に行くのですか。……あなたが直接行く必要などないはずだ。指揮は私でも、他の将軍でも……」
「俺でなきゃ駄目なんだ」
俺は安の言葉を遮った。
「チンギス・カンという怪物を釘付けにするには、『源義経』という名前が必要だ。俺が大陸のどこかに潜んでいる……そう思わせるだけで、奴らはうかつに海を渡れない」
俺は安の肩に手を置いた。
その肩は、いつの間にか俺よりも広く、逞しくなっていた。
「安。……俺を探すなよ」
「え……?」
「俺が戻らなくても、捜索隊など出すな。お前は前を見ろ。この国の民と、未来だけを見ろ。……過去(おれ)を振り返るな」
それは、事実上の「今生の別れ」の言葉だった。
安の唇が震える。
彼は何かを言いかけ、そして飲み込んだ。
王たる者は、公衆の面前で取り乱してはならない。その帝王学を教えたのは、他ならぬ俺だ。
「……了解、しました」
安は背筋を伸ばし、完璧な敬礼をした。
ただ、その頬を一筋の涙が伝うのだけは止められなかった。
「ご武運を。……父上」
初めて呼ばれたその言葉に、俺の胸は張り裂けそうになった。
血は繋がっていない。かつては敵同士だった。
だが、俺たちは間違いなく親子だった。
「……あばよ、息子よ。国を頼むぞ」
俺は背を向け、手を振った。
もう振り返らない。振り返れば、決意が鈍る。
***
銅鑼(ドラ)が鳴り響く。
蒸気機関が黒煙を吐き、巨大な船体が岸を離れる。
「万歳!」「義経公万歳!」
民衆の大歓声が、潮風に乗って遠ざかっていく。
俺は船尾に立ち、小さくなっていく宇須岸の街並みを見つめた。
何もなかった荒野に、俺たちが作った国。
煙突の煙。市場の喧騒。子供たちの笑い声。
その全てが、愛おしく、そして誇らしかった。
「……良い国になりましたな」
弁慶が横に立つ。手には、俺のための温かい薬湯を持っていた。
「ああ。上出来だ」
俺は薬湯を受け取り、一口飲んだ。
温かさが五臓六腑に染み渡る。
「弁慶。進路は?」
「北北西。……オホーツクの彼方、大陸の沿岸部へ向かいます。海流に乗れば、三日ほどで視界から消えるでしょう」
「そうか」
俺は視線を、見慣れた南の陸地から、未知の北の海へと移した。
この艦隊は、どこにも到着しない。
適当なところで船を焼き、痕跡を消し、歴史の闇へと消える。
世界中の人々は噂するだろう。
「義経は大陸へ渡り、今もどこかで戦っている」と。
その「見えない恐怖」こそが、俺がこの国に残せる最後の防壁だ。
「……そろそろ、休憩なさいませ」
弁慶が優しく促す。
「無理をして立っていたのでしょう。もう、演じる必要はありません」
その言葉を聞いた途端、糸が切れたように膝から力が抜けた。
崩れ落ちそうになる俺を、弁慶の太い腕が支える。
「……すまん、弁慶。重いだろう」
「ハッ。何を仰る」
弁慶は俺を軽々と抱きかかえた。
「貴方様を背負って歩くのは、私の特権です。……五条大橋で出会ったあの日から、この腕はずっと貴方様のためにありました」
俺は弁慶の胸に顔を埋めた。
鼓動が聞こえる。力強く、温かいリズム。
霧が出てきた。
艦隊は白い闇の中へと溶け込んでいく。
北海国執政・源義経の公式記録は、ここで途絶える。
歴史に残るのは「大陸遠征に出発し、消息不明」という一行のみ。
だが、俺たちの旅はまだ終わらない。
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