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【覇道・新国家編】
星の落ちる場所、あるいは夢の終わり
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大陸の沿岸。凍てつく風が吹き荒れる荒野の果て。
ここで、伝説は霧散し、神話へと変わる。
「……ここまでだ」
小船の上で、俺は最後の命令を下した。
沖合に停泊する『北斗丸』以下の艦隊に向け、発光信号が送られる。
『各員、任務ご苦労。これより艦隊を解散し、各自大陸へ潜伏せよ』
『源義経の名を騙(かた)り、モンゴルの背後を脅かし続けろ』
兵士たちは無言で敬礼し、それぞれの船を操って霧の中へ消えていった。
ある者は奥地へ進んでゲリラとなり、ある者は現地に同化して噂を広める語り部となるだろう。
彼らが生きている限り、「義経はそこにいる」という幽霊は死なない。
「……行きましたな」
弁慶が静かに櫂(かい)を漕ぐ。
残されたのは、俺と弁慶が乗る一艘の小船だけ。
向かう先は、地図にもない入り江の奥にある、小さな洞窟だ。
***
波の音だけが響く洞窟。
弁慶は枯れ木を集めて火を焚き、その上に何枚もの毛皮を敷いて、俺を寝かせた。
身体はもう、鉛のように重かった。
指先一本動かすのも億劫だ。
呼吸をするたびに、肺の中でガラス片が擦れ合うような音がする。
「……寒いか、殿」
弁慶が、自分の着ていた衣を脱ぎ、俺にかけてくれる。
「いや……不思議と、温かい」
俺は掠れた声で答えた。
これは死の間際に見る夢か、それとも身体の機能が壊れたせいか。
かつて鞍馬山で感じたような、懐かしい温もりが全身を包んでいた。
「弁慶。……酒はあるか」
「ありますとも。とっておきが」
弁慶は竹筒を取り出し、猪口(ちょこ)に注ぐ。
北海国で作らせた、琥珀色の蒸留酒(ウイスキー)だ。
俺は弁慶の手を借りて、ひと口だけ舐めた。
強烈な香りと熱が、喉を焼く。
「……美味い」
「でしょう。殿が『十年寝かせればもっと美味くなる』と仰った酒です。……まだ三年しか経っておりませぬが」
「十年か……。飲みたかったな」
俺は天井の岩肌を見上げた。
走馬灯のように、記憶が駆け巡る。
京都の五条大橋で、この大男と出会った夜。
兄・頼朝と対面した黄瀬川の陣。
一ノ谷の断崖絶壁。
そして、何もない北の大地に、最初の鍬(くわ)を入れた日。
「なあ、弁慶」
俺は薄く目を開けた。
「俺は……上手くやれたか?」
弁慶は、太い指で俺の乱れた髪を直しながら、深く頷いた。
「ええ。貴方様は、誰よりも速く駆け抜け、誰よりも多くのものを遺されました。……戦の天才であり、国作りの名君であり、そして何より」
弁慶の声が、少しだけ震えた。
「……最高に手のかかる、愛すべき主君でした」
「ハハ……違いない」
俺は笑おうとして、咳き込んだ。
口元から溢れる血を、弁慶が布で優しく拭う。
視界が白く濁り始めていた。
光が遠ざかる。
だが、恐怖はなかった。
俺が持っていた現代の知識。未来の記憶。
それらを全て使い切り、歴史という巨大なキャンバスに、思う存分いたずら書きをしてやった満足感があった。
「弁慶。……安を、頼むぞ」
「はい」
「国を……民を……」
「ご安心を。貴方様が蒔いた種は、もう大樹になっております」
「そう、か……」
瞼(まぶた)が重い。
もう、開けていられない。
暗闇の中に、一つの光が見えた。
ああ、あれは――。
静御前か。
それとも、先に逝った佐藤継信か。
皆が、向こう岸で手を振っている気がした。
「……少し、眠るよ。弁慶」
「はい。……ゆっくりお休みください」
俺は、最後に残った全ての力を振り絞り、弁慶の手を握り返した。
そのゴツゴツとした手の感触だけが、俺を現世に繋ぎ止める最後の錨(いかり)だった。
「……ありがとう」
言葉は、音にはならなかったかもしれない。
だが、弁慶には届いたはずだ。
握り返す手の力が、優しく、そして強くなったから。
風の音が止んだ。
波の音も遠のく。
俺の意識は、北の夜空へと溶け込み――。
そして、世界から色が消えた。
***
洞窟の中。
焚き火がパチパチと爆ぜる音だけが響いていた。
武蔵坊弁慶は、動かなくなった主の顔を、いつまでも見つめていた。
その顔は、戦神としての険しさは消え、まるで悪戯(いたずら)をやり遂げた少年のように穏やかだった。
「……九郎様」
弁慶は、主の冷たくなった手を両手で包み込み、額に押し当てた。
巨体が震える。
岩のような肩が揺れる。
「う……うぅ……ぉぉぉ……ッ!!」
慟哭。
人目も憚らず、弁慶は泣いた。
五条大橋で負けたあの日から、数十年の時を共に歩んだ。
この男がいたから、自分はただの荒法師ではなく、歴史の一部になれた。
太陽を失った喪失感が、胸に風穴を開けていた。
だが、弁慶は泣き崩れたままでは終わらなかった。
やがて涙を拭い、立ち上がった。
その目には、再び鬼神の光が宿っていた。
「……まだ、終わりではありませぬ」
弁慶は、主の遺体の前に仁王立ちになり、洞窟の入り口に立った。
手には愛用の金砕棒ではなく、義経から託された『薄緑』の太刀。
「貴方様の伝説は、ここからが始まり。……この弁慶、貴方様が『行方不明の英雄』として永遠に生き続けるよう、最後の務めを果たしましょう」
弁慶は洞窟を封鎖し、誰にも見つからない墓標とした。
そして一人、吹雪の中へと歩き出した。
主の死を隠し、大陸全土に「義経の影」をばら撒くために。
建保六年、冬。
北海国初代執政・源義経、死去。
だが、その死を知る者は、世界にたった一人しかいなかった。
こうして、源義経は歴史から姿を消し、不死身の伝説(チンギス・ハンの正体、あるいは北の守護神)として、永遠の旅を続けることになったのである。
ここで、伝説は霧散し、神話へと変わる。
「……ここまでだ」
小船の上で、俺は最後の命令を下した。
沖合に停泊する『北斗丸』以下の艦隊に向け、発光信号が送られる。
『各員、任務ご苦労。これより艦隊を解散し、各自大陸へ潜伏せよ』
『源義経の名を騙(かた)り、モンゴルの背後を脅かし続けろ』
兵士たちは無言で敬礼し、それぞれの船を操って霧の中へ消えていった。
ある者は奥地へ進んでゲリラとなり、ある者は現地に同化して噂を広める語り部となるだろう。
彼らが生きている限り、「義経はそこにいる」という幽霊は死なない。
「……行きましたな」
弁慶が静かに櫂(かい)を漕ぐ。
残されたのは、俺と弁慶が乗る一艘の小船だけ。
向かう先は、地図にもない入り江の奥にある、小さな洞窟だ。
***
波の音だけが響く洞窟。
弁慶は枯れ木を集めて火を焚き、その上に何枚もの毛皮を敷いて、俺を寝かせた。
身体はもう、鉛のように重かった。
指先一本動かすのも億劫だ。
呼吸をするたびに、肺の中でガラス片が擦れ合うような音がする。
「……寒いか、殿」
弁慶が、自分の着ていた衣を脱ぎ、俺にかけてくれる。
「いや……不思議と、温かい」
俺は掠れた声で答えた。
これは死の間際に見る夢か、それとも身体の機能が壊れたせいか。
かつて鞍馬山で感じたような、懐かしい温もりが全身を包んでいた。
「弁慶。……酒はあるか」
「ありますとも。とっておきが」
弁慶は竹筒を取り出し、猪口(ちょこ)に注ぐ。
北海国で作らせた、琥珀色の蒸留酒(ウイスキー)だ。
俺は弁慶の手を借りて、ひと口だけ舐めた。
強烈な香りと熱が、喉を焼く。
「……美味い」
「でしょう。殿が『十年寝かせればもっと美味くなる』と仰った酒です。……まだ三年しか経っておりませぬが」
「十年か……。飲みたかったな」
俺は天井の岩肌を見上げた。
走馬灯のように、記憶が駆け巡る。
京都の五条大橋で、この大男と出会った夜。
兄・頼朝と対面した黄瀬川の陣。
一ノ谷の断崖絶壁。
そして、何もない北の大地に、最初の鍬(くわ)を入れた日。
「なあ、弁慶」
俺は薄く目を開けた。
「俺は……上手くやれたか?」
弁慶は、太い指で俺の乱れた髪を直しながら、深く頷いた。
「ええ。貴方様は、誰よりも速く駆け抜け、誰よりも多くのものを遺されました。……戦の天才であり、国作りの名君であり、そして何より」
弁慶の声が、少しだけ震えた。
「……最高に手のかかる、愛すべき主君でした」
「ハハ……違いない」
俺は笑おうとして、咳き込んだ。
口元から溢れる血を、弁慶が布で優しく拭う。
視界が白く濁り始めていた。
光が遠ざかる。
だが、恐怖はなかった。
俺が持っていた現代の知識。未来の記憶。
それらを全て使い切り、歴史という巨大なキャンバスに、思う存分いたずら書きをしてやった満足感があった。
「弁慶。……安を、頼むぞ」
「はい」
「国を……民を……」
「ご安心を。貴方様が蒔いた種は、もう大樹になっております」
「そう、か……」
瞼(まぶた)が重い。
もう、開けていられない。
暗闇の中に、一つの光が見えた。
ああ、あれは――。
静御前か。
それとも、先に逝った佐藤継信か。
皆が、向こう岸で手を振っている気がした。
「……少し、眠るよ。弁慶」
「はい。……ゆっくりお休みください」
俺は、最後に残った全ての力を振り絞り、弁慶の手を握り返した。
そのゴツゴツとした手の感触だけが、俺を現世に繋ぎ止める最後の錨(いかり)だった。
「……ありがとう」
言葉は、音にはならなかったかもしれない。
だが、弁慶には届いたはずだ。
握り返す手の力が、優しく、そして強くなったから。
風の音が止んだ。
波の音も遠のく。
俺の意識は、北の夜空へと溶け込み――。
そして、世界から色が消えた。
***
洞窟の中。
焚き火がパチパチと爆ぜる音だけが響いていた。
武蔵坊弁慶は、動かなくなった主の顔を、いつまでも見つめていた。
その顔は、戦神としての険しさは消え、まるで悪戯(いたずら)をやり遂げた少年のように穏やかだった。
「……九郎様」
弁慶は、主の冷たくなった手を両手で包み込み、額に押し当てた。
巨体が震える。
岩のような肩が揺れる。
「う……うぅ……ぉぉぉ……ッ!!」
慟哭。
人目も憚らず、弁慶は泣いた。
五条大橋で負けたあの日から、数十年の時を共に歩んだ。
この男がいたから、自分はただの荒法師ではなく、歴史の一部になれた。
太陽を失った喪失感が、胸に風穴を開けていた。
だが、弁慶は泣き崩れたままでは終わらなかった。
やがて涙を拭い、立ち上がった。
その目には、再び鬼神の光が宿っていた。
「……まだ、終わりではありませぬ」
弁慶は、主の遺体の前に仁王立ちになり、洞窟の入り口に立った。
手には愛用の金砕棒ではなく、義経から託された『薄緑』の太刀。
「貴方様の伝説は、ここからが始まり。……この弁慶、貴方様が『行方不明の英雄』として永遠に生き続けるよう、最後の務めを果たしましょう」
弁慶は洞窟を封鎖し、誰にも見つからない墓標とした。
そして一人、吹雪の中へと歩き出した。
主の死を隠し、大陸全土に「義経の影」をばら撒くために。
建保六年、冬。
北海国初代執政・源義経、死去。
だが、その死を知る者は、世界にたった一人しかいなかった。
こうして、源義経は歴史から姿を消し、不死身の伝説(チンギス・ハンの正体、あるいは北の守護神)として、永遠の旅を続けることになったのである。
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