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第2章 その瞳が見つめる未来は

18話 ここだ! 如月!

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 豊を助けたのは《エノッツ リグティオ石獅子》。紅野幸路の魔法によって生み出された、鉱石で出来た獅子。簡単な命令をあらかじめセットする他、リアルタイムで操作することも可能だという。
 外見からして重たそうな身体の獅子だったが、豊の周りを歩きながらカッカッとハイヒールにも似た音を立て、低く唸るような声で鳴き敵を睨みつけている。敵は獅子を警戒してか近づこうとはしないが、その目はまだ豊を狙ったままである。

(こいつぁ……)

 体を起こした豊はナイフを突き立てられた腕や足を触り、自分の表面を薄い何かが覆っていること、それが自身を守ってくれていたことに気付く。

「父さん、怪我は!?」
「大丈夫……だ……しかし……」
「如月が……守ってくれたんだ」
「如月?」
「入り口で女の人と待機してる奴だよ」

 自分の体がどうにかなってしまったのかと戸惑う豊だったが、光秀の話を聞いて倉庫へ入る直前に視界に入った灯真のことを思い出す。それが一体どういう技術なのかはわからないが、ナイフの攻撃を防げるほど丈夫であれば光秀を守ることができると、豊はまだ挨拶すらしていない灯真に心の中で感謝の言葉を送る。

(お前は本当に……)

 豊を守っている羽といい、周囲に展開し敵の行動を邪魔している羽といい、光秀は灯真が自身の魔法を上手くコントロールしていることを思い知らされる。同じ過ちは繰り返さない……彼のその言葉が嘘偽りではないのだと理解する。

「ユタさん、ホントに大丈夫なの!?」
「ああ。よくわからねぇが、俺の体にバリアみたいのが張られてる感じだ。あいつらにナイフをぶつけられてる感覚はあっても痛みは感じなかった。これなら、いくらでも耐えられる」
「バリアって……」

 豊の言っていることを正信はイマイチ理解できなかったが、とりあえず彼が無事であるのは間違いなさそうだとホッとしている。

「これも、光秀の目と同じなのか?」
「え?」
「あの石のライオンといい、まるで映画の世界みてぇだ」
「それは……」

 ここまで見てしまった以上、協会ネフロラから案内が届く可能性は高い。しかし光秀は、父親や友人に制約を与えることを躊躇い、口を堅く閉ざす。そうしていると、少し離れた位置で蛍司の起こした爆発音が再び響き、三人は揃って音がした方を向いた。何をしにここまで来たのか、光秀たちはその理由を改めて意識する。

「……言いたくなければいい。今は明希さんを助けるのが先だ。あの石のライオンがいてくれるうちに!」
「そうだぜ、ミツ。もう少しでトラックに近づける!」
「うん」

 踵を返し、三人は再び倉庫の奥へと急いだ。正信は再び光秀の手を持ち、体力不足の彼を引っ張っていく。石の獅子も彼らの後ろに続いた。敵の男たちは話し合う様子もなく豊を追走するものたちと、別のルートから彼らを追いかけるものたちに分かれる。指示を出す統率者がいるわけでもなく、男たちは最初からそう決めていたかのように一切迷う様子を見せない。



「連絡もらって急いで来たはいいが、こりゃ応援を連れてくるべきだったか?」

 一方その頃、入り口から倉庫内の様子を伺っている幸路は、拡張探知アンペクスドを使って敵と思われる男たちの人数、そして聖と戦う心一の姿を確認し苦笑いする。

「そうかもしれませんけど、助かりました」
「如月、状況報告。簡単でいい」
「犯人グループの数は21。うち1名は指名手配中の日之宮 心一容疑者。連れて行かれた稲葉さんの奥さんは、倉庫奥にあるトラックの荷台に収容されたとのこと。荷台には彼女の他にも10名。同じように眠らされていると思われます」
「OK。じゃあ……ん!?」

 蛍司の起こす爆発音とは別に、微かに奥の方から聞こえてくる低い音。トラックのエンジンが回り始めたことを意味するそれを幸路は聞き逃さなかった。トラックに接近している光秀たちには、よりハッキリと聞こえていた。
 明希を連れ去った男が荷台の扉を閉めバンバンと2回叩くと、トラックの前方に動き閉じたシャッター横にあるスイッチを押す。窓には全て暗幕がつけられ、天井の照明しか光源がない倉庫の中に、金属の擦れる音を鳴らしながら開くシャッターの隙間から外の眩しい光が差し込む。

「いけない!」

 シャッターの動きに気付いた聖が、コンテナの上を飛び移りながら一直線にトラックへと急ぐ。しかし、そんな彼の目の前に心一の鋭い蹴りが襲いかかる。

「おいおい、まだ勝負はついてないぜ!」
「くっ……心一……」

 体を逸らして心一の攻撃を避けた聖は、地面への着地を余儀なくされた。奇しくも、蛍司が戦っている場所に。

「聖さん!?」
「奥のシャッターが開き始めました。このままだと明希さんが」

 聖の言葉を聞いた蛍司は、敵と向かい合ったまま脚に魔力を集中させる。すると、前傾姿勢で構えていた彼の体は突然目の前の男たちではなく、斜め後ろのコンテナへと飛んでいく。しかし、その急な方向転換に反応した心一に足首を掴まれ、近くにあったコンテナに向かって強引に投げ飛ばされた。

「がはっ!」
「ちょっとは出来るようになったみたいだが、甘いんだよレニム鉱夫!」

 コンテナはぶつかったところが歪むだけにとどまらず、そのまま滑るようにして隣のコンテナに激突した。灯真が慌てて蛍司の体に羽を付け直していく。今の衝撃で、蛍司の体に纏わせていた羽が消滅したのだ。非戦闘要員である光秀たちを優先しているため、蛍司や聖に使っている羽の枚数は少なく、あまり強いダメージには耐えられない。
 蛍司のカバーに入りたい聖だったが、彼の前にはそれまで蛍司が戦っていた三人の大男たちが様子を伺っている。背中を見せたらやられる。聖はそう感じて身構えてしまう。

「あとちょっとなのに!」

 先行する光秀たちだったが、回り込んでくる男たちに阻まれ未だトラックに近づくことができない。幸路が操る石の獅子も彼らの道を作ろうと行動するが、一度に相手にできる数が限られている。

「俺があいつらを足止めする。二人は先に行け!」
「父さん、ダメだ!」
「まだこの変なバリアは残ってる。急げ!」

 体を触って自分の身を守ってくれた灯真の羽がまだあると確認すると、豊は立ち塞がる敵に向かって右肩を前に出して体当たりをする。豊が倒れながらも敵を突き飛ばして作った道を、正信は歯を食いしばりながら光秀を引いて先に進む。彼らの正面には、まるでこの戦場から日常へ戻るための出口のような外からの光が見えていた。

「マサ!?」
「ユタさんが言っただろ! 俺たちは俺たちの出来ることをやるんだ!」

 倉庫の天井付近からトラックまでのルートを映す光秀のレンズは、同時に彼らの後方で邪魔になる敵を押さえている豊や聖、心一と睨み合う蛍司、さらに後方で羽の操作に集中する灯真や、石の獅子に命令を出す幸路の姿も捉えている。

(今の僕にできるのは……)

 格闘術など嗜んでいない。灯真のような人を守る魔法は持ち合わせていない。今の自分にできることは明希のところまで辿り着くこと。光秀はそう自分に言い聞かせ、息を切らせながら先に進む。そして、コンテナの後ろにようやくトラックが見えてきた。いや、まだ

「まずい!」

 光秀は浮遊するレンズを通して、トラックが微速前進しているのを確認し声を上げる。正信の目にも、徐々に前に出てきているトラックのフロントバンパーが映った。光秀から手を離し、正信は速度を上げてトラックに接近する。動き出した車をどう止めるのか……到着するまでの数秒の間に考えなければならなかったが、正信にもそんな余裕はない。なんとかしてトラックに手をかけることだけが彼の頭の中にあった。

「ダメだ、マサ!」

 光秀のレンズが、トラックを飛び越えて正信に迫る人影を映した。後ろにいる敵や戦う豊たちにばかり意識がいって、トラックの影にいた男が見えていなかった。男は疾走する正信の姿を捉えているが、正信の目はトラックの運転席に集中しており、上から接近する敵の姿が視界に入っていない。光秀の静止を聞かず、正信は全速力でトラックに取り付こうとする。

「ガルルルッ!」

 心配する光秀の真後ろから猛スピードで接近する物体。唸り声と共に重く鈍い音をリズミカルに刻むそれは、コンテナの上に飛び乗るとそこから天井を凹ませるほどの膂力で大きく跳躍し、上から正信に狙いを定めて拳を振りかざす男に突撃する。それは幸路が新たに作ったもう一体の石の獅子だった。完全に意識の外だったのだろう。不意をつかれた男は、そのまま元いた場所のさらに奥、倉庫の壁に石の獅子と共に激突する。

「こんのぉ!」

 上から来ていた危機に気付かぬまま、トラックまであと数歩というところまで近づいた正信は右足で力強く地面を蹴って飛び上がる。呼吸を忘れるほど無我夢中で走った勢いのまま、右手を伸ばし加速が始まったばかりのトラックのフロントガラスを叩く。

「そこか」

 散布探知エトラスクで不自然に宙に浮く正信の姿を捉えた灯真が静かに呟く。それを聞いていたディーナの耳に、何かが擦れる甲高い音が届く。その異常な音を聞いたのは彼女だけではない。ディーナの近くにいた幸路や、倉庫の中央部分で戦いを繰り広げている聖や蛍司、そして心一もである。しかし、その正体がわかっているのは上空のレンズでその動きが見えている光秀と、トラックにしがみついている正信だけだった。
 
「タイヤが……空回りしてやがんのか……」

 手にナイフを持った小柄な男たちの首を両脇に抱える豊は、音と微かに漂ってくる焼けたゴムの匂いで、トラックのタイヤがコンクリートの地面を擦りながら回転し続けているのだと察した。運転席にいた男がどれだけアクセルを強く踏み込んでも、トラックは前に進まない。

「ど……どうなってんだ!?」
「こんなことができるのは……」

 正信は不自然な回転を続ける後輪とトラックの前方を交互に見るが、前進を妨げるものは何もない。しかし、妙な違和感を覚えた正信は目を細める。僅かに外の景色が歪んで見えた。
 光秀がレンズのモードを切り替えてトラックの前方に注視すると、そこに見えたのはトラックの前に作られている壁。灯真が外に待機させていた、犯人を逃さないために用意していた羽を重ねて作り上げたものだった。

「マサ! 今のうちに荷台の扉を!」

 そう叫びながらようやく追いついた光秀は、少し慌てた様子でトラックの横を通って荷台の方へ急ぐ。自分の手で荷台の側面に触れながら。ドアノブを何度も動かし運転席の扉が開けられないことを確認した正信は、悩みながらも取り付いた場所を離れて光秀の後を追う。

「開けてる最中にバックされたら!」
「そうされる前に、後ろに張り付くんだ!」
「ハァァ!?」

 その時、光秀には見えていて正信には見えていないものがあった。開いたシャッターから中に入り、光秀が触れたトラックの荷台部分に飛んできているものが。

「ここだ! 如月!」

 荷台の扉に手をかけた光秀のその言葉とほぼ同じタイミングで、後輪が空回りを止める。ミラー越しに二人の動きを見たドライバーが左手でシフトレバーを動かすと、トラックからガタンっと音が聞こえて微かに車体が揺れる。正信の背筋に冷たいものが走った。

「逃げろ、ミツ!」

 荷台の扉に体を貼り付けるようにしていた光秀を、正信は体当たりで倉庫の壁側に突き飛ばした。

(そういえば……異世界転生ものにこんなシーンよくあったよな……人を助けて自分が轢かれるやつ)

 正信の目に、自分に突き飛ばされた光秀がゆっくりと外側に転がっていくのが映る。

(まあ、いいよな。今度こそ助けられたし)

 このままバックで突っ込んでくるトラックに轢かれて自分は死ぬ。そんなことは容易に想像できた。しかし、なぜか正信の心は満足していた。光秀のために動くことができたのだと。
 姿勢を崩した正信が、地面に体をぶつける。不思議と打ったところに痛みを感じなかったがアクセルが踏まれて唸るエンジン音を聞き、体を丸めて目を閉じた。

「……マサ……何をやってるんだ?」
「へ?」

 正信は何も感じなかった。タイヤに擦られる痛みも、車体が乗ってくる重みも。それどころかゴムの焼ける匂いが正信の鼻をつき、耳にはタイヤが勢いよく回転する音が聞こえてくる。正信が音のする方を見てみると、トラックの後輪が先ほどとは逆回転で地面を擦っていた。

「エイァ サウクティアノ イクヒシウ(無駄な知識はない)……か」

 トラックを止めた羽を確認したとき、光秀のレンズはもう一つ捉えているものがあった。聖や幸路が使っていた拡張探知アンペクスドの膜である。それを見つけたとき、光秀は昔教えてもらった探知デクトネシオという技術について思い出した。そして灯真が教わっていたものが、最もメジャーな拡張探知アンペクスドではなく散布探知エトラスクという技術であることも。

 探知で位置を知ることができるのは魔力抵抗を持つものだけで、抵抗をもたない金属などで出来た物の位置はわからない。車や倉庫の壁、シャッターなどがそうだ。であるにも関わらず、灯真がトラックの目の前に正確に羽を展開出来たのは正信のおかげだった。
 灯真は散布探知エトラスクで確認することができたトラックのドライバーを目印にしていた。トラック自体の動きは分からずとも、その人が椅座位いざいのまま前進すればトラックが動いたことがわかるはずだと。そして実際にその動きを確認し羽の準備を始めたとき、偶然にも正信がフロントガラスを叩きトラックにしがみついた。車体の全貌がわかっていなかった灯真にとって、彼の体が最高の目印となったのだ。光秀はそのことに感づいてすぐに行動を起こした。自分の手で車体を触りながら動いたのも、荷台の扉に体をくっつけていたのも、全てはトラックの正確な位置を灯真に知らせるためであった。

 彼にとってそれは使うこともない不要な知識だった。とっくの昔に忘れたと思っていた。しかし、思い出と共に頭の片隅に残っていたのだろう。光秀は体を起こしながら懐かしい記憶に思わず頬が緩む。

バンッ

 トラックの荷台から聞こえた音が光秀を現実に引き戻した。音にビクッと体を震わせた正信は立ち上がり荷台を見上げると、口を開けたまま目を大きく見開いた。そこにいたのは、突進してきた石の獅子の首を砕く勢いで握る、明希を誘拐した男だった。
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