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第3章 帰らぬ善者が残したものは

13話 目指すもの 朝比奈 護

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「少し周りの雰囲気が変わってきた気がするのですが?」
『この先にある湖のせいだろう。もう少しで見えてくる』

 護たちがフォウセの里を出て2日が経過した。この森の主に会うため、彼らは今日も《ディルアーグナ・テスロフ(守護者の森)》と呼ばれているこの広大な森林の中央部を目指し進んでいる。里の周辺は畑の作物を育てるために剪定されていたので空が覗けたが、今進んでいる道は背の高い木々が空を覆い、足元はランタンをつけていなければならないほど暗い。護や灯真と共に向かっているのは、ジノリト、アーネス、そしてフェルディフの3名。

 里から主のいる場所まで徒歩で5日ほど。ジノリトからそう聞かされた護は、灯真にその距離を歩かせて大丈夫かと心配していた。ここでの生活の中で、彼の体力のなさはよくわかった。車のような便利な道具はない。活性ヴァナティシオを使えなら話は別だが、魔力の存在を知ったばかりの灯真にできるわけがなかった。灯真も自分には難しいかも知れないと感じたのだろう。下を向いたまま肩を窄めている。

『徒歩といっても、歩くのは我々ではない』
『そうだぜ、おっちゃん』

 話し合うジノリトと護の間に入ってきたフェルディフが親指で後ろを差すと、そこにいたのは体長10メートルほどある巨大な蜥蜴であった。

「ひっ!」

 灯真の頬をざらざらした何かが滑る。生温かいそれはぬるぬるした液体を纏っているようだった。灯真はどこから出たのかと思うほど甲高い声を出すと、その“何か“の方に向かって恐る恐る首を捻る。彼の目に入ってきたのは、フェルディフの後ろにいるのと同じ巨大な蜥蜴。子供1人くらいなら丸呑みできるんじゃないかと思える大きな口に舌が戻っていくのが見え、灯真は凍りつく。

『ノガルダっつって、この近くに住んでんだ。食べ物をあげる代わりに荷物を運ぶときなんかに手伝ってもらってんだよ』

 巨大蜥蜴は首を傾げ、匂いを嗅ぐような仕草を見せながら灯真のことをじっと見つめている。固まったまま動こうとしない灯真を横目に、護はフェルディフの後ろにいた個体にゆっくりと近づく。巨大蜥蜴は護のことを猫のような縦長の瞳孔で、幾度か瞬きをしながらじっと見つめている。警戒しているようだが襲いかかってくる気配はなく、護はそっと濃い青緑色の肌に手を置く。鱗を持たず、むしろ人に近い柔らかさと滑らかさ。4本の足には鋭い爪、頭には4本の短い角と少し垂れ気味の4つの耳……地球に存在しない生物なのは明らかだった。

(ノガルダって……こういう生き物だったのか……)

 《ノガルダ》は地球側で《ドラゴン》と略されているが、ジノリトの指から出ている《糸》がつながっているのに、護の頭の中でドラゴンとはならなかった。彼らの使う魔道具マイトは、言葉に対する認識に相違があると固有の言葉のまま聞こえるのだという。ジノリトらが灯真の住む世界を《ラウテ》と言った時に《地球》とにならなかったのも同じ原因であった。

 護はノガルダの肌を優しく撫でながらぐるりと一周する。太く長い尻尾の先を左右に揺らしているだけで、とても大人しい。

『この子たちに乗せて貰えば、体力のないトーマでも大丈夫』

 肩に彼女と同じくらい大きな荷物を担いで現れたアーネスは、ノガルダの頭を優しく撫でると担いでいた荷物をノガルダの背に静かに乗せる。どこからどう見ても、それは鞍。足を乗せる鐙金もついている。ただし、背の低いフォウセ用なのだろう。180センチ近くある護の体型に合わないのは見ればすぐにわかる。フォウセの大人の平均身長はおよそ140センチ。合わないのは仕方がなかった。

『心配せずとも、ちゃんとマモルの背丈に合わせたものも用意したわよ』

 アーネスの後ろから現れた1人の女性。アーネスらのようなシャツにパンツという動きやすさを重視した装いとは違い、ワンピース&エプロン姿で現れた彼女の名は、ラスカ・リューリン。ジノリトの妻、アーネスたちの母親である。優しい印象を受ける丸目のジノリトやアーネスとは違い、力強さが感じられるラスカの切れ長の目はフェルディフとよく似ていた。しかし、髪の色は子供2人には遺伝しなかったのだろう。杏色の子供らと違い茶色寄りの琥珀色。短く切り揃えているアーネスとは対照的に毛先が胸の位置まできている左寄せのワンサイドヘア。服装と相まってアーネスよりも女性らしく感じられる。
 
 取り付けられた鞍を見て眉間にシワを寄せる護の心情を先読みしていたかのように、ラスカが指した別のノガルダにはアーネスが取り付けたものとは大きさも鐙金の位置も違う鞍が取り付けられていた。

「用意してくださったんですか?」
『森を守る者、常に先を読んで行動しないといけないものよ』

 そう言ってラスカは笑顔でウインクしてみせた。護は気付いていた。この女性の意識が彼女の周囲に張りめぐらされていることに。彼女だけではない。この里で生活をして数日しか経たないが、フェルディフのような子供らを除いて誰1人として隙を見せない。おそらく、護が何か仕掛けようものなら里中の大人たちが止めようと動くだろう。
 ジノリトはこう言っていた。この里に住むものたちは皆、戦士である……と。

『ほらほら、トーマちゃんもいつまで硬くなってるの』

 灯真に近寄りラスカは彼の緊張をほぐそうと背中を摩る。だが、見つめ合っていたノガルダが肌を擦り付けてきたことで灯真はヒッと素っ頓狂な声を上げる。作業中の大人たちは一斉に声がした方に視線を動かすと、何が起きたのかを察し肩を揺らして哄笑した。




『もう少し行けば休憩場所がある。そこで少し休もう。ここから先はしばらく日差しが強い。水の補給も必要だ』

 立ち並ぶ背の高い針葉樹の隙間から強い光が護たちの目に届く。暗い道を進んでいたせいか、光の先に何があるのかよく見えない。護らが乗るノガルダたちが急に速度を上げる。ランダムに立ち並ぶ木々を器用に避けながら、光の中へ飛び込んでいくノガルダたち。長いトンネルから出た時のような眩しさに襲われ、護や灯真は目を腕で覆い隠す。

「すごい……」

 眩しさに耐えながらゆっくりと目を開いた灯真は、それ以上何も言葉が出なかった。ここまで歩いてきた森の中とは一変して、彼らの目の前に現れたのは広い平原と向こう岸が遥か遠くにある大きな湖。青い空と緩やかに流れる雲と合わさって先ほどとは別世界のように感じられる。

「森というから、こういう場所があるとは思いませんでした」
『この森の中でも数少ない水源だ。里の水もここのを利用している』
「え? ここまでかなりの距離があったと思いますが……」
『水路は地下なんだよ。地表に出ていると、ここに住む生き物たちの生活の邪魔になってしまうからね。かといって、全部を魔道具マイトで賄うのは難しい。使用限界が来てしまえば森の外まで調達にいかねばならない。自然にあるものを利用できるならそれが一番なんだよ。ほら、あそこが休憩場所だ』

 ジノリトが指した先には、湖の辺りに建てられた木造の小屋が見える。小屋の外には湖の中央に向かって伸びた船着場のような橋が伸びている。

「ギャウー!」

 それまで声を発しなかったノガルダたちが一斉に叫び出した。ジノリトやアーネスがそれを聞いて鞍に繋いであった槍を手にする。

「灯真君はそのままじっとしていて」

 灯真が聞こえてきた声の方に目をやると、自分たちがきた方向とは別の森の中を注視する護の姿があった。すでに乗っていたノガルダを降りており、向いている方向はノガルダたちと同じ。ジノリトたちが槍を構えると、次第に聞こえてくる葉や草の擦れる音。音は次第に大きくなっており、何かが近づいているのは灯真でもわかった。

『この子達が走り出したのはコレのせいね』
『来るぞ!』

 森の闇から飛び出してきたのは、美しいと感じさせる程の真紅の毛に覆われた5匹の狼。その滑らかな毛を靡かせながら、狼たちは速度を落とすことなく護たちに接近する。

「ジノリトさん、この子らは敵と見做してもいいですよね?」
『ダメだマモル! 素手では!』

 一番近くにいた護の体に向かって鋭い牙を見せる狼たち。先行する1匹に狙いをつけ、護が狼の首を掴もうと試みたその時。ジノリトの声が聞こえ、護はすぐに手を引き回し蹴りを狼の横っ腹にぶつけた。

「あっつ!」
『マモル!』

 護の足が狼の毛に触れた瞬間、狼の紅い毛が炎へと変わり護に襲いかかった。蹴り飛ばしたことで触れている時間が少なかったのが功を奏したが、護の靴やズボンの裾がうっすらと焦げている。
 ジノリトはすぐに乗っていたノガルダを走らせ護に近づく。ノガルダの長い尾の横薙ぎが空を切り、狼たちは当たらないよう距離をとった。

『大丈夫か?』
「ええ。まさか獣が魔法を使うなんて思ってませんでしたが」

 護が狼たちの接近にいち早く気付いていたのは、長年の経験で得た勘と拡張探知アンペクスドの膜を瞬時に広げたためである。攻撃を仕掛けた時も、他の狼の動きを警戒するために膜を何枚も広げていた。そして気付いた。蹴り飛ばした狼から出た炎が魔力を含んでいることに。化学反応によって起こった火ではこんなことにはならない。狼が魔法を使ったのだと、護はそう思っていた。

『何言ってるの、マモルさん。あれは魔法じゃないわ』
「魔法じゃ……ない?」

 アーネスが護に槍を彼からもう一本の槍を渡された。

『トーマ、しっかり捕まってるんだぞ。僕がしっかり守るから』
「う……うん」

 灯真を後ろに乗せていたフェルディフも、鞍に取り付けられていた槍を両手で構えた。普段とは違う彼の口調に戸惑いながらも、灯真は両手でしっかりとフェルディフの体にしがみついた。
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