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第3章 帰らぬ善者が残したものは

14話 狙い穿つもの 死弾(ザダ・テルブ)

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狼たちが使ったのは魔法ではない。アーネスのその言葉を気にしながらも、護はジノリトらと共に槍を構え狼たちの攻撃に備える。5匹の狼たちは互いの間隔を一定に保ちながら左右に行ったり来たりして護たちの様子を伺っている。

「あれもノガルダと同じ、この森に住んでいる生き物で?」
『違う。あれはデル・ロフゥ朱狼という、この森の外の生き物だ。滅多に入ってくることはないが、時折別の種族が飼い慣らして狩りに使っている』
「狩り……ですか……」
『この森にある植物やノガルダたちを狙ってな。あの子らはセルキール大陸のこの森にしか生息していない。それに角は高値で取引されていると聞いている』
「角が?」
『話は後で!』

 アーネスが声を張りながら左右に分かれた狼たちを目で追う。どちらが先に仕掛けてくるか、正確に見極める必要があった。そんな彼女の心配を余所に、護は1人で右側を走る2匹を追いかけていく。

「私はこっちを。ジノリトさんたちは左を頼みます」
『わかった!』

 デル・ロフゥ朱狼の攻撃の正体もわかっていないのに、彼1人に2匹も任せていいのか。そんな考えがアーネスの集中力を鈍らせる。対してジノリトは、彼のことなど一切気にせず任された方の狼たちを注視していた。

——彼は命の奪い方を知るものだ。

 ジノリトは護のことをそう表現していたが、アーネスはそれを彼が狩人のようなものだと思っていた。

 狩りは自分に有利な状況で獲物を仕留めるもの。戦闘とは違い、相手は狙われていることに気づいていない。むしろ気づかれたらその時点で狩りとしては失敗といえる。今の状況はまさにそれだ。

 そんな風に思われているとは気づかぬまま、護は狼たちとの距離を詰める。いつの間にか彼の左目は赤く変色し、瞳孔には白い十字が浮かんでいる。その目が見ているのは、鋭い牙を見せつけながら駆ける狼の後ろ姿ではない。狼が激しく動かす前足の付け根よりわずかに後ろ、肋骨に囲まれた部分へとつながる真っ赤な太い線である。

「もうさっきのは受けないよ!」

 活性ヴァナティシオにより強化された脚力で速度を上げると、護は一気に狼たちの前へと回り込む。警戒を続けていたフェルディフは、迷いも無駄も一切感じさせない彼の動きに目を奪われる。

ガニズァムすごい……』

 護は持っていた槍を線のつながった狼に向かって一直線に投げつける。突然目の前に現れた護に、狼たちは反応しきれなかったのだろう。口の中へと吸い込まれるように、彼の投げた槍は片方の狼の体に入っていった。喉の奥を貫かれた狼の体中の毛から薄らと炎が生まれたが、体を地面に委ねると共にそれは姿を消した。

 ジノリトはいつ襲われてもおかしくないこの状況下で突然、安堵の息を漏らす。自分の判断は間違っていなかったと。
 
 話し合いの場で平静を装ってはいたが、あの時ジノリトは一瞬だけ背筋を這い上がってくる悍ましいものを感じた。これまで森に迷い込んだ大型の獣や森の資源を奪いにやってきた他種族など、多くの敵と戦ってきた彼が初めて体験したそれは、彼から未来のことを考える力と体の自由を奪った。代わりに頭に浮かんだのは大事な家族の姿、特に妻のラスカとの思い出。本当に一瞬ではあったが、それが命を失う恐怖というものだと理解するのに時間は要らなかった。
 走り出す狼達を瞬時に追いかけた反射神経、前に出るために脚力を強化した魔力操作、ブレることなく相手の心臓を槍で貫いた投擲力、そして毛に覆われた胴体ではなく口の中から狙った判断力……どれをとっても戦士として優秀であることは間違いない。だが、あの時ジノリトに恐怖を与えたのは彼の目。今のように魔法を使われていなくともわかったのだ。敵意を感じさせず灯真のことを気にしていたあの優しい目が、ジノリトの心臓や目、手足の関節や太い血管を狙っていたことに。命の奪い方を知るもの……自分の娘にそう言ったのは例え話ではなかった。


*******


「なぁ、トモキ。あれって本当なのか?」

 ナイフの刃を何度も傾け刀身の状態を確認するサイードは、椅子に腰掛けて口にした飲み物に不満げな顔を見せるトモキに問いかける。

「急に声をかけてきたと思えば、何のことですか?」
死弾ザダ・テルブが、どんなターゲットでも撃ち殺すって話だよ」
「ええ。最も、撃ち殺すというのは間違っていますが」

 コップをテーブルに置くと、トモキは背もたれに体を預け天井を眺める。

「どういうことだよ?」
死弾ザダ・テルブに物を持たせてはいけない。当時、彼を追っていた捜査官たちに対して法執行機関キュージスト上層部はそう指示を出しました」
「わけわかんねぇけど」
「そうでしょうね。私も最初はそうでした」
「で、どういうことだったんだ?」
「せっかちはよくありませんよ、サイード君」
「うるっせぇな。さっさと教えろ」

 サイードの持っていたナイフの先端と、彼の強い視線がトモキに向けられる。肩を竦めながらも、どこか楽しいそうな笑みを口元に浮かべながらトモキは話を続ける。

死弾ザダ・テルブの使う魔法のことは、サイード君もご存知ですよね?」
「当たり前だ。エウスプル イーエ追い求める瞳……狙ってる奴の体やそいつが残したものに触れると、相手の居場所を示す赤い線が見えるってやつだろ?」
「その通りです。では、その赤い線はどこに繋がっていると思います?」
「どこに!?」

 トモキに向けられたナイフの先端が、サイードの目線と共にゆっくりと下がっていく。 

「まだ彼の魔法の正体がわかっていなかった時、唯一遭遇出来た捜査員が変色した左目を目撃したことで、彼の魔法が目に関する物だと考えられました。そして、その情報と犯行手段を元に法執行機関キュージスト上層部はある推測を立てました。彼には相手の急所が見えているのではないか……とね」
「見えたって当てられなかったら意味がねぇ」
「その通りです。現場の捜査員達も同じ意見でした。彼を逮捕後その魔法の詳細が明らかになり、そこで初めて上の出した推測が正しかったとわかったわけですが、彼は自分の魔法の特性を理解し銃にナイフ、道ばたの石ころですら一撃必殺の凶器としました。自分が放った物を相手の急所に当てる魔法なのではと疑われるほどにね」
「ないんだろ、そんな力は……」

 トモキが何も言わず笑みを浮かべると、サイードは身震いする。

「彼はターゲットに選んだ者を一度も逃したことはありません。それ故につけられた名が死弾ザダ・テルブ。しかし、彼は目視できる距離で魔法を使うことはありませんでした。捜査員が彼の魔法を目撃できたのも、長距離から狙撃した際にたまたま近くを通ったからです」
「じゃあ、魔法を使わなくても奴は……」
「きっと、何度も人を殺めてきた経験の賜物なんでしょうね。本当に素晴らしい男ですよ、彼は。是非とも手合わせ願いたいものです」

 そういってトモキは、さっきまで不味そうに飲んでいたコップの中身を一気に飲み干す。そして目を瞑り不気味な笑みを浮かべながら妄想に耽っているその姿は、サイードから見ても気色悪いものだった。

 仕事の種類はどうであれ、人としても魔法使いとしても自分より高みにいる相手だとサイードは改めて実感する。今も止まらぬ震えは恐怖によるものなのか、それとも強い相手と戦うことに興奮しているのか、サイード自身もよくわかっていない。ただ一つだけ……トモキと同じように「彼に会いたい」と、そう思っていることだけは確かだった。

******


 口から血を流し横たわる仲間の姿を見て、狼たちは理解したのだろう。護が自分たちよりも遥か上の存在であると。ジノリトたちの首を食いちぎらんという気迫を見せていた狼たちは再び走り出す。護から逃げるように森の中へと。

『追います!』
『頼んだぞ、アーネス』

 槍を地面に突き刺し、アーネスは森の中へ入っていく。その後ろには、いつの間にか護が1メートルほど距離を開けて付いてきていた。

「私も行きます!」
『お好きにどうぞ!』

 護の赤い目は未だ赤い線を捉えている。それは先ほど仕留めた狼のものではなく、逃げていった狼の足跡に触れたことで見えた、別の個体へと繋がるもの。

(どうやって追うつもりなんだ?)

 アーネスが拡張探知アンペクスドを使った様子はない。もしそうなら、護の出した魔力の膜と干渉し合っているはずである。しかし、その様子もなく彼女は赤い線が続く方向へブレることなく進んでいく。そしてもう一つ護が気になったのは、自身の拡張探知アンペクスドで捉えた彼女の像が妙にぼやけていること。

(ここは付いていくので正解だよね、茉陽さん)

 彼が追いかけた理由はただ1つ。彼女の力が気になっているからでも、彼女が狼たちに返り討ちに会うことを心配しているからでもない。妻から度々「女性を1人にしない」と指導を受けていた彼の、条件反射のようなものだった。付いてこられているアーネスの方はといえば、自分の力を甘く見られて心配されているのではないかと感じて額に深い縦皺を寄せている。

『スフルヤウォ(急ぐわよ)!』
「デコー(わかった)」

 ジノリトから離れたことで、言葉の翻訳のために使っていた魔法が解けている。しかし、間を置くことなく自然と返ってきた言葉にアーネスは魔道具マイトを使用する必要はないと判断し速度を上げることに専念する。森の中は暗く、先を行く狼たちの姿は目視できない。少しでも離れればアーネスの姿を見失ってしまいそうだと感じ、護も彼女に合わせて脚に送る魔力を増やしていった。



「逃げたのに、追うの?」
『あいつらに指示を出した奴を見つけないといけないからさ。ここで取り逃がせば、他のところで被害が出るからね』
「そうなんだ……」

 灯真の聞き間違いではない。フェルディフの口調は、里にいた頃とは明らかに違う。丁寧というのが一番的確な表現かもしれない。警戒を解かず周囲の様子を伺う姿も、畑で栽培していた食材をこっそり拝借して灯真にわけてくれたいたずらっ子とは思えないほどしっかりしている。

「フェルディフ……あのさ……」
『ん?』
「なんか……話し方が……さ……その……」
『ああ、それのことか』

 灯真が気にしていることを察したフェルディフは、自分の胸に手を当て着ている服に目を向ける。

『この服を着て外に出たら、僕もこの森を守る戦士の1人。子供のままじゃいられない。だから、色々気をつけるようにしているんだ。で、他の大人たちを見習っていたら、いつの間にかこの服を着た時だけこうなるようになっていて……姉さんも驚いてる』
「すっ……すごいね……」
『普段からそうならいいのにって呆れられたけどね』
『日頃の行いのせいだろう』
『そっ、そんなことねぇし』

 話し声が耳に届いたのか、離れた位置にいたジノリトから突っ込まれフェルデュフは口を尖らせる。

(いつものフェルディフだ)

 フェルディフが違う人のように思えて緊張が消えなかった灯真だったが、父親とのやり取りで見えたいつもの彼の姿に安らいだのか、口元に微かな笑みを浮かべていた。
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