🐱山猫ヨル先生の妖(あやかし)薬学医術之覚書~外伝は椿と半妖の初恋

蟻の背中

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山猫ヨルの妖(あやかし)診療所-ご案内

暮れ紛れの訪問者

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「よし、できた」

 ヨルは白衣、ではなく白い割烹着から袖を抜き、重箱に入ったそれを満足そうに眺めた。

「ん? 何か物足りなくないですか?」

「ああ、そうだった。ぼん、悪いけど……」

「わかった! 南天の実が足りないのか、彩りに」

 梵天ぼんてんは細長いからだをくねらせ台所の小窓から庭へと出ていった。

「採ってきてもらえる? 赤い色の……」

 ヨルはそばにいた白い毛むくじゃらの妖に言ったつもりだったが、彼はいつのまにか消え、誰もいない所へ言葉を投げていた。

 顔はカワウソ身体はイタチの梵天は、口に南天の小枝を咥え、あっという間に戻ってくると食卓テーブルの天板へするりと上がった。

「ありがとう、これは梵の分」

 ヨルは10cm四方の小さな重箱を、後ろ足で直立する梵天の前へ置いた。

 梵天は、大きな丸い目をキラっと輝かせクンクンと蓋の上から匂いを確かめる。

 ヨルが南天の実を置き、重の蓋をかぶせると、ふいに二人の間を冷たい風が通り抜けた。

 台所の小窓は梵天が閉めている。風が入る窓や隙間はこの部屋にはない。

 これは、ひとつの合図のようなものである。

 梵天はヨルを見上げ神妙な面持ちで言う。

「いらっしゃいました」

「いつも時間厳守だな」

 ヨルは台所の壁にある振り子時計をちらりと見て、表情を緩める。

 それはちょうど午後の五時を示す。

 ヨルがもう墨色に沈んだ庭へと出ていくと、瓢箪池の側にある大きな鎮岩しずめいわの上に訪問者の影があった。

 冬の夜に溶け込みヨルを待っていたのは、黒い大ミミズク。

 ミミズクは岩の上で背中を丸め佇んでいたが、ヨルが駆け寄って来るのを見ると慌てて飛び立とうとした。

 ヨルは瓢箪池の飛び石をふたつみっつ踏んで駆け寄ると、羽を広げ舞い上がろうとした彼の足を捕らえた。

 本気になれば山猫の敏捷性は、なかなかのもので、

「ちょっ、ちょっ!!」

 ヨルはそのからだを自分の胸に抱き寄せ、その羽毛に顔を埋めた。

「離せよ、このバカ猫がっ!!」

新月さくのふわふわだぁ、久しぶりのふわふわだねぇ、会いたかった! 」

「やめろ、離れろ、この変態っ! 」

 変態、という言葉に我に返ったのか、ヨルは新月を抱く手を緩めた。

 新月はヨルの手から離れ、あらためて鎮岩の上に降り立ち、バサッバサッと両翼を羽ばたかせる。
 そして、黄金色の真ん丸い目をパチクリさせた。

「まったくいいかげんにしろ」

 新月はボッと羽毛を膨らませ、ホウッと低い声で鳴いた。

「もう新しい助手を募集しているのか? 」

新月は玄関の横に貼られた紙を見た。

「梵だけじゃ、まったく手足が足りないんだ」

 大ミミズクはジロっとヨルを見る。

「薄情な奴」

 新月が言うと、ヨルは不満そうに口を尖らせ、ついっと彼から目をそらした。

「お待たせしましたぁ」

 梵天が濃紺色の風呂敷に包んだ重箱を持ってきて新月の前に差し出した。

「ソルが、どうしてヨルは帰ってこない、と、ずっと騒いでいる、煩わしくてしょうがない」

 ヨルは踏んできた池の飛び石を、静かに戻り始める。

「いつ帰る? 」

「気になる患者さんがいるから暫くは帰れないと思う」

 ヨルは池の縁にしゃがみ月の映る水面へ小石を投げた。
 池の月がグニャリと割れさざなみが起きるがやがてまた静かに凪ぐ。

「あ、これはソルさんの好きな栗きんとんです。と、お薬がひと月分」

 重い沈黙に耐えられなくなったのか梵天が、風呂敷包みを自分のやや平たい頭の上に乗せ言った。

山梔子やまくちなしで染めた餡がとても綺麗なんです。きっとソルさんも喜ぶと思います」

「正月に作れなかったから……」

 ヨルがまたひとつ小石を投げた。波紋が消えるまで再び沈黙が訪れる。

「ええと、それから大きな栗を沢山入れました。栗って皮と甘皮を剥くのがとても大変なんですけど、僕も手伝ったんです、ソルさんに伝えて下さいね」

「面倒だ。大きな栗が沢山入っている、梵が栗を剥いた大変だった、どっちを伝える?」

「出来れば後の方を」

 梵天は左右の口角を上げ苦く微笑む。

丸薬がんやくは毎日三回、ちゃんと飲むようにと」

「ホゥ」

 新月はミミズクらしい鳴き声で答える。

「飲ませてよ、しっかり」

「ホゥホー。そういえば知っているか? 」

「知らないよ」

 ぽとん、と、ヨルがまた小石を投げた。再び水面が揺らぐ。

「……」

新月は池の縁にしゃがむヨルを凝視する。

「なんでしょうか?」

 梵天がヨルの代わりに答える。

「地獄で大きな事故が起きたらしい。事故のどさくさに紛れて極悪人どもが大量に脱獄したそうだ。獄卒どもが特別に捕吏隊ほりたいを作って追いかけているという噂だ」

「なんと。地獄から囚人が逃げていると? 」

 梵天は思わず長い尻尾の先をぎゅっと握った。

「そのうち負傷した捕史の鬼らがやってくるかもな。ホゥ」

 新月はミミズクのように鳴いてから羽を広げるとバサッと羽ばたいた。
 そして梵天の持つ風呂敷袋を鋭い爪でがっちり掴むとそのまま高く舞い上がっていく。

「あ、よろしくお願いします」

 梵天は手を降って新月を見送る。

 ヨルはズボンのポケットへ両手を差し込み新月が見えなくなっても、そのまま夜空を見上げていた。



 ☆☆☆
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