4 / 51
再会と初雪
視線
しおりを挟む平日の午前八時過ぎ、新宿駅は駅としての機能を完全に失っていた。
つい三十分前に起きた近隣駅での架線故障のためだ。
通勤通学時間帯に重なった事故は、新宿駅だけではなく、首都圏各駅に多大な混乱を招いた。
電光掲示板には遅延の文字が並び、人々は行き場を奪われ見ず知らずの他人と密着しあい、ひたすら待たされている。
改札、階段、ホーム上、電車内、どこを見ても人で埋め尽くされ、文字通り足の踏み場もない。
彼女もまた電車の中に閉じ込められていた。
乗っていた電車が急停止してからだいぶ時間が経っている。
あと数百メートルで新宿駅というところで。
「ああ、ええ、只今、代々木駅付近で起きました、ああ、架線からの発煙をともなう火災が発生いたしました関係で……お急ぎのところ……」
アナウンスを聞いた乗客たちは、静かにため息をつく。
早々に諦めた者が携帯で連絡を取り始めていた。
彼女は扉に押し付けられながら外を見ていた。四方を他人に囲まれていないだけまだましだった。高校生なら電車の遅延などどうってことはない。
むしろ一時限目は彼女の嫌いな体育の授業だったから、それがなくなるのなら多少の窮屈は我慢してもいいと思えた。
ひとつ線路を挟んだその向こう側でも、停車している電車があり、その中も乗客はすし詰め状態で放置されている。
こちらの状況とさして変わらない。
その隣合う電車の中の人とふいに目があった。黒いパーカーを着てフードを目深にかぶっている若い人物。
彼は彼女と同じように扉に張り付けられている。
彼の視線が彼女から頭上へと移った。
彼女もつられるように電車と電車との間から見える空を見上げた。
架線に何かが絡まっていた。
はじめ、破けたゴミ袋か何かだと思った。
それが風で揺れているのだろうと。
けれど、よく見るとそれは生き物のように、架線に絡みながら移動していた。
まるで、蛇かトカゲのように。
細い胴体から短い突起が幾つも突き出ている。その突起が順序良く架線を掴み進む。背中には魚の背ビレのような、破れた蝶の羽のような、そんなものが付いていて、前進する度、旗のように気味悪く動く。
ああ、またあれか。
彼女はそれが架線の途中で消えてしまうまで、なんとなく目で追っていた。
架線から赤い火花が飛び散ったかと思ったらそれは消えていた。
いなくなった、彼女にはそれがわかった。
架線から目を離し外を見ると、また隣り合う電車の中の彼と視線が合った。
「あれを見た?」
「あれが見える?」
彼と彼女はおそらくお互いほとんど同時に、そういう問を視線だけで投げ合っていた。
「間もなく電車が動きます……」
彼女の方の電車が先に動いた。
二人の間の距離が遠ざかる。
「まさか、な」
「まさか、ね」
またほぼ同時に思った。
彼も彼女もお互いが見えなくなるまで視線を外すことはなかった。
しかし結局はそのまま離れていくしかない。
彼はいつもより2時間遅れて自分のアパートへ戻った。
古く錆び付いた外の階段を静かに上がる。
ドアノブの鍵穴に鍵を差し込んで、軽い手応えに小さくため息を吐く。
「ただいま」
部屋の奥からテレビの音が漏れ聞こえる。
昼の情報番組だろう。
「また鍵開けっ放し、危ないだろ」
狭い玄関のたたきには、ヒールやスニーカーが何足も転がり重なりあっていた。
彼は靴を揃え直すと、空いたスペースへ自分のスニーカーを脱ぎ部屋へ入った。
入ってすぐ脇にあるシンクには使用済みのグラスや食器がそのまま放ってある。
彼はガス台にのっている片手鍋の蓋を上げ中を覗いた。
なかにはすっかり汁を吸い上げブヨブヨに伸びきったインスタントラーメンが入っていた。
彼は鍋をどかし、ヤカンを置くとガスの火を点けた。
音もなく燃える青い炎を見て、ふと今朝のことを思い出す。
「あれ」が消えるときに残した赤い光と火の粉、それを一緒に見ていただろう女子高校生の顔を。
そこで彼は急に胸の苦しさに襲われた。
暑いのか寒いのかわからない、自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。
悪寒とともに、急激な吐き気がこみ上げてきて、急いでトイレへ駆け込み便器へ顔を近づける、が吐き気はあっても何も出てこない。
思えば昨夜口にしたのは缶入りのコーンスープだけ。
結局、胃酸が食道を通りすぎただけに終わる。
落ち着いたかと思ったら、今度は両手が勝手に震えだして止まらなくなった。トイレから這い出て着ているパーカーのポケットから錠剤を探り当てると、それを口に入れ捻った蛇口から落ちる水で流し込む。
苦痛の波が去るのをシンクの縁につかまりじっと待った。
「帰ったの?」
ふいに背中から抱き付かれて、彼は息を整えるよう大きく息を吸った。
「うん」
「随分遅かったじゃない?」
着ているTシャツが大きく細い右肩が露になっている。
「電車が止まってた」
「ふうん、そうなんだ」
「ニュースでやってなかった?」
「知らない、今起きたから」
「また飲んでた? 仕事は休み?」
リビングの華奢な折り畳みテーブルの上にはアルミ缶が何本か立っていて、カーペットの上にも何本か転がっていた。
「もういい、あんなとこ」
「また辞めた?」
☆☆☆
0
あなたにおすすめの小説
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
迦国あやかし後宮譚
シアノ
キャラ文芸
旧題 「茉莉花の蕾は後宮で花開く 〜妃に選ばれた理由なんて私が一番知りたい〜 」
第13回恋愛大賞編集部賞受賞作
タイトルを変更し、「迦国あやかし後宮譚」として5巻まで刊行。大団円で完結となりました。
コミカライズもアルファノルンコミックスより全3巻発売中です!
妾腹の生まれのため義母から疎まれ、厳しい生活を強いられている莉珠。なんとかこの状況から抜け出したいと考えた彼女は、後宮の宮女になろうと決意をし、家を出る。だが宮女試験の場で、謎の美丈夫から「見つけた」と詰め寄られたかと思ったら、そのまま宮女を飛び越して、皇帝の妃に選ばれてしまった! わけもわからぬままに煌びやかな後宮で暮らすことになった莉珠。しかも後宮には妖たちが驚くほどたくさんいて……!?
翡翠の歌姫と2人の王子〜エスカレートする中傷と罠が孤児の少女を襲う【中華×サスペンス×切ない恋】
雪城 冴 (ゆきしろ さえ)
キャラ文芸
次は一体何が起きるの!? 孤児の少女はエスカレートする誹謗中傷や妨害に耐えられるのか?
約束の記憶を失った翠蓮(スイレン)は、歌だけを頼りに宮廷歌姫のオーディションへ挑む。
しかしその才能は早くも権力の目に留まり、後宮の派閥争いにまで発展する。
一方、真逆なタイプの2人の王子・蒼瑛と炎辰は、熾烈な皇位争いを繰り広げる。その中心にはいつも翠蓮がいた。
彼に対する気持ちは、尊敬? 憧れ? それとも――忘れてしまった " あの約束 " なのか。
すれ違いながら惹かれ合う二人。はらはらドキドキの【中華×サスペンス×切ない恋】
白苑後宮の薬膳女官
絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。
ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。
薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。
静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。
月華後宮伝
織部ソマリ
キャラ文芸
★10/30よりコミカライズが始まりました!どうぞよろしくお願いします!
◆神託により後宮に入ることになった『跳ねっ返りの薬草姫』と呼ばれている凛花。冷徹で女嫌いとの噂がある皇帝・紫曄の妃となるのは気が進まないが、ある目的のために月華宮へ行くと心に決めていた。凛花の秘めた目的とは、皇帝の寵を得ることではなく『虎に変化してしまう』という特殊すぎる体質の秘密を解き明かすこと! だが後宮入り早々、凛花は紫曄に秘密を知られてしまう。しかし同じく秘密を抱えている紫曄は、凛花に「抱き枕になれ」と予想外なことを言い出して――?
◆第14回恋愛小説大賞【中華後宮ラブ賞】受賞。ありがとうございます!
◆旧題:月華宮の虎猫の妃は眠れぬ皇帝の膝の上 ~不本意ながらモフモフ抱き枕を拝命いたします~
香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く
液体猫(299)
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/
香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。
ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……
その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。
香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。
彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。
テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。
後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。
シリアス成分が少し多めとなっています。
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる