🐱山猫ヨル先生の妖(あやかし)薬学医術之覚書~外伝は椿と半妖の初恋

蟻の背中

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再会と初雪

悪夢

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 耳を割るような大きな音だった。

 今まで聞いたことも体験したこともないとてつもなく大きな衝撃。

 気づいたときには「鈴の家」の自分たちの小さな部屋は、ほとんど無くなっていた。

 ちょうどすっぱり切り取られたかのように、その半分が消えていた。

 いや、瓦礫の山に変わっていた。

 実央のいた二段ベッド周りには「鈴の家」を構成していただろうものの、残骸と壁だけがあり、天井はすでにない。

 実央のからだは幸い崩れた二段ベッドの、一段目と二段目の間にいてほとんど無傷だった。

「つーちゃん」

 実央は今までそこにいた椿を探した。

「つーちゃん?」

 小さな実央の声は雨の音に掻き消される。

 そのうち、背後とベッドの下が熱くなり始めた。

 焦げ臭い煙が実央の周りの空気を奪い取っていく。

 どこかで火災が起こり、火の手はすぐそこまで迫っていた。

 実央は無傷ではあったが四方をベッドの枠に囲まれた、高さ20cm程の僅かな空間に閉じ込められている状態である。

「助けて……」

 煙にまかれて息をするのも苦しい。

「これはまたむごい」

 近くで人の声がした。
 今まで聞いたことのない声だった。

「捨てておきましょう。施せばかえって厄介なことになります」

「たすけて……」

 実央は声の方へ助けを求めた。

 煙のせいで目は痛み涙が溢れる。

 何も見えず、声のする方へ手を伸ばすのが精一杯だった。

「そちらはもう手遅れでしょう」

「たすけ……」

 手探りで伸ばした手に何かが触れた。

虎玉こそんを?」

「暫く」

 掠れた太い声だった。

「人のいっときなど」

 誰かの手が実央の手を握った。

 それは大きくて温かな優しい手だった。

「駄目ですよ! 触っては……、ダメなのに」

「おかあさん……」

 実央は母の手の温もりを思い出していた。

「せめて苦しまないように」

 落ち着いた優しい声にほっと安堵する。


 ふいに苦しさが消えた。

 綺麗で冷たい空気が喉をすぎ肺を満たしていく。

 肌を削られるようなあの激痛を、もうまったく感じない。

「つーちゃん……」

 見えなかった視界が開けてくる。


 けれどすぐ、残酷な現実が何の準備もないままの実央の視界へと入ってしまう。



 椿の長い髪、力なく放り出された白い腕。

 天を見上げる空虚な瞳。

 とても生きているようには見えない。

 椿の横に黒いカッパを着た背の高い者が立っている。

 ……者? 
 けれど実央にはそれが人には思えなかった。

 見かけは人のようであるけれど、 人とは何かが、どこかが完全に違っている。


 ああ、あいつだ。

 あいつがこんなことをしたんだ。

 つーちゃんを殺した。

 僕にもひどいことをした。

 全部、あいつがやったんだ。



 どこからか緊急車両のサイレンの音が近づいてくる。

 ああ、助けが来た。
 良かった、もう大丈夫だ。

 もしかしたらつーちゃんも助かるかもしれない。

 急いで来て、早く走って、つーちゃんを助けて。

 そう叫ぼうとするが、何故か喉がしまって声が出ない。

 ここにいる、僕たちはここにいます!
 助けて下さい!

 叫ぼうとするが、やはり声が出ない。


 ふいに誰かに手首を掴まれた。

 実央は飛び上がり震え、その手を懸命に外そうとする。

 血に濡れた手は彼の腕を強く掴み決して離さない。


 手の先を恐る恐る見ると、

 強い眼光で自分を睨む血だらけの幼い少女の顔があった。

「うわぁっ!!」


 自らの声に驚いて、実央は飛び起きた。

 激しい動悸にからだが上下する。
 額から流れた汗が顎を伝い布団に落ちた。

 携帯の目覚ましが一定のリズムで鳴っている。

 くそっ、と実央は手で顔を覆う。

 息を深く吸いこみ呼吸を整える。


 またこの悪夢だ。

 この悪夢から逃れる方法は、起きているか、または夢を見ないくらい深く眠るか、あるいは強制的に脳をシャットダウンさせるか、それしかない。


 虚ろな視線は焦点をとらえず、暫く宙をさ迷っていた。

 やがて実央は手を伸ばし畳の上にあった携帯を手に取るとアラームを止めた。

 バイトに行かなければならなかった。

 棒のような足で重いからだを引きずりやっと運ぶ。

 そうやって浴室までようやくたどり着く。

 ほんの数歩の距離がとてつもなく遠く感じた。


 熱いシャワーを浴びると、覚めない悪夢から少し遠ざかり、自分は今、現実を生きているのだと感じられた。


 あの日のあの事故から、すべては始まっている気がする。


 長い長い終わらない悪夢。

 実央が他の人には見えないものを見るようになったのはあの「鈴の家」の火災事故からだ。

 あの日から、恐怖と後悔は対になって実央から離れることはない。

 嫌なものを見る恐怖、椿を殺したのは自分だという罪悪感。



 それが、実央の精神を今も壊し続けていた。


 ☆☆☆
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