🐱山猫ヨル先生の妖(あやかし)薬学医術之覚書~外伝は椿と半妖の初恋

蟻の背中

文字の大きさ
15 / 51
再会と初雪

天蟲(あまむし)

しおりを挟む

 ヨルは、診察室にあつらえてある黒革のソファに埋もれ、ぼんやり庭を眺めている椿を、同じようにぼんやりと眺めていた。

 ヨルと椿は同じソファの左端と右端に離れて座っている。

 ヨルは芳ばしく香るコーヒーの湯気を心地よく吸い込んで、少しずつ用心しながら啜る。

 熱いうちが美味しいのは知っているのだが、猫舌ゆえにそこはある程度冷まさないといけない。

 時間がゆったりと過ぎていく。

「なにかありましたか?」

 西陽が金色の光を射し込んできた頃、ヨルがようやく声をかけた。

「ヨルせんせ、今日、とても不思議な人を見たの」

「不思議なものならいつもずっと見ているじゃないか」

 椿は持っていただけの参考書を脇に置いて、ヨルの白玉のようなつるんと艶めく顔を見た。

「モノじゃなくて、人なんだけど」

「おや」

 ヨルも開いていた『怪薬学医術之覚書』を静かに閉じ膝の上へ置くと、椿の血色の良い顔に目を向ける。

「私と同じ目を持った人」

 ヨルは一度頷き、彼女の次の言葉を待った。

「あ、でも、ちゃんと聞いたわけじゃなくて、多分そうかなぁって」

 ヨルは再びコクりと頷く。

「どうしたらいい?」

 椿の黒い瞳がすがるようにヨルを見る。

「どうしたらいいのか……と?」

 うん、と今度は椿が頷く。

「もし、そうなら、私と同じものが見える人なら、たくさん話したいことがあるんだけど、そうじゃなければ変なヤツだって思われるだろうし」

 ヨルがつり上がった目を細くして、ふふっと笑った。

「椿さんらしくないですね、僕にはなんの躊躇もなく話してきたのに」

「そ、そのときはとても子供だったから」

 椿は口をすぼめ恥ずかしそうに下を向いた。

 ヨルと椿が出会ってからもう10年以上は経っただろうか……



 椿は今習ったばかりの、ゲール作曲「蝶々」の旋律を口ずさみながら母の迎えを待っていた。
 今日、秋の発表会用の曲だと、ピアノの先生が新しい楽譜を渡してくれ、お手本に聞かせてくれたのだ。
 椿はたった一度聞いただけのその曲をもう覚えてしまっていた。

 レッスン中に降っていた雨がすっかりやんでいる。梅雨時のうっとおしい重い雲が、今は少しだけ切れ、その切れ間から日が射していた。

 切れ間から覗いた日の光が、濡れた世界を金色に輝かせている。

 椿はその儚く美しい輝きを手の中へ閉じ込めようと、足元にあった水溜まりの中へ手を差し入れ遊んでいた。

 有名な音大を出た先生が教えている教室は、住宅街の中にある白い洋風の戸建てである。

 椿の家から歩いて10分程度の距離だが、母親は車での送迎を好んでいた。

 いつもなら椿がピアノ教室から出てくる時間には到着して待っているのだが、今日は珍しいことに母親はまだ来ていないようだ。

 椿は向かいの家の玄関から、白衣を着た背の高い男が出てきたのに気付く。

 右手には長い木の棒と、左手には銀色のバケツを持っている。

 男が出てきた家は三角屋根から煙突か伸びる古い左右対称の洋館で、煉瓦を積んだ外壁には蔦が絡まり怪しい雰囲気である。

 壁の側を槍のような鉄柵がぐるりと囲み、門は鉄のアーチと植物装飾が美しく見事なものだった。

 そんな外観はどこか人を寄せ付けないような荘厳さを漂わせていたが、絵本に出てくる魔女の家のようだと、椿はこの家が好きで気に入っていた。

 ピアノ教室には1年生の頃からもう3年も通っていたが、この魔女の家の住人を見るのは初めてのこと。

 家の古さから年老いた夫婦とか、あるいは本当に魔女が住んでいると半ば思っていたので、白衣を着た若いお兄さん風の人物が出てきたことに驚いた。

 男は玄関脇にある、青い葉がこんもり茂った大木を見上げている。

 春と秋にはオレンジ色のとても良い香りのする小さな花を咲かせる金木犀だ。

 しばらく見上げていた男は、狙いを定めたように、手に持った棒で枝を揺らした。

 パラパラと雨の雫が落ちてきた。
 男はおもむろにそこへしゃがみこむと、落ちてきた雫の中から何かをつまんでポンポンとバケツへ放り込んでいる。

「その子達をどうするの?!」

 男は驚いた顔で、門の外へ立つ椿を見た。

 椿は門の鉄柵を掴み「銀色の天蟲あまむし」がうにょうにょと蠢いているバケツを指さしている。

「これが見えるの?」

 男は立ち上がると椿へ近づきバケツの中を見せ、不思議そうに彼女を見つめた。

「うん、お兄さんも見えるんでしょう!?」

 椿は喜びに満ち溢れた顔で男を見た。

「驚いた」

 男は椿を繁々と眺める。

「なんていう生き物なの? 名前はあるの? それをどうするの?」

 椿は興奮して矢継ぎ早に男へ質問する。

 男はバケツの中にいる銀色の豆粒のようなものを見てから、再度椿の顔を見つめ、やがて口を開いた。

天蟲あまむしというんだ、薬にする」

「あまむし?! くすり? くすりになるの?!」

「薬になる蟲は多いんだ、他にも雪羽ゆき風足かせなんかも」

「ゆき? かせ? それってどんなの?」

 椿は門の鉄柵をギュッと握り顔を張り付けると、目を輝かせ尋ねた。

「つーちゃん!」

 背後で母の厳しい声が聞こえた。


☆☆☆

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

迦国あやかし後宮譚

シアノ
キャラ文芸
旧題 「茉莉花の蕾は後宮で花開く 〜妃に選ばれた理由なんて私が一番知りたい〜 」 第13回恋愛大賞編集部賞受賞作 タイトルを変更し、「迦国あやかし後宮譚」として5巻まで刊行。大団円で完結となりました。 コミカライズもアルファノルンコミックスより全3巻発売中です! 妾腹の生まれのため義母から疎まれ、厳しい生活を強いられている莉珠。なんとかこの状況から抜け出したいと考えた彼女は、後宮の宮女になろうと決意をし、家を出る。だが宮女試験の場で、謎の美丈夫から「見つけた」と詰め寄られたかと思ったら、そのまま宮女を飛び越して、皇帝の妃に選ばれてしまった! わけもわからぬままに煌びやかな後宮で暮らすことになった莉珠。しかも後宮には妖たちが驚くほどたくさんいて……!?

翡翠の歌姫と2人の王子〜エスカレートする中傷と罠が孤児の少女を襲う【中華×サスペンス×切ない恋】

雪城 冴 (ゆきしろ さえ)
キャラ文芸
 次は一体何が起きるの!? 孤児の少女はエスカレートする誹謗中傷や妨害に耐えられるのか?  約束の記憶を失った翠蓮(スイレン)は、歌だけを頼りに宮廷歌姫のオーディションへ挑む。  しかしその才能は早くも権力の目に留まり、後宮の派閥争いにまで発展する。    一方、真逆なタイプの2人の王子・蒼瑛と炎辰は、熾烈な皇位争いを繰り広げる。その中心にはいつも翠蓮がいた。  彼に対する気持ちは、尊敬? 憧れ? それとも――忘れてしまった " あの約束 " なのか。  すれ違いながら惹かれ合う二人。はらはらドキドキの【中華×サスペンス×切ない恋】

白苑後宮の薬膳女官

絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。 ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。 薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。 静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。

月華後宮伝

織部ソマリ
キャラ文芸
★10/30よりコミカライズが始まりました!どうぞよろしくお願いします! ◆神託により後宮に入ることになった『跳ねっ返りの薬草姫』と呼ばれている凛花。冷徹で女嫌いとの噂がある皇帝・紫曄の妃となるのは気が進まないが、ある目的のために月華宮へ行くと心に決めていた。凛花の秘めた目的とは、皇帝の寵を得ることではなく『虎に変化してしまう』という特殊すぎる体質の秘密を解き明かすこと! だが後宮入り早々、凛花は紫曄に秘密を知られてしまう。しかし同じく秘密を抱えている紫曄は、凛花に「抱き枕になれ」と予想外なことを言い出して――? ◆第14回恋愛小説大賞【中華後宮ラブ賞】受賞。ありがとうございます! ◆旧題:月華宮の虎猫の妃は眠れぬ皇帝の膝の上 ~不本意ながらモフモフ抱き枕を拝命いたします~

香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く 

液体猫(299)
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/  香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。  ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……  その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。  香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。  彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。  テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。  後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。  シリアス成分が少し多めとなっています。

男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!> 宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。 しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——? 「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

処理中です...