16 / 51
再会と初雪
境界
しおりを挟む「つーちゃん」
椿の背後で厳しい声がした。
椿が振り返ると、母が恐い顔をして車から降りてくるところだった。
門に張り付いていた椿をはがしその手を握る。
「うちの娘です。構わないでください」
母親はヨルに向き合い強い口調で言い放った。
ヨルは口を開きかけるが、何と答えるべきか迷う。ふと椿を見れば、先程の無邪気さと輝く目の光はすっかり消えていて、今はただ震える視線で母親を見上げているだけだ。
彼は結局なにも言わず軽く頭を下げた。それが一番この小さな女の子のためには良いだろうと考えた。
「帰りましょう」
母親は強引に椿の手を引き車まで戻った。
椿は車の後部座席に乱暴に押し込まれたが、黙って行儀良くそこに座る。
車が動き出すと、家に入っていく男の背中を追いかけた。しかしバックミラー越しの母親の視線に気付くと、背もたれに身を沈め下を向く。
そして膝に置いたピアノバッグのクマとウサギのでこぼことした刺繍を触る。
母親が椿のために作ってくれたレッスンバッグだ。これを貰ったときどんなに嬉しかっただろう。
境界線、そんな難しい言葉を知っていたわけではない、ただその日から……
ヨルと初めて出会ったその日から、椿の見る世界は全て、意味のあるものへと変わった。
けれどそれと同時に、守らなければならない線があり、それは誰にも見えないものなのだと覚ったことになる。
「あのときみたいに、単刀直入に何にも考えず、ドーンと聞いてみれば?」
「だったらせんせ、聞いて?」
椿は隣のヨルへ向き両手を合わせて拝む。
「え? 何故そういうはなしに?」
ヨルは目を細め椿の必死な表情を面白がって追う。
「ちょっと様子を見てきてくれるだけでもいい!」
「様子ってどういう……」
ヨルはクックッと喉の奥で笑う。
笑うと頬が上がり笑窪が出来る。
「コンビニで働いているの、たぶん夜の人。お客さんを装って、せんせが見ればすぐにわかるでしょう? 匂いとか、妖気だっけ?」
「あやかしの類いなら見ればわかりますし、祟られ者なら匂いでわかりますよ」
「でしょ、だから、ね?」
「うーん、そうですねぇ。あまり他人のことを嗅ぎまわるのは……」
「そんなこと言わないで、お願い!」
「どこのコンビニだって?」
ヨルと椿が同時に声のした方へ首を回す。
お盆を持った岩梵天が、キノコ頭を傾け立っていた。
お盆の上には湯気を立てたココアと柚子茶がのっていて、温かい湯気から甘い香りがたつ。
その湯気のせいか梵天の眼鏡がうっすら曇っている。
ヨルは柚子茶を、椿はココアを貰う。
「ありがとう」
「ボンボンありがとう」
椿は梵天のことを初めて会った時からボンボンと呼んでいる。
小さかったので覚えられなかったのか、または口がまわらなかったのか。
梵天もその呼び方で何も言わない。
むしろ気に入ったのか、そう呼ばれる度にきゅっと左右の口の端をあげ笑う。
「駅前のデイリー24だよ」
「へえ、それなら僕がうってつけなんじゃないかな」
「ああ、そういえば梵天はナンとかっていうゲーム機が欲しくて、先月からバイトしているって言っていたよね、駅前のコンビニだったっけ?」
「やだ、なにそれ!なんの偶然!!」
「そのかわり、お礼はちゃんともらうよ」
「え、なんで?」
今度は椿が顔を傾け疑問府を頭の上に浮かべる。
「椿は、世の中全てが善意で成り立っていると思いすぎるなぁ。何かが欲しけりゃ、何かを差し出す、そういうものでしょう?とくに人の世界は」
梵天は人差し指を立て、チッチッと言いながら左右にふる。
「なんかさ今、もっともらしいこと言ったふうだけど、ただケチなだけだと思う。そんなに大変なことじゃないじゃん」
椿は唇を尖らせ非難がましい視線を梵天に向ける。
「嫌なら、いい」
梵天はプイとそっぽを向く。
ヨルはそんな二人のやりとりを温かい眼差しで見守り、フーフーと柚子茶に息を吹きかける。
「わかった!」
と言って椿は頷く。
梵天はふふーんと機嫌良く笑い、丸いお盆を胸に抱え持った。
「では、そういうことで契約」
梵天が付き立てた親指を椿の前に出した。
あやかし界隈では、お互いの親指同士を合わせることで、約束となり履行の義務が生じる。
約束を無効にするのなら、お互い小指を絡ませそれを外す、という行為で約束事は解消される。
椿は梵天の親指に自分の親指を合わせそのまま梵天に抱きついた。
「ありがとうボンボン!!」
「うわぁー!」
梵天は反射的にもとの白い毛むくじゃらの姿に戻ってしまう。
梵天が持っていたお盆が床に落ちる。
「だから!!」
「梵天は人に……というか、椿に触られると妖気が乱れるんだよ」
「あ、そうだった。ごめん」
「もう、いいかげんに覚えろ!」
梵天は毛を逆立てブルッブルッと身震いすると、盆を咥え部屋から出ていった。
「椿さん、それを飲んだらそろそろ帰る時間だね」
「わ、もうこんな時間?」
椿はスマホの画面で時間を確認すると、慌ててココアを飲み干した。
「せんせ、また明日!!」
問題集を鞄へ突っ込み、コートかけからコートを掴んで、椿はバタバタと足音を立て診察室から出ていった。
「静かに床が抜けるよ、古いんだから……」
ヨルの声は、もう誰もいない場所へと落ちていく。
「椿さんが、恋とはね……」
窓の向こうの庭、そこを飛ぶように走っていく椿の背中を見送り、ヨルはゆっくりお茶をすする。
「時々、偶然て何かの必然かと思うとき、ありませんか?」
と、声の主の方へ目を向ける。
「何か企みごとか?」
「まさか、ちょっと面白いな、と思っただけですよ。あの子はやっぱり例外ですね」
「梵天……」
「はい」
人の姿に戻った梵天が返事をする。
「今日の夜ご飯なににしようか?」
「そうですね、温かい鱈の鍋なんか?」
梵天は椿のマグカップを盆にのせ、今度はヨルの手にあるマグカップを見る。
「まだ飲んでる、けど」
「猫舌というのは、ほんとうに……」
梵天は呆れたようにため息を吐き、診察室から出ていった。
確かに偶然の出来事の中には時々必然とか運命とか、そういうものもあるのかもしれないなぁ、とヨルはぼんやり思う。
「あの方はもう手紙を読んでくれただろうか……」
☆☆☆
0
あなたにおすすめの小説
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
迦国あやかし後宮譚
シアノ
キャラ文芸
旧題 「茉莉花の蕾は後宮で花開く 〜妃に選ばれた理由なんて私が一番知りたい〜 」
第13回恋愛大賞編集部賞受賞作
タイトルを変更し、「迦国あやかし後宮譚」として5巻まで刊行。大団円で完結となりました。
コミカライズもアルファノルンコミックスより全3巻発売中です!
妾腹の生まれのため義母から疎まれ、厳しい生活を強いられている莉珠。なんとかこの状況から抜け出したいと考えた彼女は、後宮の宮女になろうと決意をし、家を出る。だが宮女試験の場で、謎の美丈夫から「見つけた」と詰め寄られたかと思ったら、そのまま宮女を飛び越して、皇帝の妃に選ばれてしまった! わけもわからぬままに煌びやかな後宮で暮らすことになった莉珠。しかも後宮には妖たちが驚くほどたくさんいて……!?
翡翠の歌姫と2人の王子〜エスカレートする中傷と罠が孤児の少女を襲う【中華×サスペンス×切ない恋】
雪城 冴 (ゆきしろ さえ)
キャラ文芸
次は一体何が起きるの!? 孤児の少女はエスカレートする誹謗中傷や妨害に耐えられるのか?
約束の記憶を失った翠蓮(スイレン)は、歌だけを頼りに宮廷歌姫のオーディションへ挑む。
しかしその才能は早くも権力の目に留まり、後宮の派閥争いにまで発展する。
一方、真逆なタイプの2人の王子・蒼瑛と炎辰は、熾烈な皇位争いを繰り広げる。その中心にはいつも翠蓮がいた。
彼に対する気持ちは、尊敬? 憧れ? それとも――忘れてしまった " あの約束 " なのか。
すれ違いながら惹かれ合う二人。はらはらドキドキの【中華×サスペンス×切ない恋】
白苑後宮の薬膳女官
絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。
ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。
薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。
静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。
月華後宮伝
織部ソマリ
キャラ文芸
★10/30よりコミカライズが始まりました!どうぞよろしくお願いします!
◆神託により後宮に入ることになった『跳ねっ返りの薬草姫』と呼ばれている凛花。冷徹で女嫌いとの噂がある皇帝・紫曄の妃となるのは気が進まないが、ある目的のために月華宮へ行くと心に決めていた。凛花の秘めた目的とは、皇帝の寵を得ることではなく『虎に変化してしまう』という特殊すぎる体質の秘密を解き明かすこと! だが後宮入り早々、凛花は紫曄に秘密を知られてしまう。しかし同じく秘密を抱えている紫曄は、凛花に「抱き枕になれ」と予想外なことを言い出して――?
◆第14回恋愛小説大賞【中華後宮ラブ賞】受賞。ありがとうございます!
◆旧題:月華宮の虎猫の妃は眠れぬ皇帝の膝の上 ~不本意ながらモフモフ抱き枕を拝命いたします~
香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く
液体猫(299)
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/
香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。
ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……
その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。
香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。
彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。
テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。
後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。
シリアス成分が少し多めとなっています。
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる