🐱山猫ヨル先生の妖(あやかし)薬学医術之覚書~外伝は椿と半妖の初恋

蟻の背中

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再会と初雪

境界

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「つーちゃん」

 椿の背後で厳しい声がした。

 椿が振り返ると、母が恐い顔をして車から降りてくるところだった。

 門に張り付いていた椿をはがしその手を握る。

「うちの娘です。構わないでください」

 母親はヨルに向き合い強い口調で言い放った。

 ヨルは口を開きかけるが、何と答えるべきか迷う。ふと椿を見れば、先程の無邪気さと輝く目の光はすっかり消えていて、今はただ震える視線で母親を見上げているだけだ。

 彼は結局なにも言わず軽く頭を下げた。それが一番この小さな女の子のためには良いだろうと考えた。

「帰りましょう」

 母親は強引に椿の手を引き車まで戻った。

 椿は車の後部座席に乱暴に押し込まれたが、黙って行儀良くそこに座る。
 車が動き出すと、家に入っていく男の背中を追いかけた。しかしバックミラー越しの母親の視線に気付くと、背もたれに身を沈め下を向く。
 そして膝に置いたピアノバッグのクマとウサギのでこぼことした刺繍を触る。

 母親が椿のために作ってくれたレッスンバッグだ。これを貰ったときどんなに嬉しかっただろう。

 境界線、そんな難しい言葉を知っていたわけではない、ただその日から……
 ヨルと初めて出会ったその日から、椿の見る世界は全て、意味のあるものへと変わった。

 けれどそれと同時に、守らなければならない線があり、それは誰にも見えないものなのだと覚ったことになる。



「あのときみたいに、単刀直入に何にも考えず、ドーンと聞いてみれば?」

「だったらせんせ、聞いて?」

 椿は隣のヨルへ向き両手を合わせて拝む。

「え? 何故そういうはなしに?」

 ヨルは目を細め椿の必死な表情を面白がって追う。

「ちょっと様子を見てきてくれるだけでもいい!」

「様子ってどういう……」

 ヨルはクックッと喉の奥で笑う。
 笑うと頬が上がり笑窪が出来る。

「コンビニで働いているの、たぶん夜の人。お客さんを装って、せんせが見ればすぐにわかるでしょう? 匂いとか、妖気だっけ?」

「あやかしの類いなら見ればわかりますし、祟られ者なら匂いでわかりますよ」

「でしょ、だから、ね?」

「うーん、そうですねぇ。あまり他人のことを嗅ぎまわるのは……」

「そんなこと言わないで、お願い!」

「どこのコンビニだって?」

 ヨルと椿が同時に声のした方へ首を回す。

 お盆を持った岩梵天が、キノコ頭を傾け立っていた。

 お盆の上には湯気を立てたココアと柚子茶がのっていて、温かい湯気から甘い香りがたつ。

 その湯気のせいか梵天の眼鏡がうっすら曇っている。

 ヨルは柚子茶を、椿はココアを貰う。

「ありがとう」

「ボンボンありがとう」

 椿は梵天のことを初めて会った時からボンボンと呼んでいる。

 小さかったので覚えられなかったのか、または口がまわらなかったのか。
 梵天もその呼び方で何も言わない。
 むしろ気に入ったのか、そう呼ばれる度にきゅっと左右の口の端をあげ笑う。

「駅前のデイリー24だよ」

「へえ、それなら僕がうってつけなんじゃないかな」

「ああ、そういえば梵天はナンとかっていうゲーム機が欲しくて、先月からバイトしているって言っていたよね、駅前のコンビニだったっけ?」

「やだ、なにそれ!なんの偶然!!」

「そのかわり、お礼はちゃんともらうよ」

「え、なんで?」

 今度は椿が顔を傾け疑問府を頭の上に浮かべる。

「椿は、世の中全てが善意で成り立っていると思いすぎるなぁ。何かが欲しけりゃ、何かを差し出す、そういうものでしょう?とくに人の世界は」

 梵天は人差し指を立て、チッチッと言いながら左右にふる。

「なんかさ今、もっともらしいこと言ったふうだけど、ただケチなだけだと思う。そんなに大変なことじゃないじゃん」

 椿は唇を尖らせ非難がましい視線を梵天に向ける。

「嫌なら、いい」

 梵天はプイとそっぽを向く。

 ヨルはそんな二人のやりとりを温かい眼差しで見守り、フーフーと柚子茶に息を吹きかける。

「わかった!」

 と言って椿は頷く。

 梵天はふふーんと機嫌良く笑い、丸いお盆を胸に抱え持った。

「では、そういうことで契約」

 梵天が付き立てた親指を椿の前に出した。

 あやかし界隈では、お互いの親指同士を合わせることで、約束となり履行の義務が生じる。
 約束を無効にするのなら、お互い小指を絡ませそれを外す、という行為で約束事は解消される。

 椿は梵天の親指に自分の親指を合わせそのまま梵天に抱きついた。

「ありがとうボンボン!!」

「うわぁー!」


 梵天は反射的にもとの白い毛むくじゃらの姿に戻ってしまう。

 梵天が持っていたお盆が床に落ちる。

「だから!!」

「梵天は人に……というか、椿に触られると妖気が乱れるんだよ」

「あ、そうだった。ごめん」

「もう、いいかげんに覚えろ!」

 梵天は毛を逆立てブルッブルッと身震いすると、盆を咥え部屋から出ていった。

「椿さん、それを飲んだらそろそろ帰る時間だね」

「わ、もうこんな時間?」

 椿はスマホの画面で時間を確認すると、慌ててココアを飲み干した。

「せんせ、また明日!!」

 問題集を鞄へ突っ込み、コートかけからコートを掴んで、椿はバタバタと足音を立て診察室から出ていった。

「静かに床が抜けるよ、古いんだから……」

 ヨルの声は、もう誰もいない場所へと落ちていく。

「椿さんが、恋とはね……」

 窓の向こうの庭、そこを飛ぶように走っていく椿の背中を見送り、ヨルはゆっくりお茶をすする。

「時々、偶然て何かの必然かと思うとき、ありませんか?」

 と、声の主の方へ目を向ける。

「何か企みごとか?」

「まさか、ちょっと面白いな、と思っただけですよ。あの子はやっぱり例外ですね」

「梵天……」

「はい」

 人の姿に戻った梵天が返事をする。

「今日の夜ご飯なににしようか?」

「そうですね、温かい鱈の鍋なんか?」

 梵天は椿のマグカップを盆にのせ、今度はヨルの手にあるマグカップを見る。

「まだ飲んでる、けど」

「猫舌というのは、ほんとうに……」

 梵天は呆れたようにため息を吐き、診察室から出ていった。

 確かに偶然の出来事の中には時々必然とか運命とか、そういうものもあるのかもしれないなぁ、とヨルはぼんやり思う。

「あの方はもう手紙を読んでくれただろうか……」


☆☆☆

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