アノンの涙

maruko

文字の大きさ
4 / 7

4

しおりを挟む
 結局マチルダは僅かばかりの養育費だけで、ジェルバン子爵家で暮らす事になった。費用はミネリタの予算から捻出するようにと、妥協案を提示してなんとかロードが収めてくれたが、アノンにとっては、そこからが惨めな気分の始まりだった。

 マチルダの亡くなった両親は、シトロン伯爵家の次男だった。
 マチルダの父と婚姻したのは子爵家の娘だったが、こちらも次女。二人は本来なら、婚姻した時点で平民になる予定だった。
 だがシトロン伯爵が領地経営を手伝うならばと、弟を貴族籍のままにしていてくれたため、マチルダは生まれた時から、貴族籍を持てた。
 ただ今回マチルダの父が亡くなったことで、シトロン伯爵家がマチルダを引き取らなければ、彼女は貴族籍を除籍されるはずだったのだが、これに待ったをかけたのが、まさかのミネリタ。
 マチルダの母親とシトロン伯爵夫人の仲が良好ではなかった為、彼女が平民になることを危惧したミネリタは、彼女を引き取るとシトロン伯爵家に交渉の材料として、発言してしまった。
 事業提携白紙の迷惑料として、シトロン伯爵家から、マチルダを押し付けられたのだが、ミネリタはマチルダの容姿を聞いていて、願ったり叶ったりと引き取った。
 だからこその僅かな養育費だったのだ。
 その代わりといってはなんだが、学園の授業料の支払いとマチルダのシトロンの家名を名乗る事を約束させているのだが、それはジェルバン子爵家には何の得にもならない、マチルダ一人が得をする提案だった。
 それもこれも全てミネリタの趣味から来る物で、ロード達は呆れてしまって、本気で子爵家を辞めたくなった。
 彼等が残ったのは、アノンの為に他ならない。今ロード達が手を引いて、幼い彼女が一人残されては、子爵家は忽ち経ちいかなる事が分かっていたから、残ったに過ぎなかった。

 そしてロード達の英才教育はアノンへと注がれていく。

 一方でマチルダを引き取ったミネリタは浮かれていた。理想の姿をしたマチルダをとっかえひっかえ着飾って、彼方此方のお茶会へと引っ張り回す。
 何度か、ルートの母親である、友人のハウケン伯爵夫人に、マチルダよりもアリエリーノを連れて来ないのかと、詰問されるも

「アノンはお勉強が忙しくって、私に構ってくれないのよ」

 と言ったらしい。
 自分がアノンの自由を奪っている事に、一つも気付けないミネリタは、もはや母ではなくなっていた。
 アノンは父だけではなく結局母も亡くしたようなものだった。

 マチルダが引き取られてから、約一年が過ぎた頃、アノンにとっては最悪な出会いが待っていた。


 その日はアノンの10歳の誕生日だった。
 いつもマチルダと疑似親子を繰り広げているミネリタが、何を思ったか、はたまた母性が残っていたのか、その日だけはアノンと二人で過ごすと言い出した。

 その日だけは執事達も、前からアノンにはお休みをしてもらうつもりでいた為、急にミネリタがアノンと出かけると言っても、慌てることがなかった。不満を口にしたのはマチルダだけだ。

「え~酷いです、おば様。私ひとりぼっちになっちゃいます~」

「ごめんなさいねマチルダちゃん。でもアノンの誕生日だけは譲れないわ。だって私はあの子の母親ですもの」

 アノンは急にいい母アピールをし始めたミネリタに、心底戸惑った。だが、嬉しい気持ちもあるのだ。ずっと母の愛を渇望していたアノンにはその母の提案は、辛い領地経営の勉強のご褒美みたいに思えた。

「お母様、本当?今日は私とお出かけしてくださるの?」

「えぇアノン。そろそろサマードレスも新調しなければ。あなた随分買ってないものね」

 それは貴方が気に掛けないからだ!とユナは密かに思ったが、その表情には出さずに控えていた。

 そしてその日は一日母とショッピングをしたり、カフェでパンケーキを食べたり、普段できない子供らしいお出かけをアノンは楽しんだ。

 いつもマチルダの専売特許だった。母との手繋ぎも久しぶりで、アノンはとても幸せな気持ちで10歳の誕生日を送った。

 その次の日の朝食の席でマチルダが、徐に驚く事を話しだした。
 彼女は昨日一人で近くの森に遊びに行ったというのだ。

 子爵家の領地は辺境伯の一画を任されている為、隣国との国境に近い。
 その森も、場所によっては隣国の領土に含まれるところもある為、一年に一度の伐採の日以外は、立入禁止区域になっていた。
 そしてそんな事は、マチルダがこの家に来てから直ぐに、注意事項として説明されていたはずだった。
 それをアノンが指摘すると、彼女はぷうっと頬を膨らませて、アノンに食ってかかった。とても居候の態度ではない。

「だってお姉様が、おば様を独り占めするからじゃない!私寂しかったんだもの」

「まぁマチルダちゃんごめんなさいね。今日はマチルダちゃんとお出かけしましょうね」

 ミネリタは、一晩でいつものミネリタに返り咲いてしまった。たった一日だけのお母様。アノンは昨日の幸せが霧散していくように思えた。

「それでね、怪我をしてた男の子がいたんだけど。もう居なくなったかしらね」

「「えっ?」」

 驚いたのはアノンとロードだった。
 他の者は息を呑んでいた。
 あんな森に一晩怪我人を放置して、マチルダは何も思わないのだろうか?アノンは目の前に座る同い年のマチルダが、人に見えなくなってきた。

 朝食のあとアノンは、お出かけの仕度をしようといそいそと部屋に戻るマチルダを捕まえて、男の子の居た場所を詳しく聞いた。

「え~初めて入った所だもの。覚えていないわ」

「でも貴方迷わず森から出たんでしょう?どの辺かくらいはわかるんじゃない?」

 必死に聞いた場所は曖昧だったけれど、アノンは急いで執務室に行き、ロードとアントンに探しに行ってもらった。
 居なければいいが、もし居たらどんなに心細いだろうかと、アノンは祈る気持ちで執務室で、資料を振り分けていた。


 お昼近くになって、ロードとアントンは、アノンよりも少し大きい男の子を連れて帰ってきた。ずっとアントンが背負って来たのだろうか、アントンのシャツの背には血が付いていた。

 急いで医者を呼びに行き、診てもらうと怪我は足が折れていて、どこからか放り投げられたようだと、医師は自身の見解を話す。

 骨折のためか高熱で魘されているその男の子はミネリタの好きな金髪だった。

 アノンは冷たいタオルで男の子の汗を拭いていく。

「ごめんね、もっと早く助けてあげられたのに」

 それは、マチルダの非道な行いに対して、アノンなりの彼への贖罪の気持ちだった。








しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

彼はヒロインを選んだ——けれど最後に“愛した”のは私だった

みゅー
恋愛
前世の記憶を思い出した瞬間、悟った。 この世界では、彼は“ヒロイン”を選ぶ――わたくしではない。 けれど、運命になんて屈しない。 “選ばれなかった令嬢”として終わるくらいなら、強く生きてみせる。 ……そう決めたのに。 彼が初めて追いかけてきた——「行かないでくれ!」 涙で結ばれる、運命を越えた恋の物語。

わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない

鈴宮(すずみや)
恋愛
 孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。  しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。  その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?

忘れ去られた婚約者

かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』 甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。 レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。 恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。 サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!? ※他のサイトにも掲載しています。 毎日更新です。

私だけが愛して1度も笑ったことの無い夫が、死んだはずの息子を連れてもどってきた

まつめ
恋愛
夫はただの一度も私に笑いかけたことは無く、穏やかに夫婦の時間をもったこともない。魔法騎士団の、騎士団長を務める彼は、23年間の結婚生活のほとんどを戦地で過ごしている。22歳の息子の戦死の知らせが届く。けれど夫は元気な息子を連れて私の元に戻って来てくれた。

【完結】魅了魔法のその後で──その魅了魔法は誰のため? 婚約破棄した悪役令嬢ですが、王太子が逃がしてくれません

瀬里@SMARTOON8/31公開予定
恋愛
その魅了魔法は誰のため? 一年前、聖女に婚約者である王太子を奪われ、婚約破棄された悪役令嬢リシェル・ノクティア・エルグレイン。 それが私だ。 彼と聖女との婚約披露パーティの噂が流れてきた頃、私の元に王太子が訪れた。 彼がここに来た理由は──。 (全四話の短編です。数日以内に完結させます)

【完結】記憶を失くした旦那さま

山葵
恋愛
副騎士団長として働く旦那さまが部下を庇い頭を打ってしまう。 目が覚めた時には、私との結婚生活も全て忘れていた。 彼は愛しているのはリターナだと言った。 そんな時、離縁したリターナさんが戻って来たと知らせが来る…。

伯爵令嬢の婚約解消理由

七宮 ゆえ
恋愛
私には、小さい頃から親に決められていた婚約者がいます。 婚約者は容姿端麗、文武両道、金枝玉葉という世のご令嬢方が黄色い悲鳴をあげること間違い無しなお方です。 そんな彼と私の関係は、婚約者としても友人としても比較的良好でありました。 しかしある日、彼から婚約を解消しようという提案を受けました。勿論私達の仲が不仲になったとか、そういう話ではありません。それにはやむを得ない事情があったのです。主に、国とか国とか国とか。 一体何があったのかというと、それは…… これは、そんな私たちの少しだけ複雑な婚約についてのお話。 *本編は8話+番外編を載せる予定です。 *小説家になろうに同時掲載しております。 *なろうの方でも、アルファポリスの方でも色んな方に続編を読みたいとのお言葉を貰ったので、続きを只今執筆しております。

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

処理中です...