ひきこもりの町 第1部 風の芽吹き

中島 茂留

文字の大きさ
24 / 24

第24話  風の始業式

しおりを挟む
5月下旬
丘の上

朝、丘の上の空はどこまでも澄んでいた。
風が吹くたびに、木々の葉が細かく鳴り、
『風の通る家』の白い暖簾が、ゆっくりと揺れている。

改修が終わったばかりの建物は、
古さを残しながらも、どこか新しい息づかいをしていた。
縁側には、手作りの木のベンチ。
玄関脇の土間には、小さな鉢植えの花。
誰かが「ここにある空気そのものが、もう『風』なんだな」と呟いた。

午前9時。
開所式の時間が近づくと、坂道の下から人々がゆっくりと登ってきた。
ボランティアの男性たち、説明会で顔を見せた主婦たち、
協力隊の青年、そして役場のプロジェクトチームの職員たち。
手には花束や差し入れの紙袋が見える。
誰もが少し緊張した面持ちで、それでも笑顔を隠せなかった。

司会の水野、広海、林、そして町長・大迫は、集まった人達と向かい合う形で立っていた。
式次第は簡素だが、町の空気は静かな期待で満たされていた。

「では……『風の通る家』の開所を祝しまして、
 簡単ではありますが、ご挨拶を。」
司会の声に続いて、大迫町長が前に出る。
持ち運びできるスピーカーに接続されたマイクを握る。
白いシャツの袖は捲られていた。
ゆっくりと口を開く。
「……この町は長く、風を止めていたのかもしれません。
 でも、止めたのは風じゃなく、人の心でした。
 今日、ここに立って思うのは一つ。
 風を止めるな。
 そのために、今日からまた歩き出すということです。」

短い言葉だった。
しかし、その一言が風のように広がり、
丘の上にいた人々の胸を静かに震わせた。

続いて、林が前に進む。
胸元の名札には、NPO法人そよぎの文字。
彼女はマイクを持たず、自然な声で話し始めた。

「『風の通る家』という名前は、場所のことではありません。
 人と人の間に『風』が通る、
 そんな関係を、この町に生み出したい……そう願って名づけました。

 ここは支援の場ではなく、『関わり』の場です。
 ひとりの声が、もうひとりの誰かに届く場所。
 誰かの痛みが、いつか誰かの希望に変わる場所。

 その最初の一歩を、今日、みなさんと一緒に踏み出せることを、
 心からうれしく思います。」

林は軽く頭を下げ、
広海の方を見た。
その視線に応えるように、広海が頷く。

「……では、鍵をお願いします。」
司会の言葉に促され、広海が玄関の前に立った。
ポケットから取り出した小さな銀色の鍵。
手の中で光を受け、細くきらめいた。

錠前に差し込み、
回す。

カチリ。

その音が、丘の上に小さく響いた。
扉を開けると、
室内の空気がふわりと動く。
外の風が流れ込み、
カーテンが膨らみ、
新しい光が室内の床に広がった。

風の中で、誰かが小さく息をのんだ。
林がその風を見つめ、
ゆっくりと口を開いた。

「……ここからが、本当の始まりです。」

静寂のあと、拍手が起こった。
大きくも派手でもない、
けれど温かく、包み込むような拍手。

水野の目に、少し涙が光っていた。
町長は腕を組んだまま、
「……悪くない風だな」と小さく呟いた。

広海は庭に回り、丘の下の町を見下ろした。
風が頬を撫でる。
その風は、かつて『止まった』夜とはまるで違っていた。
やわらかく、透明で、
どこか人の匂いが混じっている。

ポケットの中の2人も風を感じているように思えた。
彼はそっと目を閉じ、
胸の奥で言葉にならない感謝を呟いた。

……運に頼らず届く風。
 その風は、今この町に吹いている。

風の通る家の暖簾が静かに揺れた。
空はどこまでも青く、
家の中を通り抜けた風が、
遠くの田畑と森の方へと流れていった。

それは確かに、『町の風』だった。

第1部 風の芽吹き 【完】
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

処理中です...