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レディ・レイヴンクロフトの日記帳
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明け方、眠っていなかったが、私の頭ははっきりと冴えわたっていた。
『ブリック』はただのの建材ではない。もっと早くに気が付けたはずだったのに、私は何をしていたのだろう。
今までの私の行動は、明らかに私らしくない。何かが私に入り込み、思考と行動を誘導している。そんなことは許されない。
それだけは許されない。ネズミ扱いされながら、世界の隅で生きてきた私の最後の拠り所である、自分自身だけは、自分の物でなければ。私は他には何も持っていないのだ。
逃げるが、手ぶらで消えてなどやるものか。会社が隠していることを調べる。私には何の力もないが、掃除屋の時のボスなら情報を買ってくれるだろう。私を動かしたのは友人の危機ではなく、結局自分の矜持だった。
アリッサの事を考えてみる。一緒に逃げるか、せめて警告なりするか――しかし、私はどちらの考えも却下した。今の彼女に近づくのは危険な気がする。私は心の中で、すまないと言い訳がましくわびた。ネズミは主人公にはなれないのだ。
――――
睡眠が足りていなくても、作業ステーションに着席すれば私の手は動く。作業にすっかり慣れたためか、無意識に組み立てが進んでいく。作れ、作れ、増やせ、増やせ……。頭の中に誰かの声が響く。どこかで聞いたことのある声だ。
冴えわたっていた私の頭がぼんやりとしてくる。
気がつくと昼の休憩時間になっていた。もう、あまり猶予はないようだ。
――――
ある夜、終業後の工場が静まり返った頃、私は工場の最上階、管理センターのアーカイブルームを目指して動き出した。管理センターのセキュリティシステムは厳重だが、人間のやる事には穴がある。私は、工場長並みに工場内のどこにでも入ることができる存在を知っている。掃除ロボットだ。
私は、掃除ロボットの認識コードを、落とし物の中にあったIDカードに書き込んだ物を既に持っていた。なぜそんな事をしたかって、それは私がネズミだからだろう。私は小心者だから、いついかなる時も自分の周りの危険に備えて用心しておきたいのだ。知って、逃げるしかできないが。
最上階には難なく侵入できた。アーカイブルームに到着すると、重厚なドアが前に立ちはだかった。心臓が高鳴る中、偽造のIDカードをかざした。数秒の緊張の後、ドアが静かに開いた。
室内には無数のファイルとデータ端末が整然と並んでいるのが見える。私は慎重に歩みを進め、端末を起動させレディ・レイヴンクロフトの名前が記された古いファイルを見つけ出した。ファイルを開くと、彼女の詳細なメモや設計図、そして一部の機密データが目に入った。さすがにこれにはパスワードがかかっている。どうするか……。
突然、背後から足音が響いた。振り返ると、工場長のスコットが冷たく鋭い目で私を見つめていた。
「何をしている?」
彼の声には明確な警告が含まれていた。私は即座に状況を把握し、内心舌打ちをした。
スコットの視線が私を貫くように感じた。一瞬の沈黙が流れ、その後、彼の声が冷たく響き渡った。
「君は一般工員のようだが、何故ここにいるんだ?」
私は、なるべく自分が無害そうに見えるよう、おずおずと口を開いた。
「すみません……あのう、資料を確認したかったんです……、もっとブリックについての理解を深めたくて……。
たまたま入り口が空いていたので……」
スコットは眉をひそめ、私の回答に満足していない様子だった。
「向学心のあるのは良いことだ。だが、管理センターののアーカイブルームには、立ち入り許可が必要だ。まずは上司に相談すべきだったのではないかな」
私は小さくうなずいた。
「確かに、上司に話すべきでした」
スコットの表情が少し和らいだように見えた。
「無闇にアクセスを試みるのは危険だ。特にこのエリアでは。監視システムも厳重だからね」
「わかりました。気をつけます」
私は静かに答え、スコットが私に退室を促した。
彼の後ろ姿が見えなくなると同時に、私は再び自分の疑念に目を向けた。
――――
管理センターを出た私は、一つの思いつきを確認するために工場内を歩いていた。
レディ・レイヴンクロフトのメモ、あれは紙に書いたものを撮影したものが含まれていた。何枚かの写真に写りこんでいたノートを、私は見たことがあった。
私がやってきたのは、工場の中心にそびえる大樹の前だった。レディ・レイヴンクロフトが実家から移植した樹。都市の中でただ一つだけ、この樹はブリックではない。
樹をぐるりと取り囲みながら、スケルトン素材のきゃしゃな階段が各フロアを繋いでいる。私は1階と2階の間で足を止め、樹の幹に縦に細く空いた洞に手を突っ込んだ。中を探り、一冊のノートを引っ張り出した。
あまりにも簡単に見つかってしまった。それは多分、彼女はこのノートを人間から隠そうとしたのではないからだ。
ここに何か入っている事は前から知っていた。前職でしみついてしまった癖か、埃が溜まりそうな場所が気になっていたのだ。私が人間だから見つけられたとも言える。
私は急いで作業服の中にノートを隠して、工場を後にした。
――――
私は静かに自分のアパートメントブロックへと戻った。部屋に入り、ノートを取り出す。木くずや埃で汚れている。しかし防腐処理をされていたようで、痛んでいるが読めないことはない。汚れを払うのももどかしく、私はページを開いた。
それはレディ・レイヴンクロフトの日記帳だった。60年ほど前の日付から始まっている。日記を読むことに躊躇いはない。私はそんな上品な人間ではなかった。それにこれは外に落ちていたのでゴミみたいなものだ。
新素材の発見、将来への展望。明るく、未来への希望に満ちている。自分の学生時代と重なる部分があって、面映ゆい思いがする。素材の実用化、製造が軌道に乗った頃から次第に文字が乱れ、それが私の日記帳を思い出させてページをめくる手が震える。
この先を読めば、きっともう後戻りはできない。それでも。
最後のページでは、ほとんど文字と判別できる部分がなく子どもの落書きのようだった。私はかろうじて読める部分の文字を拾う。
――『ブリック』の製造を止めなければ。誰か、あれを止めて――
そのページが最後だった。
私が足を踏み入れようとしていることは、あまりに危険なのだろう。しかし、もう後戻りはできなかった。
『ブリック』はただのの建材ではない。もっと早くに気が付けたはずだったのに、私は何をしていたのだろう。
今までの私の行動は、明らかに私らしくない。何かが私に入り込み、思考と行動を誘導している。そんなことは許されない。
それだけは許されない。ネズミ扱いされながら、世界の隅で生きてきた私の最後の拠り所である、自分自身だけは、自分の物でなければ。私は他には何も持っていないのだ。
逃げるが、手ぶらで消えてなどやるものか。会社が隠していることを調べる。私には何の力もないが、掃除屋の時のボスなら情報を買ってくれるだろう。私を動かしたのは友人の危機ではなく、結局自分の矜持だった。
アリッサの事を考えてみる。一緒に逃げるか、せめて警告なりするか――しかし、私はどちらの考えも却下した。今の彼女に近づくのは危険な気がする。私は心の中で、すまないと言い訳がましくわびた。ネズミは主人公にはなれないのだ。
――――
睡眠が足りていなくても、作業ステーションに着席すれば私の手は動く。作業にすっかり慣れたためか、無意識に組み立てが進んでいく。作れ、作れ、増やせ、増やせ……。頭の中に誰かの声が響く。どこかで聞いたことのある声だ。
冴えわたっていた私の頭がぼんやりとしてくる。
気がつくと昼の休憩時間になっていた。もう、あまり猶予はないようだ。
――――
ある夜、終業後の工場が静まり返った頃、私は工場の最上階、管理センターのアーカイブルームを目指して動き出した。管理センターのセキュリティシステムは厳重だが、人間のやる事には穴がある。私は、工場長並みに工場内のどこにでも入ることができる存在を知っている。掃除ロボットだ。
私は、掃除ロボットの認識コードを、落とし物の中にあったIDカードに書き込んだ物を既に持っていた。なぜそんな事をしたかって、それは私がネズミだからだろう。私は小心者だから、いついかなる時も自分の周りの危険に備えて用心しておきたいのだ。知って、逃げるしかできないが。
最上階には難なく侵入できた。アーカイブルームに到着すると、重厚なドアが前に立ちはだかった。心臓が高鳴る中、偽造のIDカードをかざした。数秒の緊張の後、ドアが静かに開いた。
室内には無数のファイルとデータ端末が整然と並んでいるのが見える。私は慎重に歩みを進め、端末を起動させレディ・レイヴンクロフトの名前が記された古いファイルを見つけ出した。ファイルを開くと、彼女の詳細なメモや設計図、そして一部の機密データが目に入った。さすがにこれにはパスワードがかかっている。どうするか……。
突然、背後から足音が響いた。振り返ると、工場長のスコットが冷たく鋭い目で私を見つめていた。
「何をしている?」
彼の声には明確な警告が含まれていた。私は即座に状況を把握し、内心舌打ちをした。
スコットの視線が私を貫くように感じた。一瞬の沈黙が流れ、その後、彼の声が冷たく響き渡った。
「君は一般工員のようだが、何故ここにいるんだ?」
私は、なるべく自分が無害そうに見えるよう、おずおずと口を開いた。
「すみません……あのう、資料を確認したかったんです……、もっとブリックについての理解を深めたくて……。
たまたま入り口が空いていたので……」
スコットは眉をひそめ、私の回答に満足していない様子だった。
「向学心のあるのは良いことだ。だが、管理センターののアーカイブルームには、立ち入り許可が必要だ。まずは上司に相談すべきだったのではないかな」
私は小さくうなずいた。
「確かに、上司に話すべきでした」
スコットの表情が少し和らいだように見えた。
「無闇にアクセスを試みるのは危険だ。特にこのエリアでは。監視システムも厳重だからね」
「わかりました。気をつけます」
私は静かに答え、スコットが私に退室を促した。
彼の後ろ姿が見えなくなると同時に、私は再び自分の疑念に目を向けた。
――――
管理センターを出た私は、一つの思いつきを確認するために工場内を歩いていた。
レディ・レイヴンクロフトのメモ、あれは紙に書いたものを撮影したものが含まれていた。何枚かの写真に写りこんでいたノートを、私は見たことがあった。
私がやってきたのは、工場の中心にそびえる大樹の前だった。レディ・レイヴンクロフトが実家から移植した樹。都市の中でただ一つだけ、この樹はブリックではない。
樹をぐるりと取り囲みながら、スケルトン素材のきゃしゃな階段が各フロアを繋いでいる。私は1階と2階の間で足を止め、樹の幹に縦に細く空いた洞に手を突っ込んだ。中を探り、一冊のノートを引っ張り出した。
あまりにも簡単に見つかってしまった。それは多分、彼女はこのノートを人間から隠そうとしたのではないからだ。
ここに何か入っている事は前から知っていた。前職でしみついてしまった癖か、埃が溜まりそうな場所が気になっていたのだ。私が人間だから見つけられたとも言える。
私は急いで作業服の中にノートを隠して、工場を後にした。
――――
私は静かに自分のアパートメントブロックへと戻った。部屋に入り、ノートを取り出す。木くずや埃で汚れている。しかし防腐処理をされていたようで、痛んでいるが読めないことはない。汚れを払うのももどかしく、私はページを開いた。
それはレディ・レイヴンクロフトの日記帳だった。60年ほど前の日付から始まっている。日記を読むことに躊躇いはない。私はそんな上品な人間ではなかった。それにこれは外に落ちていたのでゴミみたいなものだ。
新素材の発見、将来への展望。明るく、未来への希望に満ちている。自分の学生時代と重なる部分があって、面映ゆい思いがする。素材の実用化、製造が軌道に乗った頃から次第に文字が乱れ、それが私の日記帳を思い出させてページをめくる手が震える。
この先を読めば、きっともう後戻りはできない。それでも。
最後のページでは、ほとんど文字と判別できる部分がなく子どもの落書きのようだった。私はかろうじて読める部分の文字を拾う。
――『ブリック』の製造を止めなければ。誰か、あれを止めて――
そのページが最後だった。
私が足を踏み入れようとしていることは、あまりに危険なのだろう。しかし、もう後戻りはできなかった。
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