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ブリック・フォージ
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私はクローゼットを開けた。奥に放り込まれた、引っ越ししてから荷解きをしていない箱を出す。
中に入っているのは清掃員時代の作業服だ。洗濯してあるが、かすかにドブ臭いにおいがする。色は最初からそうだったのか、汚れが落ちずにそうなったかわからない、雑巾のネズミ色だ。久しぶりにそでを通す。
姿見には睡眠不足で顔色の悪い顔が映っている。見慣れた顔だ。この都市に来るまでは常にこんな顔だった。
私はPCを立ち上げ、メトロポリス・ブリックの地図を開くとじっと眺めた。
都市が広がる様子は、まるでフラクタルのように無限の複雑さと自己相似性を持っている。中心である工場から放射状に広がる道路や建物は、細部まで規則正しく連なり、無数の枝分かれが続いていく。
さらに、私は地図の上に、掃除ロボットから引っこ抜いた巡回路のデータを重ねる。掃除ロボットのデータには特にロックもかかっていなかったので、この作業は簡単だった。監視の隙間を突くことができるルートを予想し、頭に叩き込む。
当然、立ち入り禁止エリアのマップは見ることができない。掃除ロボットも系統が別のようで、この区域については情報がなかった。しかしこの都市の特殊性から、配管などについてはかなり正確に予想できそうだ。
都市の最大の機密がブリック鋳造エリアにあるなら、下水道が必ずそこに至っているという確信を私は持っていた。
私はやはり箱から出した防水ブーツを履くと家を出た。足になじんだブーツは、くたびれて細かな傷がたくさんついている。下水道探索の私の相棒。
お気に入りの家具で揃えたはずの部屋には、もうよそよそしさしか感じなかった。自己再生能力があるブリック素材で作られた部屋の全てには、傷がつくことがない。
汚いブーツで地面を踏みしめる。私は、この都市に来て、初めて地に足をつけて歩く心地を感じた。
行先は下水道の管理センターだ。管理センターは一般に開放されている。
管理センター入り口には滑らかな金属製のアーチがそびえ立ち、上部にはライトが輝いていた。私は見学者用の入り口でチケットを購入して、中に入った。内部には広々とした空間が広がり、壁面にはスクリーンが埋め込まれているのが見える。
スクリーンには、下水道のリアルタイムの状況やメンテナンス情報が表示されている。平日の夜なので、人はほとんどいない。
私はそっと見学路から外れて、スタッフ用の通路を進んだ。立ち入り禁止の表示のあるドアを見つける。
ここの自動ドアも偽造IDで通ることができた。中に入っても人気は全くない。基本的には全ての作業はAIが行っていて人間が必要ではないからだろう。
リフトで地下に降りると、だんだん空気が湿っぽくなってきた。
円形の通路の先に水密扉があった。この先が下水道管だった。扉を開くと強烈な臭いが広がった。私には嗅ぎ慣れたにおいだ。
管内へ入ると、遠くから囂々と水の流れる音が響いている。中は薄暗く、上から漏れ落ちるわずかな光が、冷たいコンクリートの壁面に影を描く。湿った空気が私の肌を包み込んだ。
足元の地面はぬかるんでおり、歩くたびにかすかな水しぶきが飛び散る。私は慎重に足を運びながら、細い道を進んでいく。時折、遠くで小さな生き物の気配がするが、私は気にせず前へと進んだ。
通路は入り組んでおり、迷路のように広がっている。行く先々で曲がりくねった道や分かれ道があるが、頭に叩き込んだマップを信じて、下水処理場を目指しひたすら歩く。
下水道内の湿度は高く、時折水滴が天井から落ちてくる。
下水処理場は広大だった。そしてここは工場の地下深くでもあった。
貯水槽や無数のパイプや配管が複雑に絡み合った巨大なネットワークの隙間をちょろちょろと進む。
機械の低いハミング音が絶え間なく響き渡り、施設全体に生命が宿っているかのような印象を与える。
私はセンサーが搭載されたゲートを、通風孔やパイプの上や――ネズミらしい動きで通過し、施設内部へと入る。
そして、私はついにブリック・フォージへ到達した。
ブリック・フォージでは、巨大なタンクやバイオリアクターが稼働している。タンクの中には、汚泥だけではなく、この都市のありとあらゆるゴミが入っている。生き物の廃棄物も例外なく処理されており、まるで生命そのものがブロックに吸収されているかのようだった。
アリッサの体の一部もあのタンクを通過した事だろう。メトロポリス・ブリックにはゴミ焼却場はない。火葬場もない。資源のリサイクル率は100パーセント。メトロポリス・ブリックは究極のサスティナブルな都市である。
ここまでは私は予想済みだった。
おそらく、アリッサが知ってしまった――気がついてしまったのはこの事だろうと思っていた。
人類は宇宙に進出しつつある。宇宙探査や移民には莫大な資源、特にエネルギー、金属、食料、水などの基本的な資源が必要になる。
探査機や基地の建設のため、地球上の鉱山資源がどんどん必要になるだろう。しかし、現在、人類が資材を調達できるのは、地球以外では月と火星くらいだ。宇宙開発が利益もたらすまでの資源はどうする。
世代間に渡る長期宇宙探査船でのは持続可能な食料供給と水の確保はどうする?これらの資源を地球から運ぶことは難しく、また地球上の食料生産にも影響を及ぼす可能性があるかもしれない。
その時には使えるものはすべて使うことになるだろう。人体でも。人類は倫理観のアップデートを迫られている。
アリッサには人格を疑われたくなかったので、あの時この話はしなかったのだ。
あの時、アリッサは言っていた。
「『ブリック』には何かあるわ。ただの建材じゃない。
あなたは不思議じゃない?『ブリック』のこと。単なる建材以上の存在だと思ったことは?
たとえば、私たちは『ブリック』に製造させられているなんて気がしたことはない?」
と。
今は、それ以上の何か、工場全体が人類に対して隠された目的を遂行しているような気がしていた。私はそれを知らなければいけないと思った。
中に入っているのは清掃員時代の作業服だ。洗濯してあるが、かすかにドブ臭いにおいがする。色は最初からそうだったのか、汚れが落ちずにそうなったかわからない、雑巾のネズミ色だ。久しぶりにそでを通す。
姿見には睡眠不足で顔色の悪い顔が映っている。見慣れた顔だ。この都市に来るまでは常にこんな顔だった。
私はPCを立ち上げ、メトロポリス・ブリックの地図を開くとじっと眺めた。
都市が広がる様子は、まるでフラクタルのように無限の複雑さと自己相似性を持っている。中心である工場から放射状に広がる道路や建物は、細部まで規則正しく連なり、無数の枝分かれが続いていく。
さらに、私は地図の上に、掃除ロボットから引っこ抜いた巡回路のデータを重ねる。掃除ロボットのデータには特にロックもかかっていなかったので、この作業は簡単だった。監視の隙間を突くことができるルートを予想し、頭に叩き込む。
当然、立ち入り禁止エリアのマップは見ることができない。掃除ロボットも系統が別のようで、この区域については情報がなかった。しかしこの都市の特殊性から、配管などについてはかなり正確に予想できそうだ。
都市の最大の機密がブリック鋳造エリアにあるなら、下水道が必ずそこに至っているという確信を私は持っていた。
私はやはり箱から出した防水ブーツを履くと家を出た。足になじんだブーツは、くたびれて細かな傷がたくさんついている。下水道探索の私の相棒。
お気に入りの家具で揃えたはずの部屋には、もうよそよそしさしか感じなかった。自己再生能力があるブリック素材で作られた部屋の全てには、傷がつくことがない。
汚いブーツで地面を踏みしめる。私は、この都市に来て、初めて地に足をつけて歩く心地を感じた。
行先は下水道の管理センターだ。管理センターは一般に開放されている。
管理センター入り口には滑らかな金属製のアーチがそびえ立ち、上部にはライトが輝いていた。私は見学者用の入り口でチケットを購入して、中に入った。内部には広々とした空間が広がり、壁面にはスクリーンが埋め込まれているのが見える。
スクリーンには、下水道のリアルタイムの状況やメンテナンス情報が表示されている。平日の夜なので、人はほとんどいない。
私はそっと見学路から外れて、スタッフ用の通路を進んだ。立ち入り禁止の表示のあるドアを見つける。
ここの自動ドアも偽造IDで通ることができた。中に入っても人気は全くない。基本的には全ての作業はAIが行っていて人間が必要ではないからだろう。
リフトで地下に降りると、だんだん空気が湿っぽくなってきた。
円形の通路の先に水密扉があった。この先が下水道管だった。扉を開くと強烈な臭いが広がった。私には嗅ぎ慣れたにおいだ。
管内へ入ると、遠くから囂々と水の流れる音が響いている。中は薄暗く、上から漏れ落ちるわずかな光が、冷たいコンクリートの壁面に影を描く。湿った空気が私の肌を包み込んだ。
足元の地面はぬかるんでおり、歩くたびにかすかな水しぶきが飛び散る。私は慎重に足を運びながら、細い道を進んでいく。時折、遠くで小さな生き物の気配がするが、私は気にせず前へと進んだ。
通路は入り組んでおり、迷路のように広がっている。行く先々で曲がりくねった道や分かれ道があるが、頭に叩き込んだマップを信じて、下水処理場を目指しひたすら歩く。
下水道内の湿度は高く、時折水滴が天井から落ちてくる。
下水処理場は広大だった。そしてここは工場の地下深くでもあった。
貯水槽や無数のパイプや配管が複雑に絡み合った巨大なネットワークの隙間をちょろちょろと進む。
機械の低いハミング音が絶え間なく響き渡り、施設全体に生命が宿っているかのような印象を与える。
私はセンサーが搭載されたゲートを、通風孔やパイプの上や――ネズミらしい動きで通過し、施設内部へと入る。
そして、私はついにブリック・フォージへ到達した。
ブリック・フォージでは、巨大なタンクやバイオリアクターが稼働している。タンクの中には、汚泥だけではなく、この都市のありとあらゆるゴミが入っている。生き物の廃棄物も例外なく処理されており、まるで生命そのものがブロックに吸収されているかのようだった。
アリッサの体の一部もあのタンクを通過した事だろう。メトロポリス・ブリックにはゴミ焼却場はない。火葬場もない。資源のリサイクル率は100パーセント。メトロポリス・ブリックは究極のサスティナブルな都市である。
ここまでは私は予想済みだった。
おそらく、アリッサが知ってしまった――気がついてしまったのはこの事だろうと思っていた。
人類は宇宙に進出しつつある。宇宙探査や移民には莫大な資源、特にエネルギー、金属、食料、水などの基本的な資源が必要になる。
探査機や基地の建設のため、地球上の鉱山資源がどんどん必要になるだろう。しかし、現在、人類が資材を調達できるのは、地球以外では月と火星くらいだ。宇宙開発が利益もたらすまでの資源はどうする。
世代間に渡る長期宇宙探査船でのは持続可能な食料供給と水の確保はどうする?これらの資源を地球から運ぶことは難しく、また地球上の食料生産にも影響を及ぼす可能性があるかもしれない。
その時には使えるものはすべて使うことになるだろう。人体でも。人類は倫理観のアップデートを迫られている。
アリッサには人格を疑われたくなかったので、あの時この話はしなかったのだ。
あの時、アリッサは言っていた。
「『ブリック』には何かあるわ。ただの建材じゃない。
あなたは不思議じゃない?『ブリック』のこと。単なる建材以上の存在だと思ったことは?
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